古田史学の会一覧

第2838話 2022/09/17

九州年号関連研究三件の発表

 本日はドーンセンター(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。
 今回の例会では、珍しいことに九州年号関連の研究が三件発表されました。特に興味深く拝聴したのが、萩野さんの発表で、白雉開元の儀式が行われたのは前期難波宮ではなく、太宰府とするものでした。古田先生がご健在の時、先生(太宰府説)とわたし(前期難波宮説)とで厳しく論争したテーマでしたので、当時のことを思い出し、懐かしい気分になりました。このときのことを拙稿「古田先生との論争的対話 ―『都城論』の論理構造―」(『古田史学会報』147号、2018年)で紹介していますので、ご参照ください。
 正木さんからは九州年号の訓みについての試案が発表されました。基本的には日本呉音と思われるが、途中から日本漢音に変化した可能性についても言及されました。難しいテーマなので例会参加者を交えて検討が行われました。従来「ぜんき」と訓まれていた善記は、日本呉音では「ぜんこ」になり、白雉・白鳳は「びゃくち」「びゃくほう」、大化に至っては「たいけ」になるとのことで、ちょっと驚きました。『古代に真実を求めて』26集に大原重雄さん作成の「九州年号年表」を掲載しますので、そこに九州年号の訓みが付記される予定です。
 9月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

 なお、例会後の懇親会では、関西例会のリモート参加について役員とネット配信担当者とで検討を続けました。希望される「古田史学の会」会員に参加登録費(初回のみ)をお支払いいただいて、関西例会へのリモート参加を認める方向で話しがまとまりました。これから、具体的な検討に入ります。

〔9月度関西例会の内容〕
①日本書紀に出現する九州年号の成立に関する作業仮説(茨木市・満田正賢)
②白雉開元式は本拠地で(東大阪市・萩野秀公)
③神代七代の神(三)(大阪市・西井健一郎)
④『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について(神戸市・谷本 茂)
⑤『隋書』俀国伝の「此後遂絶」の解釈(京都市・岡下英男)
⑥装飾古墳絵画の馬に乗る小さな子(大山崎町・大原重雄)
⑦倭国にあった二つの王家 ―海幸山幸説話―(八尾市・服部静尚)
⑧不改常典とは(八尾市・服部静尚)
⑨九州年号の訓み(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 10/15(土) 会場:ドーンセンター(大阪市中央区)
 11/19(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)


第2810話 2022/08/17

『古田史学会報』171号の紹介

 『古田史学会報』171号が発行されました。一面には正木裕さんの〝「室見川の銘版」と倭王の陵墓・祭殿〟が掲載されました。古田先生が『ここに古代王朝ありき』(注)で初めて学界にその重要性を提起した「室見川の銘版」ですが、古田先生に次いで本格的な銘文の史料批判を試みたのがこの正木稿です。倭国(九州王朝)の墓誌(棟札)研究の起点にもなり得る優れた研究ではないでしょうか。
 拙稿〝初めての鬼ノ城探訪 ―多元的「鬼ノ城」研究序論―〟を掲載していただきました。これは本年五月に初めて訪れた鬼ノ城の調査報告書を九州王朝説の視点から検討したものです。まだ、初歩的な研究ですので、これからも鬼ノ城を注視していきたいと思います。
 服部さんの論稿〝二倍年暦・二倍年齢の一考察〟は、『論語』など周代史料が二倍年暦(二倍年齢)で書かれているとするわたしの研究への疑問点を提示されたものです。この論争は関西例会などで数年前から行われてきました。〝学問は批判を歓迎する〟とわたしは考えていますので、こうした批判論文はありがたいものです。学問的な反論とは別に、二倍年暦研究の経緯や古田先生との「共同作業」などについて、詳しくご存じない会員や読者のために整理記録しておく必要を感じました。関係者やわたしの記憶が確かなうちにその作業を進めたいと思います。
 171号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』171号の内容】
○「室見川の銘版」と倭王の陵墓・祭殿 川西市 正木 裕
○二倍年暦・二倍年齢の一考察 八尾市 服部静尚
○若狭ちょい巡り紀行 年縞博物館と丹後王国 東大阪市 萩野秀公
○初めての鬼ノ城探訪 ―多元的「鬼ノ城」研究序論― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十七
 「利歌彌多弗利」の事績 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会 第二十八回会員総会の報告
○古田史学の会・関西例会のご案内

