古田史学会報一覧

第1605話 2018/02/15

『古田史学会報』144号のご案内

 『古田史学会報』144号が発行されましたので、ご紹介します。
 今号には出色の論文、正木さんの「多元史観と『不改の常典』」が一面を飾りました。古代史学界で永く論争が続き、未だ定説の出現を見ないテーマ、「不改の常典」を九州王朝説(九州王朝系近江朝説)から論じたもので、『日本書紀』や『続日本紀』に見える「定策禁中」をキーワードに、優れた仮説の提起に成功されています。今後、古田学派内で「不改の常典」を論じる際、この正木論文を避けては通れないでしょう。
 奈良市の原さん、大山崎町の大原さんは会報初登場です。いずれも「関西例会」での発表を投稿していただいたものです。これからも例会の常連や新人の投稿をお待ちしています。
 今号に掲載された論稿は次の通りです。

『古田史学会報』144号の内容
○多元史観と『不改の常典』 川西市 正木裕
○須恵器窯跡群の多元史観 -大和朝廷一元史観への挑戦- 京都市 古賀達也
○住吉神社は一大率であった 奈良市 原 幸子
○隋書国伝「犬を跨ぐ」について 乙訓郡大山崎町 大原重雄
○四国の高良神社 -見えてきた大宝元年の神社再編- 高知市 別役政光
○「壱」から始める古田史学(14)
 「倭国大乱」-范曄の『後漢書』と陳寿の『魏志倭人伝』
                  - 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○平成三〇年(二〇一八)新年のご挨拶
 古田先生三回忌を終え、再加速の年に 古田史学の会・代表 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1552話 2017/12/12

『古田史学会報』143号のご案内

 『古田史学会報』143号が発行されましたので、ご紹介します。このところ採用稿の掲載待ちが続いていましたので、増頁して遅れを取り戻すことにしました。優れた原稿が多く、中には半年待ちのものもあります。採用稿は必ず掲載しますので、申し訳ありませんがお待ちください。
 今号では阿部さんによる『令集解』の研究が一面を飾りましたが、わたしの記憶によれば、古田学派で『令集解』を研究対象とした論稿は初ではないでしょうか。更なる研究の進展が期待されます。
 合田さんからは前方後円墳から出土の「折り曲げ鉄器」についての紹介と九州王朝説による考察がなされました。考古学分野での多元史観による研究は十分とは言えませんので、こうした研究は貴重です。
 西村さんからは、古田先生が提唱された「中国風一字名称」に対する問題点の指摘がなされました。西村さんが関西例会などで以前から指摘されていた問題であり、わたしも含めて、古田学派の研究者はこの西村論稿を避けては通れないでしょう。
 多摩市の岩本さんは会報初登場です。東京講演会のお手伝いをしていただきました。ありがとうございます。
 今号に掲載された論稿は次の通りです。

『古田史学会報』143号の内容
○「古記」と「番匠」と「難波宮」 札幌市 阿部周一
○『令集解』所引「古記」雑感 京都市 古賀達也
○九州王朝説に朗報! 古期前方後円墳の葬送儀礼「折り曲げ鉄器」は九州北部起源-大和にはない 松山市 合田洋一
○九州王朝(倭国)の四世紀〜六世紀初頭にかけての半島進出 川西市 正木裕
○「中国風一字名称」の再考 高松市 西村秀己
○古田史学論集『古代に真実を求めて』第二十集
 「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」について(2の下) 瀬戸市 林伸禧
○講演会報告 深志の三悪筆 -松本市での講演会と懇親会- 古田史学の会・代表 古賀達也
○「壱」から始める古田史学(13)
 古田説を踏まえた卑弥呼のエピソードの解釈② 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○受付から見た講演会 多摩市 岩本純一
○硯出土の報告 筑前町で出土していた弥生時代の「硯」 久留米市 犬塚幹夫
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○新春古代史講演会のお知らせ(1月21日、i-siteなんば)
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○岩波『日本書紀』の「覩貨邏国」注釈 事務局長 正木 裕
○2017年度会費納入のお願い
○編集後記 西村秀己


