古田史学の会一覧

第2565話 2021/09/12

「多元的古代研究会」月例会にリモート初参加

 昨日に続いて、本日は「多元的古代研究会」月例会にリモートで参加させていただきました。今回の月例会はコロナ禍のため、リモート参加のみにしたとのことでした。どの研究会も苦労されているようで、スカイプやズームのシステムなどについて、同会事務局長の和田昌美さんと情報交換もさせていただきました。
 今回は「天子の系列・後編~利歌彌多弗利から伊勢王へ」という演題で、七世紀中頃に活躍した九州王朝の天子「伊勢王」の事績について正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が研究発表されました。『日本書紀』に見える「伊勢王」は九州王朝(倭国)の天子、即位は常色元年(647年)で白雉九年(660年)まで在位したとされ、評制の施行や律令制定など数々の痕跡が『日本書紀』に遺されていることを論証されました。これらは、七世紀前半から後半にかけての九州王朝史復原の先端研究です。
 質疑応答タイムでは、わたしから二つの質問をさせていただきました。

(1)『日本書紀』天武十年条(注①)や持統三年条(注②)に見える律令関連記事を通説では「浄御原令」のこととするが、それを34年遡って九州王朝律令とする正木説では、九州王朝複都の前期「難波宮」時代のことになり、「飛鳥(大和であれ筑紫であれ)」の「浄御原宮」での制定を前提とした「浄御原」令という名称は不自然ではないか(「難波律令」なら妥当)。

(2)大化二年(646年)の改新詔など大化期の一連の詔について、どのように位置づけるのか。

 正木さんからの回答(概略)は次のようなものでした。

(1)『日本書紀』では天武・持統による律令制定という建前にしているので、その制定場所も飛鳥浄御原宮ということになる。そのため、九州王朝が常色・白雉年間にかけて策定・公布した九州王朝律令を近畿天皇家が「浄御原令」(『続日本紀』大宝元年八月条。注③)と後に〝命名(改名)〟した可能性もあり、名称にこだわる必要はないと思われる。

(2)九州王朝(倭国)が常色年間(647~651年)に発した律令や詔勅と近畿天皇家(日本国)が王朝交代時(九州年号の大化年間、695~700年)に発した詔勅が、『日本書紀』の大化年間(645~649年)に配置されており、どちらの詔勅かは個別に検証しなければならない。

 以上のような回答でしたが、(1)の見解は初めて聞くもので、〝なるほど、そのような可能性(視点)もあるのか〟と勉強になりました。(2)については、「古田史学の会」関西例会で散々論議したテーマでもあり、わたしも同意見です。なお、リモート例会終了後に正木さんと電話で論議・意見交換を続けました。
 このように、有意義でとても楽しいリモート例会でした。これからも時間の都合がつく限り、参加したいと思います。

(注)
①「詔して曰く、『朕、今より更(また)律令を定め、法式を改めむと欲(おも)う。故、倶(とも)に是の事を修めよ。然も頓(にわか)に是のみを就(な)さば、公事闕くこと有らむ。人を分けて行うべし』とのたまう。」『日本書紀』天武十年(682)二月条
②「庚戌(29日)に、諸司に令一部二十二巻班(わか)ち賜う。」『日本書紀』持統三年(689)六月条
③「癸卯、三品刑部親王、正三位藤原朝臣不比等、従四位下下毛野朝臣古麻呂、従五位下伊吉連博徳、伊余部連馬養等をして律令を選びしむること、是を以て始めて成る。大略、浄御原朝庭を以て准正となす。」『続日本紀』大宝元年(701)八月条
 この記事の「大略、浄御原朝庭を以て准正となす」を史料根拠として「浄御原令」が持統により制定されたとするのが一般的な通説ですが、「古田史学の会」内でも諸説が発表されています。


第2564話 2021/09/11

「東京古田会」月例会にリモート初参加

 本日は東京古田会月例会にリモートで参加させていただきました。リモートでの月例会参加やスカイプ使用は初めてでしたが、トラブルもなく楽しく参加できました。関東の研究者の皆さんとはいつでもお会いできるわけではありませんから、リモート参加も良いものです。
 今回は和田家文書をテーマとする月例会(和田家文書研究会)で、安彦克己さんと藤田隆一さんによる下記の発表がありました。事前に資料が同会アーカイブに用意されていたこともあり、内容もよく理解できました。