(注)古田武彦『ここに古代王朝ありき 邪馬一国の考古学』朝日新聞社、昭和五四年(一九七九)。ミネルヴァ書房より復刻。


第2789話 2022/07/17

『九州倭国通信』No.207の紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.207が届きました。同号には拙稿「大化改新と王朝交替 ―改新詔が大化二年の理由―」を掲載していただきました。拙稿は、『日本書紀』孝徳天皇大化二年条(646年)に見える一連の大化改新詔には、九州年号の大化二年(696年)に近畿天皇家(持統)により出されたものと、九州年号の命長七年(646年)に九州王朝から出されたものとが混在していることを論じたものです。そして、九州年号の大化二年に出された改新詔は、九州王朝から大和朝廷への王朝交替の準備段階の詔勅であり、その翌年(697年、文武元年)に文武が天皇に即位していることを指摘しました。
 今回の207号は、縦書きの論稿は拙稿を含めて3編で4ページ、それ以外の12ページは横書きでした。「九州古代史の会」の決算・予算報告などが横書きで掲載されていることはありますが、古代史の会報も横書き主流の時代に入ってきたのかも知れません。注目すべき傾向です。


第2788話 2022/07/16

室見川の銘版は「墓誌」か

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会では、意表を突かれた発表がありました。正木さんの「倭国(九州王朝)略史」です。天孫降臨から大和朝廷との王朝交替までの九州王朝の略史をパワーポイント画像で説明するという画期的な試みでした。その冒頭部分で紹介された九州王朝金石文「室見川の銘版」について、従来の古田説では王宮造営を記したものとされてきたのですが、その文面の研究により、正木さんは墓誌ではないかとされたのです。わたしはこの墓誌説に驚きました。確かに、王宮よりも陵墓(吉武高木遺跡か)造営のことを記したとする解釈は有力です。
 その上で、わたしは次の提案を行いました。墓誌であれば被葬者名と没年月日の記載が最低限必要だが、同銘版には年次(延光四年、西暦125年)のみで被葬者名がない。従って、広い意味での墓誌としての性格を有すとは思われるが、むしろ寺社創建・再建時に付される「棟札」のようなものではないか。学術的により適切な名称が望ましい、という提案です。
 「棟札」が古代まで遡るものかは知らないのですが、より近い表現としては、現代の建築物に付設される「定礎」のようなものかもしれません。いずれにしても、正木さんの墓誌説は古田説を進化・発展させる優れた仮説です。

 7月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔7月度関西例会の内容〕
①乙巳の変は九州王朝による蘇我本宗家からの権力奪還の戦いだった(茨木市・満田正賢)
②神代七代神名の解析(一)「常立神と豊雲野神」(大阪市・西井健一郎)
③『古事記』における「王」(たつの市・日野智貴)
④裴世清は九州内部を陸行した(京都市・岡下英男)
⑤倭国(九州王朝)略史(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 08/20(土) 会場:ドーンセンター


