第2943話 2023/02/13

甲斐の国府寺(醫王山楽音寺)か (4)

山梨県笛吹市一宮町塩田の醫王山楽音寺(がくおんじ)の創建年代調査のため、国会図書館デジタルコレクションに収録されている『甲斐国志』(注①)に続いて、山梨県立図書館山梨デジタルアーカイブの『甲斐名勝志』(注②)も精査しましたが、それには醫王山楽音寺の項目が見当たりません。そこで、改めてweb検索をやり直したところ、なんと同寺ホームページとは別に、ご住職(内藤睦雄さん)によるホームページ(注③)があり、そこに創建年を「推古二年」とする次の記事が紹介されていました。

【以下、要約して転載】
▶美代咲村史
醫王山楽音寺(塩田小新田九四四)
宗旨 臨済宗(恵林寺末)
本尊 地蔵尊菩薩
開山 不詳
中興開祖
推古天皇二年甲寅年創立 天平十戊寅年 行基新タニ本尊地蔵尊及ヒ薬師如来ノ木像ヲ彫刻安置ス、構造ヲ広メ妙亀山楽音寺ト号シ自ラ開祖トナル、嵯峨天皇ノ御于醫王山ト改メ、勅額ヲ賜ル 後衰廃ニ帰スル当リ文永八辛未年鎌倉建長寺開山大覚師堂宇ヲ再興ス、是ヨリ同寺末派トナル 天正年度火災ニ罹リ右記録ハ勿論殿堂悉ク焼失ス 慶長年度ニ至リ之ヲ運築シ旧ニ復ス 明暦年中妙心寺ニ転シ当国東山梨郡松里村恵林寺末ニ属ス(後略)

▶東八代郡史(ママ)
醫王山楽音寺(同村塩田 臨済宗恵林寺末)
本尊は地蔵尊菩薩。創立を詳にせず。寺記に曰く、聖武天皇の御宇天平十二年、行基菩薩関東巡錫の時、塩田長者寛高の邸に留りて、丈け八寸の薬師如来を手刻し、以て病苦に悩める長者の娘を救へり。長者その霊験に感じ、新に伽藍を築きて薬師如来を安置す。行基更に日光月光及び十二神二天等の仏像を彫刻して配祀す。これ當寺の草創なりと。(中略)

東八代郡御代咲村天神原
恵林寺末
臨済宗妙心寺派 楽音寺
一,本尊 地蔵尊菩薩
一,由緒 推古天皇二年甲寅年創立 天平十戊寅年 行基新タニ本尊地蔵尊及ヒ薬師如来ノ木像ヲ彫刻安置ス、構造ヲ広メ妙亀山楽音寺ト号シ自ラ開祖トナル、嵯峨天皇ノ御于醫王山ト改メ、勅額ヲ賜ル(中略)
一,堂宇 桁間九間半 梁間六間
一,庫裡 桁間七間半 梁間四間
一,仁王門 桁間三間 梁間弐間
一,仮仁王門 桁間三間半 梁間二間
一,通用門 桁間弐間 梁間壱間半
一,厠 桁間壱間半 梁間壱間
一,境内 千三拾五坪
一,境内仏堂 壱宇

薬師堂
本尊 薬師如来
由緒 不詳
建物 桁間六間 梁間四間

▶甲斐国史
巻之七十六
佛寺部 第四 八代郡 大石和筋
一,医王山 楽音寺 塩田村
臨済宗妙心寺末 同宗恵林寺末
御朱印 九百五十坪
本尊ハ薬師
共ニ行基ノ作 額ハ医王殿の三字聖武帝の勅額ヲ大覚ノ模寫ニ依る所。嘗テ夢想アリトテ、婦人血症ノ薬五香湯ヲ出ス(後略)

●臨済宗医王山楽音寺 東八代郡御代咲村字塩田
當寺は當国屈指の古刹にして其濫鷓を繹ぬるに人皇三十三代推古天皇の御宇甲寅二年塩田の長者上洛の際仏法興隆の叡旨を畏み法隆寺に詣りて精含建立の意志を述懐し佛像の得易からざるを歎息す偶々…
異人来りて其策志を遂行せしめんことを約す長者大に喜び匇々国に帰り経営惨憺土木の功を了り、一精舎を建立せり 時に異人飄然として来り一七日間夜を徹して七体の地蔵菩薩を彫刻し長者に興へ去て其行く所を知らず 是即ち當寺の本尊なり 其後聖武天皇の御宇天平一二戌寅年 行其菩薩関東巡錫の時塩田長者寛高の邸に滞留し丈八寸の薬師如来を手刻し病苦に悩める長者の娘を救ふ 長者其霊験に感じ新たに伽藍を増築して薬師如来を安置す 行基更に日光月光及び十二神二天等の仏像を彫刻して配祀す 長者嘗て黄金の寶亀を秘蔵せしを以て山号を妙亀山と命ず 後一醫生あり當山に参詣して薬師如来を信仰し一夜霊夢の中に薬剤の秘法を感得し上洛して衆人の病苦を救ふこと神の如し 時に聖武天皇不豫 醫薬寸効なし 偶々醫生の事天聴に達し詔して其薬を献ぜしむ 即ち霊薬の効空しからず 御全快ありしを以て御感斜めならず重賞あり 醫生之を固締し奉り當山薬師の霊験を上奏す 依て當寺を勅願寺に列し若干の荘園を下賜せらる 時に天平十七年十月なり 更に醫生を三位に叙し施築院に居らしむ 世人是を三位法眼と称す(以下略)
【転載、終わり】

出典が不明な引用文もありますが、『美代咲村史』(注④)には「推古天皇二年甲寅年創立」、〝東八代郡御代咲村天神原 恵林寺末 臨済宗妙心寺派 楽音寺〟の表題を持つ記事には「由緒 推古天皇二年甲寅年創立」とあります。
そして末尾の〝臨済宗医王山楽音寺 東八代郡御代咲村字塩田〟は最も詳しく、「當寺は當国屈指の古刹にして其濫鷓を繹ぬるに人皇三十三代推古天皇の御宇甲寅二年塩田の長者上洛の際仏法興隆の叡旨を畏み法隆寺に詣りて精含建立の意志を述懐し佛像の得易からざるを歎息す偶々・・・
異人来りて其策志を遂行せしめんことを約す長者大に喜び匇々国に帰り経営惨憺土木の功を了り、一精舎を建立せり 時に異人飄然として来り一七日間夜を徹して七体の地蔵菩薩を彫刻し長者に興へ去て其行く所を知らず 是即ち當寺の本尊なり」とあります。
『東八代郡誌』(注⑤)は「本尊は地蔵尊菩薩。創立を詳にせず。」として、創立年代ほ不詳としています。
以上のように、創建年代を記さなかったり不詳とする史料と、「推古二年甲寅年」(594年)とする史料の二系統の伝承があることがわかりました。江戸期成立の地誌『甲斐国志』『甲斐名勝志』には創建年代記事が見えず、より新しい大正・昭和期成立の郡誌・村史には「推古二年甲寅年」とありますから、その出典があるはずです。(つづく)

(注)
①『甲斐国志』松平定能編、文化十一年(1814年)、全124巻。
②『甲斐名勝志』萩原元克編、天明三年(1783年)。
③「臨済宗妙心寺派 医王山楽音寺」《楽音寺について》
http://www17.plala.or.jp/gakuonji/gakuAbH.html#AbH1
④『美代咲村史』伊東英俊著、昭和十三年(1938年)。
⑤『東八代郡誌』山梨教育会東八代支会編、大正三年(1914年)。

フォローする