第1515話 2017/10/11

『古田史学会報』142号のご案内

 『古田史学会報』142号が発行されましたので、ご紹介します。
 拙稿では本年六月に開催した井上信正さんの「古田史学の会」記念講演会での質疑応答について論じました。太宰府条坊都市の成立を大和朝廷の藤原京と同時期とする井上説は古代史学界に激震をもたらしました。更に研究が進めば、太宰府の方が藤原京よりも成立が早いことも判明すると思われます。そうなると、九州王朝説でなければ説明がつかないことになります。太宰府現地の考古学者の研究と勇気に期待したいと思います。
 別役(べっちゃく)さんと久冨(くどみ)さんは会報デビューです。お二人とも熱心な会員さんで、これからの活躍が期待されます。久冨さんには先日の福岡講演会のお手伝い(書籍販売)もしていただきました。あらためて御礼申し上げます。
 このところ優れた投稿原稿が多く、中には1年待ちのものもあります。採用稿は必ず掲載しますので、申し訳ありませんがお待ちください。今号に掲載された論稿は次の通りです。

『古田史学会報』142号の内容
○井上信正さんへの三つの質問 京都市 古賀達也
○「佐賀なる吉野」へ行幸した九州王朝の天子とは誰か(下) 川西市 正木裕
○古代官道 -南海道研究の最先端(土佐国の場合)- 高知市 別役政光
○気づきと疑問からの出発 相模原市 冨川ケイ子
○古田史学論集『古代に真実を求めて』第二十集
 「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」について(2の上) 瀬戸市 林伸禧
○「壱」から始める古田史学(12)
 古田説を踏まえた卑弥呼のエピソードの解釈① 古田史学の会・事務局長 正木裕
○大阪講演会の報告 京都市 久冨直子
○松本市講演会のお知らせ
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○『古代に真実を求めて』21集 投稿募集
○編集後記 西村秀己


第1477話 2017/08/11

『古田史学会報』141号のご案内

 『古田史学会報』141号が発行されましたので、ご紹介します。本号は6月の会員総会の報告などもあり、久しぶりの増頁となりました。
 会員総会では林伸禧さんから「倭国年号」の名称に疑義が寄せられたこともあり、そのことに関する原稿が三稿掲載されました。谷本さんからはわたしや正木さんの研究に対して疑問とご批判をいただきました。九州年号に関する重要な問題ですので、機会を見て返答と反論を執筆したいと思います。
 掲載された論稿などは次の通りです。

『古田史学会報』141号の内容
○「佐賀なる吉野」へ行幸した九州王朝の天子とは誰か(中) 川西市 正木 裕
○古田史学論集『古代に真実を求めて』第二十集
 「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」について(1) 瀬戸市 林 伸禧
○なぜ「倭国年号」なのか 八尾市 服部静尚
○「倭国年号」採用経緯と意義 古田史学の会・代表 古賀達也
○倭国年号の史料批判・展開方法について 神戸市 谷本 茂
○「古田史学会報 No.140」を読んで
  -「古田史学」とは何か- 鴨川市 山田春廣
○書評 野田利郎著『「邪馬台国」と不弥(ふみ)国の謎』
 学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる 京都市 古賀達也
○古田史学の会 第二十三回会員総会の報告
  古田史学の会事務局長 正木裕
○古田史学の会2016年度会計報告・2017年度予算
○『古代に真実を求めて』二十一集 投稿募集
○井上信正氏講演
 『大宰府都城について』をお聞きして 八尾市 服部静尚
○「壱」から始める古田史学十一
 出雲王朝と宗像 古田史学の会事務局長 正木裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○谷本茂氏講演会のお知らせ
○古田史学の会・関西例会のご案内
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1422話 2017/06/11

『古田史学会報』140号のご案内

 『古田史学会報』140号が発行されましたので、ご紹介します。本号には天文学者の谷川清隆さんからご寄稿いただきました。
 『日本書紀』の天文関連記事の史料批判により、古代日本に二つの権力集団が存在したとする論稿です。これまでも天文学という視点から古田説を支持する研究を発表されてきた谷川さんの論稿は読者にもご満足いただけるものと思います。服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が谷川稿を過不足無く解説されていますので、以下に転載します。

【転載】
《谷川清隆博士の紹介》
 谷川氏は現役の天文学者です。
 その天文学者の目で見た古代史研究論文に感銘を受け、無理を言って今回寄稿願いました。
 日本書紀には、漢文の正確性からα群・β群があって、巻によって著者が異なると言う森博達氏の研究が有名ですが、谷川氏はその天文観測記事より、単に著者が違うのではなく、書かれた団体・組織が異なることを発見されたわけです。
 森氏の言うβ群は天群の人々(九州王朝ととっていただくと分かり易い)によって書かれた、α群は地群の人々(近畿天皇家)によって書かれたとなります。
 過去古田説は、谷本茂氏の『周髀算経』からの数学的アプローチによって、又メガース博士の南米における縄文土器発見によって、その都度新しい実証・論証ツールを得てきました。ここに谷川氏によって又強力なツールを得たわけです。(服部静尚)