第2781話 2022/07/03

『多元』No.170の紹介

 友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.170が届きました。同号には拙稿「『日本書紀』は時のモノサシ ―古田史学の「紀尺」論―」を掲載していただきました。同稿は、古田先生が「紀尺」と名づけた編年方法を解説したものです。それは、中近世文書に見える古代の「○○天皇××年」という記事について、その実年代を当該天皇が実在した年代で理解するのではなく、「○○天皇××年」を皇暦のまま西暦に換算するという編年方法(『東方年表』と同様)です。
 当号には『隋書』俀国伝に見える里程記事が短里か長里かをテーマとする論稿三編(注①)が掲載されており、同問題が活発に論議されているようです。こうした真摯な論争・検証は学問の発展には欠かせません。このテーマはすぐには決着がつきそうにありませんが、それは次のような克服すべき二つの問題があるためと考えています。一つは、短里なのか長里なのかを峻別するための史料批判や論証が簡単ではないこと。もう一つは、当時(隋代・唐代)の1里が何メートルなのかという実証的な問題です。
 現在の論争は主に前者の史料解釈の当否を巡って行われていますが、わたしは後者の問題をまず検証すべきと考えています。特に『旧唐書』に見える中国々内の里程記事は、1里を何メートルに仮定しても、全ての、あるいは大半の里程記事を矛盾無く表すことが出来ず、実際の距離と乖離するケースが少なくないからです。わたし自身もこの問題に苦慮しています(注②)。従って、本テーマは結論を急がず、各論者の仮説の発展に注目したいと思います。
 同誌末尾の安藤哲朗会長による「FROM 編集室」に次の一文があり、体調を崩されているのではないかと心配しています。
 「◆人身受け難し(台宗課誦)◆私もあと短期ののち古田先生の忌に従うであろう◆」
 洛中より、御快復を祈念しています。

(注)
①「隋書・日本書紀から見えてきた倭国の東進」(八尾市・服部静尚)、「海賦について」(清水淹)、「会報、友好誌を読む」(横浜市・清水淹)。
②古賀達也「洛中洛外日記」2642~2660話(2021/12/21~2022/01/13)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (1)~(10)〟


第2771話 2022/06/22

「トマスによる福音書」と

     仏典の「変成男子」思想 (6)

 日本列島への仏教初伝や経典受容期における女人救済思想についても検討することにします。他国とは異なって、日本神話では女神の天照大神を最高神としたり、宗像三女神が崇敬されたりしています。倭人伝に見える邪馬壹国の女王俾弥呼の登場などを考えると、古代日本では比較的女性は尊重されており、インドや西洋とは少々様相が異なっているようにも思われます。そこで、史料事実を重視して、実証的に考察してみます。
 日本列島への仏教の伝来や影響を考える場合、わたしたち古田学派としては当然多元史観・九州王朝説を基礎とする多元的伝来への配慮が必要です。そこで、最初に『日本書紀』を中心として近畿天皇家(近畿地方)の受容について見てみます。近畿天皇家の勢力が仏教を公的に受け入れたのは『日本書紀』によれば、敏達十三年条(584年)のことであり、最初に受容したのは蘇我馬子らです。

〝(敏達天皇十三年)秋九月、從百濟來鹿深臣闕名字、有彌勒石像一軀、佐伯連闕名字、有佛像一軀。
 是歳、蘇我馬子宿禰、請其佛像二軀、乃遣鞍部村主司馬達等・池邊直氷田、使於四方訪覓修行者。於是、唯於播磨國得僧還俗者、名高麗惠便。大臣、乃以爲師、令度司馬達等女嶋、曰善信尼年十一歳、又度善信尼弟子二人。其一、漢人夜菩之女豊女名曰禪藏尼、其二、錦織壼之女石女名曰惠善尼。壼、此云都苻。
 馬子獨依佛法、崇敬三尼。乃以三尼付氷田直與達等、令供衣食經營佛殿於宅東方、安置彌勒石像、屈請三尼大會設齋。此時、達等得佛舍利於齋食上、卽以舍利獻於馬子宿禰。馬子宿禰、試以舍利置鐵質中振鐵鎚打、其質與鎚悉被摧壞、而舍利不可摧毀。又投舍利於水、舍利隨心所願浮沈於水。由是、馬子宿禰・池邊氷田・司馬達等、深信佛法、修行不懈。馬子宿禰、亦於石川宅修治佛殿。佛法之初、自茲而作。〟(注①)

