「 日本思想史学会 」一覧

第875話 2015/02/17

松浦光修編訳

『【新釈】講孟余話』を読む

 今朝は加古川行きのJR新快速の車中で松浦光修編訳『【新釈】講孟余話』(PHP研究所、2015年1月)を読んでいます。『講孟余話』は吉田松陰の主著として有名です。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の影響もあり、約20年ぶりに吉田松陰の本を読んでいます。
 前回の「花燃ゆ」は松陰が野山獄で囚人に対して『孟子』の講義を行っている場面でしたが、この『孟子』講義が出獄後も家人らを対象にして続けられ、その講義録が『講孟余話』です。松陰の生き様や思想が綴られており感動的な内容ですが、中でも下田の獄舎での金子重之助(松陰とともに密航しようとした人物)とのことを記した「尽心」上・首章の記述は、学問を志す一人として胸を打たれました。その原文を抜粋します。

 「余(松陰)、甲寅の歳、渋木生(金子重之助の変名)と下田獄に囚はる。僅か半坪の檻に両人座臥す。日夜、無事なるに因(よ)りて番人に頼み、『赤穂義臣伝』・『三河後風土記』・『真田三代記』など、数種を借りて相共に誦読す。時に両人、万死自ら期す。今日の寛典に処せらるべきこと、夢にだも思はざることなり。
 因りて余、渋木生に語り云はく、「今日の読書こそ真の学問と云ふものなり(中略)
 両人獄に在る時、固(もと)より他日の大赦は夢にも知らぬことなり。然れども道を楽しむは厚く、学を好むの至り、斯(かく)の如し。今、吾が輩両人、亦(また)此の意を師とすべし」と云へば、渋木生も、大(おおい)に喜べり。」『講孟余話』(「尽心」上・首章)※()内は古賀による。

 畳一畳の狭い獄舎に繋がれ、死罪になる身にもかかわらず、このような状況だからこそ「真の学問」が行えると、松陰は金子重之助に中国の故事をあげて説明しているシーンの回想です。下田の獄舎での講義を松陰は他の囚人にも聞こえるように大声で行い、この講義を聞いた多くの囚人が感激したと松陰は記しています。この『講孟余話』執筆時も松陰は萩の自宅で謹慎の身でした。
 この獄舎での松陰の行いは、南アフリカのマンデラ大統領が長期の獄中生活にあっても他の囚人への教育活動を続け、「マンデラ大学」と称されていたことと相通じるもので、たいへん感慨深い話です。ですから、山口県の人々(安倍総理も)が今も吉田松陰のことを「松陰先生」と敬愛の念を込めて呼ぶことは深く理解できるのです。
 現代日本では、学問や歴史の真実よりも、お金・地位・名誉が大切な御用学者による御用史学が跋扈しています。このような時代だからこそ、わたしたち古田学派は吉田松陰のように「真の学問」が行えるのであり、それは大いに喜ぶべきことと思われるのです。


第842話 2014/12/27

日本思想史学会の使命

 日本思想史学会の「News Letter No.21(冬季号)」(2014.12.22)が届きました。わたしは古田先生のお勧めで同学会に加入していますが、年次総会で2度ほど研究発表をしたことがあります。筑波大学(2003年)で「二倍年暦」、京都大学(2004年)で「九州年号」について報告しました。
 日本思想史学会は古田先生の恩師、村岡典嗣(むらおか・つねつぐ)先生が東北大学で始められた日本思想史研究を淵源として創立された伝統ある学会で、人文系の様々な分野の研究者約700名が加入しています。しかしながら近年これほど日本の倫理や思想が大きな問題となっているにもかかわらず、現在を生きている人間やその未来に貢献できるような研究や発表が見られないことを不満に思い、同学会へ積極的には関わらず、一会員として外から眺めていました。
 そうしたとき、今回送られてきた「News Letter No.21(冬季号)」に掲載されていた東北大学の佐藤弘夫さんの「会長退任にあたってのご挨拶」に次の一文に目がとまり、わたしと同様の思いを抱いておられていることを知り、ちょっと嬉しくなりましたので紹介します。

