第2723話 2022/04/19

高良山中にもあった九州王朝の戒壇

 「洛中洛外日記」2706話(2022/03/24)〝下野薬師寺と観世音寺の創建年〟において、『東大寺要録』(巻第六「末寺章第九」)に「下野薬師寺 天智天皇九年庚午」とあることから、九州年号の白鳳十年(670)に下野薬師寺が創建されており、太宰府の観世音寺創建と同年(注①)であることを紹介しました。そして、両寺院が東大寺と共に「天下の三戒壇」と称され、大和朝廷により僧尼受戒の寺院とされていることを考えると、両寺院は九州王朝(倭国)時代の戒壇寺院だったのではないかとしました。
 このことを古田史学リモート勉強会(注②)で発表したところ、日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)から、大善寺(久留米市)に戒壇があったことが『高良記』(注③)に見えるとご教示いただきました。そこで同史料が収録された『高良玉垂宮神秘書同紙背』(注④)を精査したところ、次の記事がありました。

「一、大善寺ハ、長久元年ニ、タテラレタルナリ
 一、大菩薩御法身ノ時ノ カイ チョウ エノミツノハコヲ、ソノホカ 仏タウクヲ、ヘツシユニ ヲサメラレタルナリ、カルカユエニ、天チクム子チノ池ノ水ヲナカシ、アカノミツトカウス、彼ミツノホトリニ、カイタンノ作法 キシキ ヲサメ玉也、法ミフクトク カイタンノシュ仏トサタメ、ヒシヤモンタウヲ 作ヲキ玉フ也、サレハ ホツシニナリ、行ノ時ハ、彼水ヲ アカ水トサタメクム也、コレニヨツテ、高良 出家クハンチヤウノトキ、カイタンフマスニスル也」 同書160頁

「一、三タウトハ、コマタウ クモンチタウ カイタンタウナリ
  コマタウハ 上宮ヘアリ、クモンチタウハ 北谷ニアリ
  カイタンタウハ ヘツシヨニアリ、カイタンノホンソンヲ ヒシヤモンニスルコトハ、法躰聖人ハ ヒシヤモンノケシンナリ、ホツタイシヤウニンノ 彼水本ヘ カイタンヲ オサメラレタル也、カルカユエニ、キヤウニ入ハ アカノ水ニ 彼ミツヲクム也、コレニヨツテ、高良山ノ衆僧 カイタンフマスニ、クハンチヤウセラルヽナリ」 同書161頁

 カタカナが多く難解な文章ですが、おおよそ次のようではないでしょうか。不正確かもしれませんが、古賀訳を示します。

「一、大善寺は長久元年(1040年)に建てられたるなり。
 一、大菩薩御法身の時の戒・定・慧の三の筥(はこ)、その他の仏道具を別所に納められたるなり。かかるが故に、天竺無熱池の池の水を流し、閼伽の水と号す。彼の水のほとりに、戒壇の作法 儀式 納め賜う也。法味福徳 戒壇の主仏と定め、毘沙門堂を 作り置き賜う也。されば法師になり、行の時は、彼の水を閼伽水と定め汲む也。これによって高良 出家潅頂の時、戒壇ふまずにする也。」 同書160頁
「一、三堂とは、護摩堂 求問持堂 戒壇堂なり。
  護摩堂は上宮へあり、求問持堂は北谷にあり、戒壇堂は別所にあり。戒壇の本尊を毘沙門にすることは、法躰聖人は毘沙門の化身なり。法躰聖人の彼の水本へ戒壇を納められたる也、かかるが故に、きやうに入らば閼伽の水に彼の水を汲む也。これによって、高良山の衆僧、戒壇ふまずに潅頂せらるるなり。」 同書161頁

 「戒壇」記事の直前に「大善寺建立」記事があるため、戒壇が大善寺にあったようにも読めますが、「護摩堂は上宮へあり、求問持堂は北谷にあり 戒壇堂は別所にあり」に見える「上宮」(高良大社のこと)「北谷」「別所」はいずれも高良山中にある地名ですので、この「戒壇」「戒壇堂」は高良山中にあったように思います。また、同書付録の「高良玉垂宮神秘書参考地図(1)」にも「別所」に「毘沙門堂」「戒壇」という記載があります。
 『高良記』など高良大社文書によれば、「高良玉垂命」の〝御発心〟を九州年号の白鳳十三年癸酉(673年)、あるいは天武元年を「白鳳元年」とする後代改変型九州年号の「白鳳二年癸酉」(673年)のことと記されています(注⑤)。こうした伝承が正しければ、筑後の高良山に戒壇が設けられ、僧侶の受戒儀式が行われたこととなります。真偽のほどは不明ですが、九州王朝の戒壇寺院研究において検討すべき伝承と思われました。同書「戒壇」記事の存在をご教示いただいた日野さんに感謝します。

《追記》本稿執筆後にブログ「ひもろぎ逍遙」に『高良記』の「戒壇」を紹介した記事「『神秘書』「別所」に天竺から流れて来る水と戒壇があった」があることに気づきました。同ブログのアドレスを記しておきます。ご参考まで。https://lunabura.exblog.jp/30574108/

(注)
①『勝山記』(甲斐国勝山冨士御室浅間神社の古記録)に「白鳳十年鎮西観音寺造」、『日本帝皇年代記』(鹿児島県、入来院家所蔵未刊本)の白鳳十年条に「鎮西建立観音寺」とする記事が見える。次の拙稿を参照されたい。
 古賀達也「観世音寺・大宰府政庁Ⅱ期の創建年代」『古田史学会報』110号、2012年6月。
②各地の研究者と情報交換や勉強を目的として、「古田史学リモート勉強会」を行っている。
③筑後一宮の高良大社(久留米市御井町)に伝わる文書(巻物一巻)。
④『高良玉垂宮神秘書同紙背』高良大社発行、昭和47年(1972)。
⑤『高良玉垂宮神秘書同紙背』に次の記事が見える。本来の九州年号「白鳳」(661~683年)と後代改変型「白鳳」(元年は672年)が混在した珍しい史料である。
「一、天武天皇四十代、御ソクイ二年にタクセンアリテヨリ、外宮ハ サウリウナリ」 17頁
「天武天皇四十代白鳳二年ニ、御ホツシンアリシヨリコノカタ(後略)」 32頁
「人皇四十代天武天皇白鳳二年、(後略)」 39頁
「一、御託宣ハ白鳳十三年也、天武天皇即位二年癸酉二月八日ノ御法心也」 82頁

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