 この記事が示す重要な〝史料事実(『日本書紀』編者の主張)〟は次の点です。

(1)百済からもたらされた弥勒菩薩石造ともう一つの仏像を蘇我馬子が受け入れ、崇敬した。
(2)男性ではなく、なぜか若い女性三人(善信尼〈11歳〉・禅蔵尼・恵善尼)を出家させた。
(3)近畿天皇家の下には僧侶がいないため、播磨国にいた還俗僧の高麗の惠便を法師として三人を〝得度〟させた。
(4)仏舎利を得た蘇我馬子は仏殿を造り、敬った。
(5)「佛法之初、自茲而作」、こうして仏法は始まった。

 この一連の記事で最も注目すべきは、(5)の近畿天皇家(近畿地方)への「仏法初伝」を敏達十三年(584年)とする記事です。現在の通説(近畿天皇家一元史観)では、わが国(大和朝廷)への仏教伝来を欽明十三年(552年)、あるいは宣化三年(538年)としてきましたが(注②)、天皇家の正史『日本書紀』には敏達十三年のこととしています。この史料事実は重要です。
 次に注目すべき記事が、若い女性を尼僧として出家させていることです。古代日本での仏教による女人救済思想を考える上で、この近畿地方での〝仏法の初め〟が若い(幼い)女性の出家であることは、百済からもたらされた仏像が弥勒菩薩像であることと共に重要な視点ではないでしょうか。(つづく)

(注)
①日本古典文学大系『日本書紀』岩波書店。
②古賀達也「倭国に仏教を伝えたのは誰か ―「仏教伝来」戊午年伝承の研究―」『古代に真実を求めて』第一集(古田史学の会編、1996年。明石書店から復刊)において、次のように中小路駿逸氏(元追手門学院大学教授)の見解を紹介した。
〝それに対して多元史観の立場から果敢な史料批判を試みられたのが中小路駿逸氏でした。氏は近畿天皇家への仏教初伝は『日本書紀』が「仏法の初め」と自ら記している敏達十三年(五八四)であり、しかもそれは百済からではなく播磨の還俗僧恵便からの伝授と記されていることを指摘され、永く通念であった欽明十三年の記事は「仏教文物の伝来」であって「仏教の伝来」ではないと喝破されました。更に返す刀で、『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺伽藍縁起』などに見える、百済から戌午の年に伝来したとする説は近畿天皇家の伝承にはあらず、なぜなら『日本書紀』には播磨の恵便から仏法が伝わり、大和でも出家者が出たことをもって「仏法の初め」と明記されているからであると、言われてみればあまりにも単純明瞭な史料事実と論理を示されたのでした。その上で、百済から戊午の年に伝来したとされるのは九州王朝への仏教初伝伝承であり、その時期は四一八年の戊午である蓋然性が大きいとされました。