 「日本社会ではいま、地球温暖化や原発問題に加え、ヘイトスピーチやネットでの誹謗中傷など、心の劣化ともいうべき現象が深く静かに進行しています。これらの問題の深刻さは、これが近代化と文明化の深化に伴って浮上したものだということです。いまそこにある危機が近代化の深まりのなかで顕在化したものであれば、人間中心主義としての近代ヒューマニズムを相対化できる長いスパンのなかで、文化や文明のあり方を再考していくことが必要でしょう。
 人類が直面している課題と危機を直視しつつ、人類が千年単位で蓄積してきた知恵を、近代化によって失われたものを含めて発掘していくこと、それこそがいま日本思想史を含めた人文科学に求められている任務であると私は考えています。今後、人類の課題と将来を見据えたこうした議論もぜひ深めていきたいものです。」

 冒頭の「地球温暖化」を除けば(この17年間、地球は温暖化していない)、佐藤さんのご意見は大変もっともなものです。佐藤さんとは古田先生のご紹介で日本思想史学会でお会いしたことがあるのですが、実はそれよりもかなり前から佐藤さんのことをわたしは知っていました。日蓮遺文に関する佐藤さんの論文を京都府立総合資料館で読んだことがあり、その論証の方法が古田先生に似ているので、興味を引かれ、お名前が記憶に残っていました。古田先生にそのことをお話ししたところ、佐藤さんは東北大学の後輩にあたり、日本思想史学会で活躍されていることを教えていただきました。
 その後も佐藤さんは活躍され、わたしも佐藤さんの著書『アマテラスの変貌』(法蔵館、2000年)と共著『日蓮大聖人の思想と生涯』(第三文明社、1997年)を読ませていただきました。いずれも好著でした。その佐藤さんは日本思想史学会の会長を歴任され、今年、退任されました。村岡典嗣先生が切り開かれた日本思想史学という学問が、東北大学で今も受け継がれていること、そして佐藤さんのような優れた研究者が支えておられることに、学問の持つ真実の力を見たような気がしました。「古田史学の会」からも日本思想史を研究される方が出られることを願っています。