○「奥州仏教伝来」 安彦克己さん
○「十三湊明神 願文」「十三往来」(『津軽一統志』附巻)の解説 藤田隆一さん

 いずれも勉強になりました。藤田さんは十三湊や山王日枝神社、福島城跡現地調査時の写真なども紹介され、30年ほど昔に古田先生と訪れた地でしたので、とても懐かしく思いました。なかでも、福島城については、その築造年が通説よりも和田家文書の記録の方が正しかったということが発掘調査により判明し、和田家文書は真作であることが証明されました。そのことを『古田史学会報』(注)で次のように発表しましたので、抜粋して紹介します。

和田家文書と考古学的事実の一致
 ―『東日流外三郡誌』の真作性― 京都市 古賀達也

福島城の築造年代
 東北地方北部最大の城館遺跡として知られる、福島城跡(青森県市浦村)は昭和三〇年に行われた東京大学東洋文化研究所(江上波夫氏)による発掘調査の結果、築造年代は安藤氏の城という所伝から南北朝~室町のころ(十四~十五世紀)のものとされ、長く通説となっていた。
 また文献史学の立場からも、秋田家で発見された『十三湊新城記』の次の記事を根拠に正和年中(一三一二~一三一六)の築城とする説が出されている(佐々木慶市「中世の津軽安藤氏の研究」『東北文研究所紀要』十六号所収。一九八四年十一月、東北学院大学発行)。
 (中略)
 ところが、一九九一年より三ヶ年計画で富山大学考古学研究所と国立歴史民俗博物館により同城跡の発掘調査がなされ、その結果福島城遺跡は平安後期十一世紀まで遡ることが明らかとなった(小島道祐氏「十三湊と福島城について」『地方史研究二四四号』所収。一九九三年八月)。そして『東日流外三郡誌』には福島城の築城は承保元年(一〇七四)と記されており、従来の通説とは異なっていた。
  福島城 別称視浦館
  城領半里四方 城棟五十七(中略)
  承保甲寅元年築城
  (『東日流外三郡誌』北方新社版第三巻、一一九頁、「四城之覚書」)
 近年の発掘成果により『東日流外三郡誌』ではなく通説の方が覆ったのである。このような考古学的新知見と和田家文書の見事な一致は真作説にとって有利な根拠と言える。(後略)

(注)古賀達也「和田家文書と考古学的事実の一致 ―『東日流外三郡誌』の真作性―」『古田史学会報』4号、1994年12月。


第2557話 2021/09/06

古田先生との「大化改新」研究の思い出(3)

 「市民の古代研究会」では、『日本書紀』孝徳紀の大化改新詔は七世紀末の九州年号大化期に九州王朝により発せられたものではないかとする研究が進められていました。そして、その仮説成立の〝障壁〟となっていた「大化二年丙午之歳」の銘文を持つ宇治橋断碑に関する研究が1988年頃から論文発表され始め、大化を九州年号とすることに慎重だった古田先生の認識に変化が起こります。それは次の論文です。

○中村幸雄「宇治橋に関する考察」『市民の古代』10集、市民の古代研究会編、1988年。
○藤田友治「日本古代碑の再検討 ―宇治橋断碑について―」 同上

 両氏は「市民の古代研究会」以来の先輩〝兄弟子〟であり、後に「古田史学の会」創立に当たっては、行動を共にしていただいた同志でした(古田史学の会・全国世話人として参加。共に故人)。中村さんは九州年号の研究仲間でもあり、「大化」年号原型論などで厳しく論争したこともありました(注①)。藤田さんは、古田先生と中国吉林省集安で好太王碑の現地調査を行うなど、金石文研究で成果をあげられていました(注②)。
 中村さんは、宇治橋碑は中世に造られた「川施餓鬼参加勧誘碑」であり、そこに記された「大化二年丙午之歳」は石碑が造られた年ではないとしました。従って、宇治橋断碑は『日本書紀』大化(645~649年)の実在を証明する同時代金石文ではなく、本来の九州年号「大化」の年代は、『皇代記附年代記』に記された大化(698~700年)であるとしました。そして、「結語」に次のように記し、大化改新詔の実年代を九州年号の大化(698~700年)の頃と示唆されました。

〝私は本稿で採用した「大化元年=持統十二年=六九八年」説を、いわゆる「大化改新」に適用し、『日本書紀』の六四五~六四七年の「大化の諸詔令」は、むしろ大宝律令発布(七〇一年)直前の持統大化、六九八~七〇〇年に移動させる方が適切であることを(中略)いずれ別稿「新大化改新論争の提唱」として発表するつもりである。〟