『古田史学会報』140号の内容
○七世紀、倭の天群のひとびと・地群のひとびと 国立天文台 谷川清隆
○谷川清隆博士の紹介 八尾市 服部静尚
○6月18日(日)井上信正氏「大宰府都城について」講演会・「古田史学の会」会員総会のお知らせ
○前畑土塁と水城の編年研究概要 京都市 古賀達也
○「白鳳年号」は誰の年号か -「古田史学」は一体何処へ行く 松山市 合田洋一
○高麗尺やめませんか 八尾市 服部静尚
○「佐賀なる吉野」へ行幸した九州王朝の天子とは誰か(上) 川西市 正木 裕
○西村俊一先生を悼む 古田史学の会・代表 古賀達也
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己


第1368話 2017/04/11

『古田史学会報』139号のご案内

 『古田史学会報』139号が発行されましたので、ご紹介します。本号には刮目すべき論文二編が収録されています。西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)の「倭国(九州)年号建元を考える」と山田春廣さんの「『東山道十五国』の比定 -西村論文『五畿七道の謎』の例証-」です。
 西村さんの論稿は、『二中歴』年代歴のみに見える最初の九州年号「継躰」を、「善記」年号が建元された時、遡って「追号」されたものとする新仮説です。西村さんからこのアイデアを初めて聞いたとき、わたしは「変なことを言ってるなあ。西村さんらしくもない」と思い、年号の「追号」など聞いたこともないと反論し、論争となりました。しかし、そう考えざるを得ない『二中歴』「善記」細注記事の矛盾や、中国での「追号」例があることなどの説明を聞くうちに、これはすごい仮説かもしれないと思うようになったのです。引き続き、論争や検証が必要ですが、なぜ「継躰」年号が『二中歴』にしか現れず、他の九州年号史料が「善記」を年号の初めとする理由などが、西村説により説明可能となるのです。
 山田稿は『日本書紀』景行紀に見える「東山道十五国都督」という記事について、大和朝廷にとっての東山道諸国は8国であり、この記事とは対応していないが、九州王朝の東山道(豊前・山陽道・東山道など)であれば、ちょうど15国になることを明らかにされました。従って景行紀の当該記事は九州王朝史料に基づくもので、記事中に見える「都督」も九州王朝の都督であるとされました。
 わたしも、景行紀の「都督」を以前から不思議な記事だと思っていたのですが、わけがわからないまま放置してきました。それを今回山田さんが九州王朝の古代官道「東山道」として、見事な解説で解き明かされたのです。山田稿を受けて、西村さんは「編集後記」で、九州王朝の「東海道」を「豊後・南海道・東海道など」とする見解を示されました。これらの論稿を読み、九州王朝説に基づく多元的古代官道研究の幕開けを予感しました。
 このように『古田史学会報』139号は九州王朝研究にとって画期をなすものとなりました。掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』139号の内容
○倭国(九州)年号建元を考える 高松市 西村秀己○6月18日(日)井上信正氏講演会・「古田史学の会」会員総会のお知らせ
○太宰府編年への田村圓澄さんの慧眼 京都市 古賀達也
○「東山道十五国」の比定 -西村論文「五畿七道の謎」の例証- 鴨川市 山田春廣
○「多利思北孤」について 京都市 岡下秀男
○書評 倭人とはなにか -漢字から読み解く日本人の源流- 木津市 竹村順弘
○金印と志賀海神社の占い 京都市 古賀達也
○ご紹介 『大知識人坂口安吾』大北恭宏(『飛行船』二〇一六年冬。第二〇号より抜粋) 事務局長 正木 裕
○文字伝来 八尾市 服部静尚
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○「壹」から始める古田史学Ⅹ 倭国通史私案⑤
 九州王朝の九州平定-糸島から肥前平定譚
  古田史学の会・事務局長 正木裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○二〇一七年度 会費納入のお願い
○編集後記 西村秀己