第685話 2014/03/29

『立正安国論』と『三教指帰』

 わたしは三十代の若き日より、古田先生のもとで日本古代史を学び、自ら研究も行ってきましたが、同時に古田先生の影響を受けて親鸞研究などの日本思想史についても初歩的ではありますが、勉強する機会を得ました。現在、わたしが日本思想史学会の会員であるのも古田先生の薫陶と推薦を受けてのことです。
 わたしは1991年に発表した論文「空海は九州王朝を知っていた」(『市民の古代』13集所収、新泉社)を執筆するにあたり、会社が休みの日は京都府立総合資料館に終日閉じこもり、空海の著作・書簡(全集など20冊以上はあったように思います)を片っ端から読みました。正確には「読む」というよりも「目を通し」ました。こんな無茶な「読書」は若かったからできたことで、今では体力的にも到底できるものではありません。この乱読により、何となく空海の生き様や思想の一端に触れることができ、この経験がわたしにとって初めての日本思想史研究に関わるものでした。
 その翌年には「日蓮の古代年号観」(『市民の古代』14集所収、新泉社。1992年)を発表したのですが、空海のときと同様に膨大な「日蓮遺文」を読み進めました。そして日蓮の代表作のひとつ『立正安国論』(1260年、北条時頼に提出)を読んだとき、その構成や文章に空海の『三教指帰(さんごうしいき)』(797年成立)に似た表現があることに気づきました。
 たとえば、『三教指帰』は仏教・道教・儒教のそれぞれの立場の人物による対話形式をとった構成で、いわば比較思想学の先駆けともいえる著作です。そして、結論として仏教が最も優れているということを主張しています。日蓮の『立正安国論』も主人と客との対話形式をとり、結論として法華経が最も優れた教えであり、国家や民衆を救うために法華経を採用すべきという結論へと導いた内容です。
 似ているのは対話形式という構成だけではなく、たとえば次のような類似点があります。
 空海『三教指帰』巻上
 「善いかな、昔、雀変じて蛤となる。(中略)鳩の心忽ちに化して鷹となる」
 日蓮『立正安国論』第九答
 「鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦しいかな(後略)」
 この他にも『三教指帰』中に見える文章と類似したものがあり、日蓮は空海の『三教指帰』を読んでおり、その影響を受けているのではないかという仮説に、わたしは至ったのです。博覧強記の日蓮であれば、空海の著作を若い頃に修学していたことは、十分に考えられることです。
 この発見を論文として発表するために、本格的に先行説や関連研究について調査を始めたのですが、なんと、昭和41年に同様の指摘が発表されていたことがわかりました。それは岡田栄照さんによる「日蓮遺文にみられる空海の著作」(『印度学仏教学研究』第15巻 第1号所収、昭和41年。日本印度学仏教学会)という論文です。そこには「日蓮遺文」と空海の著作について次のように記されていました。
 「日蓮が修学時代に素読用として使用し、安国論の文体に影響を与えている三教指帰には法華経、法華経文句、摩訶止観が引用されている」
 この学問分野では「日蓮遺文」に空海の著作の影響があることは、既に知られていることだったのでした。この岡田論文に接したとき、わたしの「新発見」が「ぬか喜び」となった残念さと、危うく先人の研究業績を侵害し、自らの不明をさらすところだったと冷や汗をかきました。このときの経験以来、わたしは新説発表の際に先行説の有無に、より注意するようになりました。
 今でも『古田史学会報』編集責任者として投稿原稿の採否では、先行説の有無の確認にいつも悩まされています。30年前(「市民の古代研究会」時代)からの古田学派内の全ての研究論文を知っているわけでもありませんし、記憶しているわけでもありません。そのため、西村秀己さん、不二井伸平さんによるチェックも経てはいますが、どうしても不安な場合は水野代表や他の研究者に聞いたりしています。将来、「古田史学の会」ホームページなどが更に拡充され、全ての古田学派の研究がデジタル化されれば、この問題は大幅に解消されるでしょう。


第144話 2007/09/23

藤樹神社を訪ねて

 昨日はヴィッツを借りて滋賀県へドライブしてきました。三連休の初日ということもあって、ラクティスやプリウスなどの希望車種は予約が満杯で借りることができませんでした。

 今回のドライブの前半では、洛北八瀬大原から途中トンネルを抜け、朽木村を通り、高島市の藤樹神社を訪ねました。言わずと知れた、近江聖人中江藤樹 (1608〜1648)を祀った神社です。神殿を参拝した後、境内にある藤樹記念館を見学。改めて偉大な人物に触れることができ、感動しました。藤樹関連書籍が販売されていましたので、『中江藤樹のことば−素読用』中江彰編を買い、読んでいます。その後、近くにある藤樹の墓所にも寄って、手を合わせまし た。
   『中江藤樹のことば−素読用』の中から、特に印象に残った言葉をご紹介しましょう。
 
    千里をかよう誠(まこと)
  思ひ出は学びし本(もと)の心より千里を通う誠忘るな。(和歌「森村叔の行を送る」)
 
 遠くから藤樹に学びに来た門人へ宛てた和歌で、学んだ中味よりも、遠い近江の僻遠の地にやってきた、そのまことの心を決して忘れてはならない、という内 容です。古田史学の会関西例会へ、相模原市から新幹線で毎月参加される冨川ケイ子さんのような熱心な門人がいたのですね。
 
    同志の交わり
  同志の交際は、恭敬を以て主と為すべし。和睦を以てこれを行ひ、一毫も自ら便利を択(えら)ぶべからず。もとって勝たんことを求むるなかれ。(「学舎坐右戒」)
 