 後に発表された「新『大化改新』論争の提唱」(注③)によれば、「大化」年間(698~700年)に発せられた「大化改新詔」は持統天皇によるものであり、このころは九州王朝と大和朝廷の並立時代とされました。中村さんは平成七年(1995)三月に物故され、この論文は遺稿として『新・古代学』3集(新泉社、1998年)に掲載しました(注④)。(つづく)

(注)
①「古田史学の会」HP「新・古代学の扉」に〝中村幸雄論集(遺稿集)〟があるので、参照されたい。
②好太王碑現地調査は1984年3月に行われた。藤田氏の業績は『藤田友治追悼集 ともに生きる』(藤田友治追悼集刊行会、2006年)に詳しい。
中村幸雄「新『大化改新』論争の提唱 ―『日本書紀』の年代造作について」『新・古代学』3集、新泉社、1998年。「古田史学の会」HPにも収録した。
④古賀達也「学問の方法と倫理 二 歴史を学ぶ覚悟」(『古田史学会報』38号、2000年6月)において、次のように紹介した。
〝いま一人、忘れがたい人に中村幸雄氏(当時、市民の古代理事)がおられる。小生が市民の古代との決別と本会設立の決意を中村氏に電話で伝えた時、「古賀さんがそう言うのを待ってたんや。あんな人らとは一緒にやれん。古田はんと一緒やったらまた人は集まる。一から出直したらええ」と言われ、小生と行動を共にすることを約束されたのであった。「理事」などという堅苦しい肩書きをいやがられ、「自分は世話人でよい」と早朝の例会会場予約や裏方を黙々と務められた、実に庶民的で気さくな方であった。ちなみに、本会の「全国世話人」という制度と名称は、こうした氏の意を汲んで決めたものである。しかし、その翌年、氏は急逝された(一九九五年三月十七日、享年六八才)。会分裂と本会設立の心労が禍したのであろうか。訃報に接した夜、小生は家人の目も憚らず、泣いた(注2)。〟
〝(注2)故人は例会での研究発表を大変楽しみにされていたという(寿子夫人談)。急逝直後の関西例会は追悼例会として、生前故人が準備されていたレジュメに基づいて、藤田友治氏が代わって報告された。また、『新・古代学』3集には遺稿「新『大化改新』論争の提唱 ―『日本書紀』の年代造作について」を掲載し、霊を弔った。〟


第2553話 2021/09/02

『多元』No.165の紹介

 本日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.165が届きました。前号の「太宰府、「倭の五王」王都説の検証 ―大宰府政庁編年と都督の多元性―」に続いて、「倭の五王」の王都をテーマとした拙稿「太宰府、「倭の五王」王都説の限界 ―九州大学「坂田測定」の検証―」を掲載していただきました。
 本年11月に開催される、「倭の五王」をテーマとする〝八王子セミナー2021〟のために執筆したものですが、同セミナーでの実りある論議を期待して、事前にわたしの考えを明示し、考古学的事実の情報共有化を目指しました。なお、『多元』を読まれていない参加者のために、同セミナー「予稿集」に当該論稿を資料として掲載したいと考えています。
 本号掲載の論稿で、〝これは面白いな〟と思ったのが安彦克己さん(東京都港区)の「『和田家文書』で読む『渡島(渡嶋)』」でした。安彦さんの検証によれば、「和田家文書」に見える「渡島(渡嶋)」は「おしま」と訓まれており、北海道のこととされました。
 『日本書紀』などにも「渡嶋」が見えますが、こちらについては下北半島(宇曽利・糠部地方)にあった「渡嶋(わたりしま)」とする合田洋一さんの研究(注)が著書『地名が解き明かす古代日本』にあり、通説の北海道説を批判されています。この合田説は詳細な地名調査などに基づいており、通説よりも有力とわたしは評価してきました。しかし、今回の安彦さんの検証結果が異なっていたので、興味深く思ったしだいです。
 合田さんは『地名が解き明かす古代日本』で、〝この『東日流外三郡誌』では「渡嶋」を北海道としている。これについては、この書は寛政年間つまり江戸時代中期に、史料収集・編纂されたものであり、編者の秋田孝季・和田長三郎吉次の歴史観によるところが大きい。そのため、六国史の「渡嶋」を北海道と見なしたものと考える。〟(141頁)とされています。
 もしかすると、「渡嶋(おしま)」と「渡嶋(わたりしま)」は漢字では共に「渡嶋」ですが、本来は異なる時代の異なる地域だったのでしょうか。安彦さんや合田さんにより、和田家文書や「渡嶋」研究が更に深まることを願っています。