第1335話 2017/02/13

『古田史学会報』138号のご案内

 本年最初の『古田史学会報』138号が発行されましたので、ご紹介します。
 一面には、古田先生から教えていただいた言葉「学問は実証よりも論証を重んじる」を次世代に伝えていきたいとする、わたしからの新年のご挨拶が掲載されました。二面では正木裕さんから、昨年発見された筑紫野市の巨大土塁の解説と「田身嶺・多武嶺」=大野城説の関連性について論じられました。
 服部静尚さんからは九州王朝の諱(いみな)・字(あざな)という、今までにないテーマに挑戦された論稿が発表されました。新しい研究分野ですのでこれからの論争が期待されます。
 わたしからは、九州王朝の「家紋」が「十三弁紋」とする説(口碑伝承)の紹介と、『日本書紀』に見える「倭京」の出現が前期難波宮存続期間に限られることから、その「倭京」記事には前期難波宮を「倭京」とするものがあるのではないかとする西村秀己さんのアイデアが作業仮説として成立する可能性について論じました。
 このところ常連組の論稿が目立っています。他の研究者や新人の投稿をお待ちしています。なお、長文の原稿を送られる方もありますが、極端な字数オーバーは物理的に掲載不能で、採用対象から除外されます。長文の原稿は『古代に真実を求めて』に投稿してください。内容次第ですが、短い原稿ほど採用の可能性は高くなります。
 138号に掲載された論稿・記事は次の通りです。
『古田史学会報』138号の内容
○2017年 新年のご挨拶
 次世代に伝えたい古田先生の言葉 古田史学の会・代表 古賀達也
○太宰府を囲む「巨大土塁」と『書紀』の「田身嶺・多武嶺」・大野城 川西市 正木 裕
○九州王朝の家紋(十三弁紋)の調査  京都市 古賀達也
○諱と字と九州王朝 八尾市 服部静尚
○「倭京」の多元的考察 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅸ 倭国通史私案④
 九州王朝の九州平定-怡土平野から周芳の沙麼へ
  古田史学の会・事務局長 正木裕
○久留米大学公開講座(正木氏・服部氏)のお知らせ
○NHKカルチャー神戸教室(谷本茂氏)
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○2016年度会費納入のお願い
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1315話 2016/12/31

2016年の回顧「研究」編

 2016年最後の今日、この一年間の『古田史学会報』に発表された研究の回顧にあたり、特に印象に残った優れた論文をピックアップしてみました。下記の通りです。
 いずれも多元史観・古田史学にふさわしいものです。中でも正木さんの九州王朝系「近江王朝」という新概念は、7世紀末における九州王朝から大和朝廷への王朝交代の実像を考えるうえで重要な仮説となる可能性があります。その可能性について論究したものが「番外編」に取り上げた拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷」ですが、両論稿をあわせて読んでいただければ正木説が秘めている王朝交代に迫る諸問題と「解」が浮かび上がることと思います。
 服部さんの二つの論稿は、律令官制に必要な都や官衙の規模を具体的に示されたものと、河内の巨大前方後円墳が近畿天皇家のものではない可能性を示唆されたもので、いずれも考古学への多元史観適用の試みです。今後の発展が期待されるテーマです。
 西村さんの論稿は、古代官道(南海道)の不自然な変遷が、九州王朝から大和朝廷へのONライン(701年)で発生した権力所在地の変更によるものであることを明らかにされたものです。この視点は他の官道の研究でも有効と思われます。
谷本さんの『隋書』などの中国史書に基づく官職名についての研究は、従来の古田説の部分修正をも迫るものです。
 2017年も古田史学・多元史観を発展させる研究発表と会報への投稿をお待ちしています。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

○「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕(133号)
○古代の都城 -宮域に官僚約八千人- 八尾市 服部静尚
○盗まれた天皇陵 八尾市 服部静尚 (137号)
○南海道の付け替え 高松市 西村秀己(136号)
○隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった! 神戸市・谷本 茂(134号)

〔番外〕
○九州王朝を継承した近江朝廷
-正木新説の展開と考察- 京都市 古賀達也(134号)