第2769話 2022/06/20

竹村さんからの提案、ボカロ版「洛中洛外日記」

 昨日の出版記念講演会は全国の会員・会友を対象にネットで生配信しました。「古田史学の会」が採用している配信機器は当初と比べ、性能は上がりコンパクトになりました。そのシステムを優れたテクニカルスタッフ(横田幸男さん、久冨直子さん、竹村順弘さん)が運営しています。聞けば、ハイスペックの機種で、操作も難しいとのこと。
 今回からは講師の声を収音マイクではなく、専用の小型マイクでとり、それを会場最後尾に設置したホストPCへ飛ばし、そこから全国配信する新システムを採用しました。おかけで音声や画像がきれいに配信できるようになりました。スタッフの皆さんに感謝します。
 ホームページ「新・古代学の扉」を横田さん(古田史学の会・全国世話人、インターネット事務局担当)が立ち上げて以来、「古田史学の会」ではインターネットを重視してきました。「洛中洛外日記」のリリースも、「新・古代学の扉」へのアクセス件数が増えるようにと始めたものです。その後、FaceBookにも参入しましたが、web環境やその社会的影響力は拡大を続け、SNSの進化によりコンテンツやビジネスモデルは劇的に変化しました。「古田史学の会」のインターネット事業にも新たな分野への挑戦が必要と感じています。
 そのようなとき、昨日の「古田史学の会」全国世話人会終了後に、竹村さん(古田史学の会・事務局次長、木津川市)から面白い提案を受けました。古田史学の紹介動画として、10~15分ほどのボーカロイドやトークロイド(注①)による解説番組やボカロ版「洛中洛外日記」を制作してはどうかというものです。ボーカロイドといえば初音ミクさんの「虹色蝶々」や「千本桜」をよく聴いていましたが、古代史の解説に使うという発想には至りませんでした。実際にどのように使用されているのかを久冨さんにうかがったところ、「ゆっくり動画」というサイトがあり、古代史のコンテンツもあることを教えていただきました。
 実現のためには技術的な問題の他、内容そのものに魅力がないと効果が見込めません。どのような層をターゲットとできるのかも含めて検討したいと思います。ボーカロイドやトークロイドに詳しい方のアドバイスをいただければ幸いです。

(注)
①トークロイドとは、本来歌うために作られたボーカロイド(VOCALOID)で喋りの質を追い求めた動画に付けられるタグである。(ニコニコ大百科の解説による)
②「虹色蝶々」初音ミク。
https://www.youtube.com/watch?v=3qYHaLlGyWs
 「千本桜」初音ミク。
https://www.youtube.com/watch?v=Mqps4anhz0Q


第2768話 2022/06/19

古代史の争点 KANSAI出版記念講演会

 

服部氏全編まとめ

俾弥呼の鏡~俾弥呼がもらった鏡は三角縁神獣鏡か?

服部静尚

 

https://www.youtube.com/watch?v=-iK4UxLCfpg

hattori619

 

 

正木氏全編まとめ

俾弥呼は漢字を用いていた

邪馬壹国の官名~太夫・泄謨觚・柄渠觚・兕馬觚の真実

正木裕

 

https://www.youtube.com/watch?v=LC_KWXaMKk8

masaki619

 

質問は、省略しました。

 

関西例会と記念講演会を開催しました

 本日はアネックスパル法円坂で、「古田史学の会」関西例会と『古代史の争点』出版記念講演会・会員総会が開催されました。お昼休みには全国世話人会を開催し、総会議案の承認と今後の事業方針などについて審議しました。来月の関西例会は7月16日(土)にドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会は午前中だけでしたので、発表は大原さんと西井さんの2名だけになりました。例会冒頭には正木事務局長より会員総会・記念講演会の段取りと受付などの協力要請がありました。関東からは久しぶりに冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人、相模原市)が参加され、関西のメンバーと旧交を温めました。

 6月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔6月度関西例会の内容〕
①火の国なる秦王国を訪れた裴世清(大山崎町・大原重雄)
②飛鳥時代の新羅(大山崎町・大原重雄)
③『古事記』神世七代のアイヌ語地名(大阪市・西井健一郎)