(注)合田洋一「第I部 渡嶋と粛慎 ―渡嶋は北海道ではない―」『地名が解き明かす古代日本 ―錯覚された北海道・東北―』ミネルヴァ書房、2012年。


第2546話 2021/08/21

九州年号と仏典研究のすすめ

 本日は久しぶりにホームタウンともいえるi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。9月例会もi-siteなんば(参加費1,000円)で開催します。
 リモートテストには、西村秀己さん(司会担当・高松市)、正木裕さん(古田史学の会・事務局長、川西市)、杉本三郎さん(古田史学の会・会計監査、伊丹市)、冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人、相模原市)、谷本茂さん(神戸市)、萩野秀公さん(東大阪市)、別役政光さん(高知市)らが参加されました。

 今回は久しぶりにわたしも発表させていただきました。仏典からの九州年号の出典調査という基礎研究の中間報告ですが、九州王朝(倭国)が重視した仏典に『五分律』(6世紀段階)や『四分律』(7世紀段階)があり、これは中国の南朝仏教から北朝仏教へと、九州王朝が傾斜していった痕跡ではないかなどの分析結果について報告しました。
 質疑応答では、西村さんから、基本的な検索条件の誤りの指摘を得ることができ、論文発表前でしたので助かりました。また、最初の九州年号を「継体」(『二中歴』)とする私見に対し、谷本さんより「善記」の方が有力とする意見も出され、有意義な議論ができました。大原さん(『古代に真実を求めて』編集長)からは、九州年号と仏教との関係を指摘した阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)の説(注①)についても触れるべきとの意見が出されました。阿部さんからの私説(注②)に対するご批判に対して、まだ返答していませんでしたので、これを機会に改めて論文執筆に入りたいと考えています。
 最後に九州年号や仏典研究を多くの研究者に取り組んでいただきたいと要請しました。
 今回の例会で、わたしが最も刺激を受けた発表が、満田さんによる石暁軍著「隋唐外務官僚の研究 ―鴻臚寺官僚・遣外使節を中心に」の紹介でした。隋唐が外交官を派遣する時、本来の官位とは異なる官位を臨時に授ける「仮官」という制度があったというもので、隋から倭国に派遣された裴世清の官位が『隋書』(文林郎:従八品)と『日本書紀』(鴻臚寺の掌客:正九品下)では異なる理由について、「仮官」という制度で説明できるという視点は新鮮でした。参加者からは反対意見が多かったのですが、検討すべきテーマと思いました。

 なお、発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔8月度関西例会の内容〕
①阿武山に眠る貴人の墓 (大山崎町・大原重雄)
②船行一年の参問 ―裸国と黒歯国は誤読されていた― (大山崎町・大原重雄)
③太湖望での実験から (明石市・不二井伸平)
④裴世清の称号問題 (茨木市・満田正賢)
⑤「大夫人」と「大后」 奈良時代の称号論争に見る九州王朝時代の残滓 (たつの市・日野智貴)
⑥九州年号の出典調査(仏典編) ―九州王朝(倭国)の仏典受容史― (京都市・古賀達也)

(注)
①阿部周一「『倭国年号』と『仏教』の関係」『古田史学会報』157号、2020年4月。
②古賀達也「洛中洛外日記」2033~2046話(2019/11/03~22)〝『令集解』儀制令・公文条の理解について(1)~(6)〟。

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(「三密」回避に大部屋使用の場合は1,000円)
09/18(土) 10:00~17:00 会場:i-siteなんば
 ※コロナによる会場使用規制のため、緊急変更もあります。最新の情報をホームページでご確認下さい。

《関西各講演会・研究会のご案内》
 ※コロナ対応のため、緊急変更もあります。最新の情報をご確認下さい。

◆「市民古代史の会・東大阪」講演会 会場:東大阪市 布施駅前市民プラザ(5F多目的ホール) 資料代500円 〔お問い合わせ〕090-7364-9535
○08/28(土) 14:00~17:00 「倭の五王と倭国独立 ―九州年号の成立」 講師:服部静尚さん
○09/25(土) 14:00~17:00 「朝鮮半島と倭国 ―磐井の乱の真実」 講師:服部静尚さん