第1309話 2016/12/12

『古田史学会報』137号のご案内

 本年最後となる『古田史学会報』137号が発行されましたので、ご紹介します。
 一面には正木裕さんの、ニニギたち「日向三代」の陵墓や出身地を糸島博多湾岸とする古田説を「記紀」や地名・現地伝承などに基づいて具体的に考証した論稿が掲載されています。古田史学では有名なテーマですが、ここまで実証的に深められた論稿は珍しいと思います。
 服部静尚さんも快調に好論を発表されています。今号の論稿は河内の巨大前方後円墳は近畿天皇家の陵墓ではないとするものです。わたしが「九州王朝説に刺さった三本の矢」と表現した九州王朝説では説明できなかった三つの考古学的事実に対する一つの「回答」となるものです。更なる検証が期待されます。
 わたしからは「九州王朝説に刺さった三本の矢(後編)」を発表しました。九州王朝が難波を直轄支配領域にした経緯について述べました。
 137号に掲載された論稿・記事は次の通りです。来年1月22日に開催する新春古代史講演会(大阪府立大学なんばサテライト)のご案内もあります。ぜひ、ご参加ください。

『古田史学会報』137号の内容
○筑紫なる「日向三代」の陵墓を探る 川西市 正木 裕
○新春古代史講演会(1月22日)のご案内
○九州王朝説に刺さった三本の矢(後編) 京都市 古賀達也
○盗まれた天皇陵 八尾市 服部静尚
○神功の出自 千歳市 今井敏圀
○トラベルレポート 熊野三山へのチョイ巡り行 東大阪市 萩野秀公
○「壹」から始める古田史学Ⅷ 倭国通史私案③
 九州王朝の九州平定-筑後から九州一円に 古田史学の会・事務局長 正木裕
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○お知らせ 古田史学の会論集編集中 西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1285話 2016/10/13

『古田史学会報』136号のご案内

 『古田史学会報』136号が発行されましたので、ご紹介します。
 本号には九州王朝都城論に関する基本的で重要な論稿が掲載されました。服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の「古代の都城 -宮域に官僚約八千人-」です。7世紀における律令制度に基づく全国支配に必要な宮域(王宮・官衙)の規模を、『養老律令』に記載された中央官僚定員数や平安京や前期難波宮の宮域を図示し、八千人にも及ぶ官僚を収容できることが必要条件であると指摘されました。
 この服部さんの指摘により、今後、律令時代の九州王朝の都城候補を論ずるときは、これだけの規模の王宮・官衙遺構の考古学的出度事実の提示が不可欠となったのです。この規模の都城遺構を提示できないいかなる仮説も成立しません。ちなみに、この規模を有す7世紀における王都は太宰府と前期難波宮(難波京)、そして藤原宮(新益京)だけです。近江大津宮は王宮の規模は巨大ですが、周囲の都市化が進んでいるためか官衙遺構や条坊都市は未発見です。
 わたしからは「九州王朝説に刺さった三本の矢(中編)」と「『肥後の翁』と多利思北孤」を発表しました。九州王朝の兄弟統治の一例として、筑後の多利思北孤と鞠智城にいた「肥後の翁」を兄弟の天子とする仮説です。
 西村秀己さん(『古田史学会報』編集部)は古代官道南海道の変化が、九州王朝から大和朝廷への王朝交代に基づくことを報告されました。とても面白いテーマです。
 上田市の吉村八洲男さんは『古田史学会報』初登場です。古代信濃国の多元史観による研究です。このテーマは「多元的古代研究会」や「東京古田会」では活発に論議されています。「古田史学の会」でも関心が深まることが期待されます。
 136号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』136号の内容
○古代の都城 -宮域に官僚約八千人- 八尾市 服部静尚
○「肥後の翁」と多利思北孤 -筑紫舞「翁」と『隋書』の新理解- 京都市 古賀達也
○「シナノ」古代と多元史観 上田市 吉村八洲男
○九州王朝説に刺さった三本の矢(中編) 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅵ 倭国通史私案②
 九州王朝(銅矛国家群)と銅鐸国家群の抗争  古田史学の会・事務局長 正木裕
○〔書評〕張莉著『こわくてゆかいな漢字』 奈良市 出野正
○南海道の付け替え 高松市 西村秀己
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会のお知らせ
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1253話 2016/08/12