 同志は、たがいにうやうやしい態度で接すること。なかむつまじく、いささかも自分の都合勝手なことをしてはならない。心ねじけて人に勝つなかれ、という 内容は深く考えさせられます。古田史学の会の会員は同志のようなものですから、この藤樹の言葉を私も噛みしめたいと思いました。


第71話 2006/04/16

放棄された巨大石造物と九州王朝

 昨日の関西例会では、意表を突いた新説が竹村順弘さんより発表されました。それは、古代の巨大石造物として有名な播磨の石宝殿などが建造途中で放棄され たのは、九州王朝の滅亡によるものではないかという仮説です。700トンもある巨大石造物ですから、強大な権力者による一大プロジェクトと考えられます が、それなら何故建造途中で放棄されたのかが不明です。こうした問題意識を竹村さんは持たれ、九州王朝の滅亡という国家的変動がその理由ではないかと考え られたのです。これは、言われてしまえばその通りで、従来の一元史観では説明できないテーマではないでしょうか。この問題も『古田史学会報』に書いていた だく予定ですので、お楽しみに。
 冨川ケイ子さんは前月に続いて、中巌円月の『日本書』が禁書になったことによる後世への影響について発表されました。今回は水戸光圀が林羅山らによる『本朝通鑑』編集に圧力を加え、皇国史観一辺倒に記述を変更させたことなどが紹介されました。これも日本思想史上の貴重なテーマで、これからの展開が楽しみで す。
また、新入会の高橋勲さんからは神武の上陸地点についての発表があり、質疑応答が活発になされました。新人の参加により、関西例会はますます白熱してきました。二次会は久しぶりに西井さんの幹事復活で、こちらも盛り上がりました。

  〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
  ○ビデオ鑑賞「東アジア文化と日本」
  ○研究発表
  1)『史記』と『漢書』(豊中市・木村賢司)
  2)筑後将士軍談・他(木津町・竹村順弘)
  3)中国歴代皇帝即位年と年号(奈良市・飯田満麿)
  4)中巌円月『日本書』がもたらしたもの・その2(相模原市・冨川ケイ子)
  5)九州年号のONライン−「大長」年号の史料批判−(京都市・古賀達也)
  6)神武の上陸地点「蓼津」の発見(長岡京市・高橋勲)
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・大和三山多元成立説・他(奈良市・水野孝夫)


第33話 2005/10/06

日本思想史学会で古田先生が研究発表

 わたしは職業柄、自然科学系の学会(繊維学会・他)によく出席しますが、古田先生の紹介もあり、人文系の日本思想史学会の会員でもあります。そして、恐れを知らないというか、素人の大胆さというか、一昨年は筑波大学で二倍年暦を、昨年は京都大学で九州年号の研究発表をしました。
 筑波大学の時は、人文系の学会での初めての発表でしたので、かなり緊張しました。発表前日の夜はホテルで何度も発表の練習をしましたし、質疑応答のイメージトレーニングも繰り返したものです。二回目の京都大学では自宅から会場が近いし、九州年号研究に関しては自信もありましたので、余裕を持って発表できました。ただ、聴講されていた木村賢司さん(本会会員、豊中市)の感想としては、「今までになく、怖い顔して発表していた」とのことでした。
 今年の日本思想史学会は東京大学駒場キャンパスで開催されますが、そこで古田先生が研究発表されます。関東地域の方は是非聞きに行かれてはどうでしょうか。学会独特の雰囲気を経験されるのも面白いかと思います。なお、わたしは諸般の事情で、今回は欠席します。日時や会場は次の通りです。

〔2005年度日本思想史学会大会〕
日時 10月29日(土)13:00〜17:00
   ○シンポジウム「転生する神話─『日本思想史』は描きうるか」
   10月30日(日)9:30〜17:00
   ○研究発表・パネルセッション
会場 東京大学駒場キャンパス 教養学部13号館

〔古田先生の研究発表〕済み
第2日 10月30日(日)午前9:30〜10:00
テーマ 「大化改新の信憑性について(井上光貞氏)」の史料批判
会場 第一会場 2階1321教室