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 資料代500円 〔お問い合わせ〕℡080-2526-2584
○08/24(火) 13:00~16:00 会場:浄照寺本堂(奈良県田原本町茶町584)
 前半「本薬師寺は九州王朝の寺」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)
 後半「野中寺彌勒菩薩像の真実」 (同上)
○09/28(火) 13:00~16:00 会場:浄照寺本堂(奈良県田原本町茶町584)
 前半「卑弥呼と邪馬台国 ―徹底解明邪馬台国九州説①卑弥呼と魏使の行程」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
 後半「卑弥呼と邪馬台国 ―徹底解明邪馬台国九州説②邪馬台国の物証」 (同上)

◆「和泉史談会」講演会 会場:和泉市コミュニティーセンター(1階中会議室)
○09/14(火) 14:00~16:00
「縄文にいたイザナギ・イザナミ」 講師:大原重雄さん(『古代に真実を求めて』編集長)
 「天皇と三種の神器」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)
○10/12(火) 14:00~16:00
 「疫病の歴史に学ぶ」 岡本康敬さん

◆「市民古代史の会・京都」講演会 会場:キャンパスプラザ京都 参加費500円
 《未定》

◆誰も知らなかった古代史の会 会場:福島区民センター 参加費500円
 《未定》


第2534話 2021/08/11

『古田史学会報』165号の紹介

 『古田史学会報』165号が発行されましたので紹介します。
 一面に掲載された服部稿では、藤原京にあった本薬師寺は九州王朝が建立したとする説が発表されました。現在の薬師寺が本薬師寺を平城京に移転したものか、新たに建造したものかについての論争なども紹介され、薬師寺東塔擦銘(注①)は本薬師寺にあった銘文を11世紀になって一部変更・造文して刻入されたもので、銘文に見える「中宮」を九州王朝の「中宮天皇」のこととされました。藤原京造営主体が九州王朝だったのか、近畿天皇家だったのかというテーマにも関連する仮説ですので、今後の展開が注目されます。
 わたしは、『三国志』の短里は魏の明帝が景初元年(237年)に制定したとする西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)の説を解説しました。同説は『邪馬壹国の歴史学』(注②)に収録されていますが、ご存じない方もありましたので、同書に対する古田先生の論評も含めて紹介しました。
 本号で、わたしがもっとも注目したのが日野智貴さんの論稿です。仏教の戒律や受戒制度などが九州王朝説の観点から論じられており、とても刺激的な論文でした。また、多利思北孤は「菩薩天子」とあり、菩薩戒の受戒は在家のままで可能で、出家とは異なるとの指摘は示唆的でした。これは「九州王朝の天子が菩薩戒を受戒したのなら、後継者はどうするのか」という批判に対する回答であり、こうした視点での反論が成立することに感心しました。仏教思想や僧伽制度についての日野さんの博識には、いつも驚かされます。

 165号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』165号の内容】
○本薬師寺は九州王朝の寺 八尾市 服部静尚
○明帝、景初元年短里開始説の紹介
 ―永年の「待たれた」一冊『邪馬壹国の歴史学』― 京都市 古賀達也
○九州王朝の僧伽と戒律 たつの市 日野智貴
○「壹」から始める古田史学・三十一
 多利思北孤の時代Ⅷ ―「小野妹子の遣唐使」記事とは何か― 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会 第二十七回会員総会の報告
○『古代に真実を求めて』原稿募集
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2021年度会費納入のお願い
○編集後記 西村秀己

(注)
①薬師寺東塔檫銘は次の通り。
維清原宮馭宇
天皇即位八年庚辰之歳建子之月以
中宮不悆創此伽藍而鋪金未遂龍駕
騰仙大上天皇奉遵前緒遂成斯業
照先皇之弘誓光後帝之玄功道済郡
生業傳劫式於高躅敢勒貞金
其銘曰
巍巍蕩蕩薬師如来大発誓願廣
運慈哀猗<嶼の偏が犭>聖王仰延冥助爰
餝靈宇荘厳御亭亭寶刹
寂寂法城福崇億劫慶溢萬