『古田史学会報』135号のご案内

 『古田史学会報』135号が発行されましたので、ご紹介します。本号は九州王朝研究の最新課題などの重要論文が掲載されています。
 正木さんからは、龍田神社の風の祭りは本来は九州王朝における阿蘇地方のものであったとする新説が発表されました。
 わたしからは九州王朝説にとって不利な三つの考古学的事実を「九州王朝説に刺さった三本の矢」として紹介、解説しました。また、熊本県の鞠智城創建年代を通説よりも早い6世紀末から7世紀初頭の多利思北孤の時代とする新説を報告しました。
 西村さんからは『別冊宝島 「邪馬台国」とは何か』に収録された渡邉義浩氏の『三国志』に関する論稿への批判論文が発表されました。
 135号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』135号の内容
○盗まれた風の神の祭り 川西市 正木裕
○九州王朝説に刺さった三本の矢(前編) 京都市 古賀達也
○古田先生が坂本太郎氏に与えた影響について 福岡市 中村通敏
○『別冊宝島 古代史再検証「邪馬台国とは何か」』の検証 高松市 西村秀己
○古田史学の会 第22回会員総会の報告
○鞠智城創建年代の再検討-六世紀末〜七世紀初頭、多利思北孤造営説- 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅵ 倭国通史私案①
 黎明の九州王朝 古田史学の会・事務局長 正木裕
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○「邪馬壹国の歴史学」出版記念講演会の報告 八尾市 服部静尚
○古田史学の会・関西例会のご案内
○大阪府立狭山池博物館見学と講演のお知らせ
○編集後記 西村秀己


第1226話 2016/07/09

九州王朝説に突き刺さった三本の矢(6)

 わたしは「前期難波宮は九州王朝の副都」という論文を2008年に発表しました(『古田史学会報』85号、「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載)。九州王朝説に突き刺さった《三の矢》から九州王朝説を守るにはこの仮説しかないと、考え抜いた末の結論でした。
 しかし、古田先生からは賛同していただけない月日が永く続き、前期難波宮から九州の土器は出土しているのか、神籠石のような防御施設がない、副都の定義が不明確と次々とダメ出しをいただきました。また、各地で開催される講演会で、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」に対する見解を問う質問が参加者から出されるたびに、古田先生からは否定的見解が表明されるという状況でした。
 そうした中でわたしにできることはただ一つ、論文を書き続けることだけでした。もちろん古田先生に読んでいただくこと、そして納得していただきたいと願って研究と発表を続けました。次の論文がそうです。想定した第一読者は全て古田先生です。

《前期難波宮関連論文》※「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載
前期難波宮は九州王朝の副都(『古田史学会報』八五号、二〇〇八年四月)
「白鳳以来、朱雀以前」の新理解(『古田史学会報』八六号、二〇〇八年六月)
「白雉改元儀式」盗用の理由(『古田史学会報』九〇号、二〇〇九年二月)
前期難波宮の考古学(1)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇二号、二〇一一年二月)
前期難波宮の考古学(2)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇三号、二〇一一年四月)
前期難波宮の考古学(3)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇八号、二〇一二年二月)
前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一三号、二〇一二年十二月)
続・前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一四号、二〇一三年二月)
七世紀の須恵器編年 ー前期難波宮・藤原宮・大宰府政庁ー(『古田史学会報』一一五号、二〇一三年四月)
白雉改元の宮殿ー「賀正礼」の史料批判ー(『古田史学会報』一一六号、二〇一三年六月)
○難波と近江の出土土器の考察(『古田史学会報』一一八号、二〇一三年十月)
○前期難波宮の論理(『古田史学会報』一二二号、二〇一四年六月)
○条坊都市「難波京」の論理(『古田史学会報』一二三号、二〇一四年八月)

 論文発表と平行して「古田史学の会」関西例会でも研究報告を続けました。そうしたところ、参加者から徐々に賛成する意見が出され始めました。西村秀己さん、不二井伸平さん、そして正木裕さんは『日本書紀』の史料批判に基づいてわたしを支持する研究発表をされるようになり、近年では服部静尚さんも新たな視点(難波宮防衛の関)から前期難波宮副都説支持の研究を開始されました。
 そして2014年11月8日の八王子セミナーの日を迎えました。古田先生との質疑応答の時間に参加者からいつものように「前期難波宮副都説をどう思うか」との質問が出されました。わたしは先生を凝視し、どのような批判をされるのかと身構えました。ところが、古田先生の返答は「今後、検討しなければならない問題」というものでした。6年間、論文を書き続け、ついに古田先生から「否定」ではなく、検討しなければならないの一言を得るに至ったのです。検討対象としての「仮説」と認めていただいた瞬間でした。その日の夜は、うれしくて眠れませんでした。しかしその一年後、検討結果をお聞きすることなく、先生は他界されました。(つづく)