 午後の記念講演会の講師と演題は次の通りでした。
○服部静尚さん 「俾弥呼の鏡~俾弥呼がもらった鏡は三角縁神獣鏡か?」

○正木 裕さん  「邪馬壹国の官名 — 俾弥呼は漢字を用いていた」


第2766話 2022/06/18

YouTube「考古学は

なぜ『邪馬台国』を見失ったのか」が好評

 5月1日、京都で行った講演「考古学はなぜ『邪馬台国』を見失ったのか」が好評です(注①)。一昨日、正木裕さん(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師)からのご連絡で知ったのですが、同講演のユーチューブ動画(注②)のアクセス件数が短期間で二千件を越えたとのことです。わたしも驚いて確認したところ、この数日は1日百件のペースで増えているようです。自分が映っている動画など恥ずかしくて、今までほとんど見なかったのですが、今回ばかりは最後まで見ました。
 講演会当日はご近所の京極学区(注③)の役員方も数名参加され、「おもしろかった」「わかりやすかった」とお褒めの言葉をいただきました。内容も一般市民向けであることを意識したものでしたが、web上で注目されていることから、タイトルも大切であると思いました。「古田史学の会」創立以来、インターネットでの発信に注力し、ホームページの充実を計ってきました。ホームページ「新・古代学の扉」は横田幸男さん(古田史学の会・全国世話人、東大阪市)に担当していただいていますが、わたしたちが思っている以上に大きな影響力を持っているようです。最近も、某大学教授のブログで『古代史の争点』(注④)をご批判をいただきましたが、わたしたちのホームページ、特に「洛中洛外日記」をしっかりとお読みいただいていることが、その文面からはうかがえました。
 また、お気づきの読者も多いと思いますが、今年になってホームページでのユーチューブ動画配信を一段と強化しました。これは竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長、木津川市)のご尽力によるものです。これからは主催講演会のリモート配信なども積極的に進めて行ければと考えています。既に関西例会では常連参加者を対象としてリモート参加を試験的に導入しています。こちらは竹村さんと久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部、京都市)に担当していただいています。克服すべき課題もありますが、機材も揃えましたので更に拡充していきたいと思います。

(注)
①「市民古代史の会・京都」主催の古代史講演会。5月1日、京都駅前のキャンパスプラザ・京都で開催。コロナ禍が落ち着いてきたこともあり、会場は満席となった。古賀と正木裕氏が講演した。
https://youtu.be/9Kl8XjiaWp0
https://youtu.be/vN4KJEQgSlU
https://youtu.be/kEXqLpe5FjQ
③京都市上京区の京極小学校を中心とした学区。同校は明治の学制発足時からの伝統校で、湯川秀樹氏の母校でもある。わたしの娘も同校の卒業で、湯川博士の母校で学ぶことを誇りに感じていたようである。
④『古代史の争点』(『古代に真実を求めて』25集)明石書店、2020年。編集長は大原重雄氏(古田史学の会・会員、京都府大山崎町)。


第2762話 2022/06/14

『古田史学会報』170号の紹介

 『古田史学会報』170号が発行されました。一面には拙稿〝『史記』の二倍年齢と司馬遷の認識〟を掲載していただきました。同稿は周代の二倍年暦の復原方法の考察と『史記』にみえる二倍年暦(二倍年齢)の精査による周代の暦法について調査したものです。一年以上前に脱稿していたのですが、字数が多いため『古田史学会報』への投稿をためらっていまた。しかし、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)や山田春廣さん(古田史学の会・会員、鴨川市)との共同研究の報告書という側面もあり、全面的にリライトして字数を削減し、掲載に至りました。この分野の研究が古田学派内で少ないこともありますので、拙稿へのご批判と新たな研究者の登場を期待しています。
 もう一つの拙稿〝百済祢軍墓誌の「日夲」 ―「本」「夲」、字体の変遷―〟も半年ほど前に投稿したもので、順番待ちのため、ようやく今号での掲載となりました。本稿は、百済祢軍墓誌に記された「日夲」の「夲(とう)」は「本」とは別字であり、「日夲」を国名の「日本」とはできないとする批判に対する反論です。七~八世紀当時の日中両国における使用例を挙げて、「夲」の字は「本」の異体字として通用していたことを実証的に証明しました。
 当号で異彩を放った論稿として、美濃晋平さんの「熊本県と長野県に共通する家族性アミロイドニューロパチーについて、古代までさかのぼれるか」があります。美濃さんの初投稿ですが、熊本県と長野県に二大濃密分布圏(集積地)を持つ遺伝性疾患「家族性アミロイドニューロパチー」は、ある時代に両地域間で人の交流があったことを示すものであり、その時期が六世紀まで遡る可能性について論じたものです。筆者は創薬研究で日本を代表するケミストの一人で、いわば専門知識を活かしての論稿です。難病に苦しんでいる患者やご家族のことを思うと胸が痛みます。医学や薬学の発展により解決できる日が一日も早く来ることを望みます。また、歴史学や諸分野の研究が防疫や医療に貢献できることを願っています。
 古代における九州と信州の濃密な交流は様々な分野で発見されており、興味が尽きない研究テーマです。