②西村秀己「短里と景初 ―誰がいつ短里制度を布いたのか―」『邪馬壹国の歴史学』(古田史学の会編)ミネルヴァ書房、平成二八年(2016)。


第2529話 2021/08/02

『東京古田会ニュース』No.199の紹介

 本日、『東京古田会ニュース』No.199が届きました。今号は拙稿「七世紀後半の近畿天皇家の実勢力 ―飛鳥藤原出土木簡の証言―」を掲載していただきました。飛鳥地域(飛鳥池遺跡・石神遺跡・苑池遺跡・他)と藤原宮(京)地域からは約四万五千点の木簡が出土しており、それにより七世紀後半から八世紀初頭の古代史研究が飛躍的に進みました。そのなかの三五〇点ほどの評制時代(七世紀後半)の荷札木簡を紹介し、飛鳥宮時代(天智・天武・持統)と藤原宮時代(持統・文武)の近畿天皇家の影響力が及んだ範囲(献上する諸国)を確認することができるとしました。
 同号の掲載論稿中、わたしが最も注目したのが新保高之さん(調布市)の「謎の皇孫・健王と大田皇女」でした。新保さんによれば、『日本書紀』には「皇孫」の表記が43例あり、その内の39例は神代紀(38例)と神武紀(1例)で、他の4例は、時代が遠く離れた斉明紀の健王(3例)と天智紀の大田皇女(1例)という不思議な使用状況とのこと。両者は持統の同母姉弟という共通項を持つが、なぜこの二人が「皇孫」と呼ばれているのかは不明とのことです。もしかすると、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が提起された〝九州王朝系近江朝〟(注①)や、古田先生の〝天智による日本国の創建〟(注②)と関係するのかもしれません。
 こうした『日本書紀』の史料状況に着目されたこと自体も鋭い問題提起ですが、その理由については不明とされた慎重な研究姿勢に、わたしは共感を覚えました。研究途上での、わからないことはわからないとする姿勢や、史料事実の核心部分を鋭く見抜くという新保さんの洞察力は流石と思いました。研究の進展が楽しみです。

(注)
①正木裕「『近江朝年号』の実在について」『古田史学会報』133号、2016年4月。
②古田武彦「日本国の創建」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。


第2525話 2021/07/21

『九州倭国通信』No.203の紹介

 「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.203が届きました。同号には拙稿「『鬼滅の刃』と九州王朝の大蔵氏」を掲載していただきました。同稿では、超人気アニメ「鬼滅の刃」の主人公の竈門炭治郎の出身地を福岡県の竈門神社(太宰府)とすることを切り口に、九州王朝の有力臣下としての大蔵氏や千手氏について論じたものです。同紙への投稿はなるべく九州の地元ネタにするよう心がけています。
 なお、「九州古代史の会」代表幹事(会長)が木村寧海さんから工藤常泰さんに交替されました。コロナ禍の中での活動ですから、どちらの会も大変なようですが、同会では月例会が9月から再開されます。


第2522話 2021/07/18

難波京西北部地区に「異尺」条坊の痕跡

 「古田史学の会」関西例会では、研究発表の他にも休憩時間や懇親会での参加者との会話や情報交換により、重要な知見を得ることが度々あり、リモート参加では味わえないリアルな研究会の醍醐味の一つです。昨日の関西例会でもそうした知見が得られましたので、紹介します。
 ズームによるリモートシステム管理を担当されている久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部)から大阪歴博『研究紀要』最新号(注①)に佐藤隆さんの研究論文が収録されていることを教えていただき、同書をお借りすることができました。それは「難波京域の再検討 ―推定京域および歴史的評価を中心に―」という論稿で、最新の発掘成果に基づいて難波京条坊の範囲や年代を考察したものでした。大阪歴博や大阪府には優れた考古学者が少なくありませんが、その中でもわたしが注目してきたお一人が佐藤隆さんでした。特に難波編年の構築や難波と飛鳥の比較を出土土器に基づいて考察された「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」(注②)は研究史に残る好論と、わたしは「洛中洛外日記」などで紹介してきたところです(注③)。
 今回の論稿でも驚くべき重要な仮説が提起されていました。それは、従来は条坊が及んでいないと見られてきた難波京西北部地区(難波宮域の北西方にある大川南岸の一帯)にも、難波宮南方に広がる条坊とは異なる尺単位による条坊(方格地割)の痕跡が複数出土しているとのことなのです。これまで発見された難波京条坊は1尺29.49cmで造営されており、それは藤原京条坊の使用尺(1尺29.5cm。モノサシが出土)に近いものでした。ところが、難波京西北部地区は1尺29.2cmを用いて造営されているとのことなのです。
 わたしはこの1尺29.2cmという尺に驚きました。これは前期難波宮の造営尺と同じだからです。以前に論じましたが(注④)、前期難波宮と同条坊の造営尺が異なっていることは不思議な現象だったのですが、その前期難波宮と同じ尺が西北部地区の条坊造営に使用されていることは、前期難波宮九州王朝複都説と密接に関係する現象ではないでしょうか。
 というのも、同地区には古墳時代からの遺構があり、全国的に見ても、福岡市の比恵那珂遺跡とともに古墳時代最大の都市であり(注⑤)、おそらく古墳時代(倭の五王時代)の九州王朝の港運拠点である難波津かそれと関係した地域と思われます。その条坊造営尺が九州王朝の宮殿である前期難波宮と同じということは重要です。この問題についてこれから深く考察したいと思います。ご紹介いただいた久冨さんに改めて御礼申し上げます。

