『二中歴』国会図書館本の履歴
「年代歴」末尾の「不記年号」問題に決着をつけた『二中歴』国会図書館本でしたが、その成立年代や書写者が不明でした。何とかその履歴を知りたいと思い、国会図書館デジタルコレクションで公開されている同写本の画像を拡大熟視したところ、「杉園蔵」と読める蔵書印があることに気づきました。
杉園(すぎぞの)さんという蔵書家のお名前に全く心当たりがなかったため、インターネット検索で調べたところ、杉園(すぎぞの)さんではなく、明治時代の国文学者・日本史学者の小杉榲邨(こすぎおんそん、こすぎすぎむら。1835-1910年)氏の号、「杉園(さんえん)」のことのようなのです。ネット検索によれば次のようにありました。
「天保5年12月30日生まれ。阿波徳島藩主蜂須賀氏の陪臣。江戸で古典などをまなび、尊攘運動にくわわる。維新後は文部省で「古事類苑」を編集し、明治15年東京大学講師、32年東京美術学校(現東京芸大)教授。帝国博物館にも勤務し、美術品の調査や保存にあたる。明治43年3月29日死去。77歳。号は杉園(さんえん)。編著に「阿波国徴古雑抄」など。」
文部省で「古事類苑」を編集されたり、帝国博物館では美術品の調査や保存に関わられたとのことてす。前田尊経閣文庫本の虫喰まで書き写すという国会図書館本『二中歴』の書写方法は、他の一般的な写本とは異なっており、「学術的原型模写」のための書写とすれば、よく理解できます。こうしたことから帝国博物館で美術品の調査や保存に関わっていた小杉榲邨であれば、国会図書館本を所持していたとしても不思議ではありません。ですから「杉園蔵」という蔵書印は『二中歴』国会図書館本の出所が小杉榲邨蔵書であることを示し、学術的模写の痕跡から、おそらくは明治時代に作成されたものと推測できます。
以上のような『二中歴』国会図書館本の履歴が正しければ、前田尊経閣本の「不記」の虫喰や欠損は明治末年頃から更に進んだことになります。わたしの数少ない経験から考えても、虫喰が進んだ古本の取り扱いはとても難しく、虫喰でボロボロになった部分の破損が書写などの取り扱い時に更に進むことは避けられません。もしかすると国会図書館本作成(模写作業)時に、前田尊経閣本の劣化が更に進んだのかもしれません。そのため、後世になって「不記」論争が発生してしまったようです。
なお、学問的に真の問題はここから始まります。31個の九州年号を列記した直後の文書になぜ「不記年号」などと史料事実に反しているような記述がなされたのかという問題です。この「不記年号」問題の本質はここにあります。このことに対するわたしの見解(回答)については拙論「『二中歴』の史料批判 — 人代歴と年代歴が示す『九州年号』」(『古田史学会報』No.30、1999年2月。ミネルヴァ書房『「九州年号」の研究』に収録)に示しましたのでご参照ください。
今回の新史料発見について、8月20日(土)の「古田史学の会」関西例会にて発表予定です。