松本郁子さんの思い出と業績 (5)
若くして太田覚眠研究の先駆者となった松本郁子さんは、古田先生にとっても特別の存在でした。周囲からも古田先生の〝愛弟子〟と見られていましたし、そのように紹介する人も少なくなかったと思います。たとえば鈴岡潤一さん(邪馬壹国研究会・松本の代表、古田史学の会・全国世話人)もそのお一人です。松本さんの紀行文「松本深志の志に触れる旅 輝くすべを求めて」に、鈴岡さんとの出会いの様子が記されています(注①)。
〝その深志に私は憧れた。私自身はもちろん、深志の卒業生ではないけれど、第二の母校のように感じ、憧憬の念を憶えずにはいられないのである。その松本深志の志に触れるべく、私は旅に出た。二〇〇七年(平成一九)の秋の日のことである。(中略)
いよいよ憧れの深志高校を訪れた。深志には現在、鈴岡潤一先生といって、希望者に対して行われる「尚学塾」という課外授業(土曜日)で古田説による古代史の授業をされている社会科の先生がおられる。(中略)私は鈴岡先生に後ろの空いている席に座るよう指示され、おずおずと席についた。いち早く「突然の来訪者」の存在に気付いた生徒は、「誰、この人?」という好奇の眼を私に向けている。
授業開始前、鈴岡先生が「後ろに座っているあの美人は誰だろう、とみんな気になっていると思う。あの方は、松本郁子さんといって、私が尊敬している古田武彦先生のお弟子さんで、京都大学で博士号をとられた方です。それでは松本さん、簡単に自己紹介をお願いします」と、冗談交じりに紹介して下さると、生徒たちが一斉に後ろを振り返った。クラス中の瞳がこちらを見つめている。緊張した。〟
先生ご自身も松本さんを「無二の後継者」と公言されました(注②)。
〝今回の日露極東シンポジウムの第二日目(九月四日)、若い日本の研究者によって注目すべき研究発表が行われた。
「太田覚眠と日露の人間交流」と題する、松本郁子さんの研究(論旨配布。日本語・ロシア語)である。(中略)
太田覚眠は、このウラジオストクで三十年近く、浦潮本願寺(西本願寺系)の代表を勤めた傑僧であるが、この研究によってわたしははじめてこの人物の“忘るべからざる思想と行動”を知った。
松本さんの研究はさらに進展した。「覚眠思想」のもつ独自の意義を明らかにすると共に、瞠目すべき学問上の方法論を切り開かれた。「コンプレックス・ラグの理論」である。この松本原則は今後の歴史・思想等の研究において、忘るべからざる道標となるであろう。松本さんは今問題のロシア語に強い。無二の後継者が現れたことを喜びたい。〟
このとき(2003年)の古田先生のロシア(ウラジオストク)訪問に、通訳として同行されたのが松本さん(当時23歳)でした。日本思想史学、なかでも親鸞研究は古田先生にとって〝母なる領域〟です。その分野に彗星の如く現れた「無二の後継者」が松本郁子さんだったのです。(おわり)
(注)
①松本郁子「松本深志の志に触れる旅 輝くすべを求めて」(『古田史学会報』84号、2008年。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou84/kai08405.html
②古田武彦「言素論(Ⅱ)」『多元』59号、2004年。