(注)
①『大阪歴史博物館 研究紀要』第19号、令和3年(2021)3月。
②佐藤隆「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」『大阪歴史博物館 研究紀要』第15号、平成29年(2017)3月。
③古賀達也「洛中洛外日記」1407話(2017/05/28)〝前期難波宮の考古学と『日本書紀』の不一致〟
 古賀達也「前期難波宮の考古学 飛鳥編年と難波編年の比較検証」『東京古田会ニュース』No.175、2017年8月。
 古賀達也「難波の須恵器編年と前期難波宮 ―異見の歓迎は学問の原点―」『東京古田会ニュース』185号、2019年4月。
 古賀達也「『日本書紀』への挑戦《大阪歴博編》」『古田史学会報』153号、2019年8月。
④古賀達也「都城造営尺の論理と編年 ―二つの難波京造営尺―」『古田史学会報』158号、2020年6月。
⑤古賀達也「難波の都市化と九州王朝」『古田史学会報』155号、2019年12月。


第2521話 2021/07/17

古田史学の「部民制」研究

 本日は久しぶりに大阪市に戻り、福島区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。8月と9月例会はi-siteなんば(参加費1,000円)で開催します。
 リモートテストには、西村秀己さん(司会担当・高松市)、正木裕さん(古田史学の会・事務局長、川西市)、冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人、相模原市)、谷本茂さん(神戸市)、樋口憲司さん(枚方市)らが参加されました。
 今回の例会では日野智貴さんが部民制について古田説を紹介し、古田史学の視点から考察されたのが印象的でした。通説では大和朝廷による民衆支配の制度と説明される部民制ですが、古田先生は天孫降臨以前に部民制の根源が成立していたとされ、例えば出雲風土記に見える「伴」「部」などを検証されています。以来、古田学派では部民制を本格的に取り上げた研究者はいなかったように思います。その意味では、日野さんが正面から部民制に対する通説を批判されたことは、初歩的ではあれ画期的なことではないでしょうか。
 もう一つ、わたしが注目したのが服部静尚さんの大宰府遺構の成立時期に関する考察でした。主に須恵器による飛鳥編年と九州編年をリンクされ、大宰府政庁や条坊、水城、大野城などの造営年代を整理・考察されたもので、今後の太宰府遺構編年の基本研究の一つとなりそうです。その結論として、飛鳥と北部九州の須恵器編年は概ね一致していること、考古学者(山村信栄氏)による大宰府遺構の土器編年に基づく造営年代が、『日本書紀』に基づいた通説と異なっていることを指摘され、大宰府遺構編年は土器編年に従うべきとされました。重要な指摘が含まれた発表でしたので、わたしも検証したいと思います。
 なお、発表者はレジュメを30部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔7月度関西例会の内容〕
①「自竹斯国以東」の証明 ―川村明説の批判―(姫路市・野田利郎)
②中臣鎌足と百済王豊璋の同一人物説(大山崎町・大原重雄)
③遺蹟・遺物が示す九州王朝の初期王都の中心領域の変遷(川西市・正木 裕)
④遣隋使と遣唐使の違いに関する一考察(茨木市・満田正賢)
⑤「部民制」はあったのか(たつの市・日野智貴)
⑥貼られた文節「白雉二年是歳条」(東大阪市・萩野秀公)
⑦主に土器から見た大宰府成立時期の考察(八尾市・服部静尚)

◎リモートによる会務報告(正木事務局長)
1.4月以降の新会員の紹介
2.会費納入状況
3.各地の講演会開催の報告
4.開催予定の講演会
5.関西例会の予定
6.会報・会誌の状況報告、他

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(「三密」回避に大部屋使用の場合は1,000円)
08/21(土) 10:00~17:00 会場:i-siteなんば
09/18(土) 10:00~17:00 会場:i-siteなんば
 ※コロナによる会場使用規制のため、緊急変更もあります。最新の情報をホームページでご確認下さい。