 170号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』170号の内容】
○『史記』の二倍年齢と司馬遷の認識 京都市 古賀達也
○会員総会と記念講演会のお知らせ(6月19日、アネックスパル法円坂にて)
○熊本県と長野県に共通する家族性アミロイドニューロパチーについて、古代までさかのぼれるか 東京都練馬区 美濃晋平
○高松塚古墳壁画に描かれた胡床に関して 京都府大山崎町 大原重雄
○百済祢軍墓誌の「日夲」 ―「本」「夲」、字体の変遷― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十六
 もう一人の聖徳太子「利歌彌多弗利」 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集


第2757話 2022/06/09

「古田史学の会・入会案内」の作成について

 残念ながら、コロナ禍や会員の高齢化、そして古田史学の新規読者獲得が困難な状況(書店や読書人口の減少)もあって、「古田史学の会」の会員数の減少が続いています。関西各地での講演会活動、ホームページでのYouTube配信など様々な事業を進めていますが、新たに「古田史学の会・入会案内」を作成することにしました。
 同「入会案内」にはゆうちょ銀行の払込用紙も掲載し、それを切り離して、入会申し込みを兼ねて会費入金ができるようにします。既に久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部、京都市)にレイアウトを作成していただき、会計担当の西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)に印刷経費見積を取っていただきました。最終的にはゆうちょ銀行の認証を経て、「古田史学の会」役員会で決裁する運びです。
 会員の皆様には会員拡大にご協力いただきますよう、お願い申し上げます。「古田史学の会」の創立目的である「古田史学を世に広め、後世に伝える」ため、これからもわたしたちは鋭意努力してまいります。


第2753話 2022/06/03

「多元の会」リモート発表会を終えて

 今朝は「多元の会」でリモート発表させていただきました。テーマは〝筑紫なる倭京「太宰府」 ―九州王朝の両京制《倭京と難波京》―〟で、主に前期難波宮九州王朝複都説に至った理由と、九州王朝(倭国)が採用した倭京と難波京の両京制において、太宰府(倭京)が権威の都であることを中心に解説しました。
 ご質問やご批判もいただけ、新たな問題点の発見や認識を深めることができました。いただいた質問に対しては次のように回答しましたので、一部を紹介します。

《質問》前期難波宮を九州王朝の都とするのであれば、七世紀頃の支配範囲はどのようなものか。
《回答》九州王朝が前期難波宮で評制支配を行った範囲は、出土した「評」木簡の範囲により判断できる。

《質問》七世紀に九州王朝が存在した史料根拠は『旧唐書』以外に何があるのか。
《回答》六世紀から七世紀にかけて九州年号がある。年号は代表王朝の天子のみが発布できるものである。

《質問》天武十二年条の複都詔を34年前とするのではなく、『日本書紀』にあるように天武によるものとすべきではないか。
《回答》わたしもそのように考えてきたが、複都詔は34年前の649年に九州王朝が出した前期難波宮造営の詔勅とすれば、九州年号の白雉元年(652年)に完成した前期難波宮に時期的に整合する。従って正木説(34年遡り説)が有力と考えている。
 ※この点については「洛中洛外日記」1986話(2019/09/10)〝天武紀「複都詔」の考古学〟や『多元』160号(2020年)の拙稿「天武紀『複都詔』の考古学的批判」で詳述しているので参照されたい。