《関西各講演会・研究会のご案内》
 ※コロナ対応のため、緊急変更もあります。最新の情報をご確認下さい。

◆「市民古代史の会・京都」講演会 会場:キャンパスプラザ京都 参加費500円
 07/22(木・祝) 13:30~16:30
「考古学から見た邪馬台国 ―畿内ではありえぬ邪馬台国―」 講師:関川尚巧さん(元橿原考古学研究所員)
「考古学から見た邪馬壹国 ―徹底検証九州説―」 講師:谷本 茂さん(古田史学の会・会員)

◆「市民古代史の会・東大阪」講演会 会場:東大阪市 布施駅前市民プラザ(5F多目的ホール) 資料代500円
 07/24(土) 14:00~16:30 「邪馬壹国と卑弥呼の世界」 講師:服部静尚さん

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 参加費500円
 07/27(火) 10:00~12:00 会場:奈良県立図書情報館
 「古代瓦の変遷と飛鳥寺院」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)

◆誰も知らなかった古代史の会 会場:福島区民センター 参加費500円
 《未定》

◆「和泉史談会」講演会 会場:和泉市コミュニティーセンター(中集会室)
 《未定》


第2509話 2021/07/03

『多元』No.164の紹介

 昨日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.164が届きました。拙稿「太宰府、「倭の五王」王都説の検証 ―大宰府政庁編年と都督の多元性―」を掲載していただきました。本年11月に、「倭の五王」をテーマとして開催される〝八王子セミナー〟に先だって、王都の所在に関する検討課題(考古学的事実の評価)明確化の一助として拙稿を執筆しました。セミナーにおいて研究や理解を深めることができれば幸いです。
 他には、野田利郎さん(古田史学の会・会員、姫路市)の「『隋書』の俀と倭」、服部静尚さん(古田史学の会・会員、八尾市)の「国生み神話の再検証」が掲載されており、関西の研究者の活躍が目立ちました。
 一面は、仙台市の広幡文さんの「万葉集を楽しむ 下」で、〝淡海は海か湖か〟という懐かしいテーマが論じられており、興味深く拝読しました。通説では琵琶湖のこととされている『万葉集』に見える淡海について、琵琶湖ではなく海であるとする説は木村賢司さんが「夕波千鳥」(『古田史学会報』38号、2000年6月)で既に発表されていますが、広幡さんも『万葉集』の史料批判により、湖ではないとされました。複数の視点や論証方法により、同じ結論へと到達したわけですから、淡海≠湖(琵琶湖)説は更に有力となったようです。


第2498話 2021/06/21

『古代に真実を求めて』25集の原稿募集

 過日の「古田史学の会」会員総会でも紹介しましたように、『古代に真実を求めて』編集長が服部静尚さんから大原重雄さんに交替となりました。服部さんには7年間にわたり、「古田史学の会」発行書籍の編集責任者を担当していただき、後世に残る優れた書籍を発行していただきました。本稿末尾にその一覧を掲載しています。まだお持ちでない方は、ぜひ書店・アマゾンにてご注文ください。出版不況が続いており、本会発行書籍の販売部数も伸び悩んでいます。皆様のご支援をお願いいたします。
 新編集長の大原さんには、既にリモート編集会議を主宰していただき、来春発行予定の『古代に真実を求めて』25集の企画検討を進めています。25集への投稿を下記の通り募集します。会員の皆様のご投稿をお待ちしています。

□古田史学論集 第25集『古代に真実を求めて』原稿募集

1.特集テーマは「古代史の争点」として、邪馬壹国・倭の五王の時代・聖徳太子・大化改新を扱います。
 ○一般論文 1万5千字以内  ○コラム 2千字程度
2.原稿は、PDFではなく、WORDファイルを添付してメール送信してください。
3.採否は編集部にお任せください。
4.締め切り 2021年9月末
5.宛先 大原重雄さん hidetya@kyoto.zaq.ne.jp

□服部静尚さんが編集された「古田史学の会」書籍一覧

『古代に真実を求めて』明石書店
18集 盗まれた「聖徳太子」伝承 (2015年)
19集 追悼特集 古田武彦は死なず (2016年)
20集 失われた倭国年号《大和朝廷以前》 (2017年)
21集 発見された倭京 ―太宰府都城と官道― (2018年)
22集 倭国古伝 ―姫と英雄(ヒーロー)と神々の古代史― (2019年)
23集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝― (2020年)
24集 俾弥呼と邪馬壹国 ―古田武彦『「邪馬台国」はなかった』発刊50周年― (2021年)

『邪馬壹国の歴史学 ―「邪馬台国」論争を超えて―』ミネルヴァ書房(2016年)