古田史学会報一覧

第1226話 2016/07/09

九州王朝説に突き刺さった三本の矢(6)

 わたしは「前期難波宮は九州王朝の副都」という論文を2008年に発表しました(『古田史学会報』85号、「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載)。九州王朝説に突き刺さった《三の矢》から九州王朝説を守るにはこの仮説しかないと、考え抜いた末の結論でした。
 しかし、古田先生からは賛同していただけない月日が永く続き、前期難波宮から九州の土器は出土しているのか、神籠石のような防御施設がない、副都の定義が不明確と次々とダメ出しをいただきました。また、各地で開催される講演会で、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」に対する見解を問う質問が参加者から出されるたびに、古田先生からは否定的見解が表明されるという状況でした。
 そうした中でわたしにできることはただ一つ、論文を書き続けることだけでした。もちろん古田先生に読んでいただくこと、そして納得していただきたいと願って研究と発表を続けました。次の論文がそうです。想定した第一読者は全て古田先生です。

《前期難波宮関連論文》※「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載
前期難波宮は九州王朝の副都(『古田史学会報』八五号、二〇〇八年四月)
「白鳳以来、朱雀以前」の新理解(『古田史学会報』八六号、二〇〇八年六月)
「白雉改元儀式」盗用の理由(『古田史学会報』九〇号、二〇〇九年二月)
前期難波宮の考古学(1)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇二号、二〇一一年二月)
前期難波宮の考古学(2)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇三号、二〇一一年四月)
前期難波宮の考古学(3)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇八号、二〇一二年二月)
前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一三号、二〇一二年十二月)
続・前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一四号、二〇一三年二月)
七世紀の須恵器編年 ー前期難波宮・藤原宮・大宰府政庁ー(『古田史学会報』一一五号、二〇一三年四月)
白雉改元の宮殿ー「賀正礼」の史料批判ー(『古田史学会報』一一六号、二〇一三年六月)
○難波と近江の出土土器の考察(『古田史学会報』一一八号、二〇一三年十月)
○前期難波宮の論理(『古田史学会報』一二二号、二〇一四年六月)
○条坊都市「難波京」の論理(『古田史学会報』一二三号、二〇一四年八月)

 論文発表と平行して「古田史学の会」関西例会でも研究報告を続けました。そうしたところ、参加者から徐々に賛成する意見が出され始めました。西村秀己さん、不二井伸平さん、そして正木裕さんは『日本書紀』の史料批判に基づいてわたしを支持する研究発表をされるようになり、近年では服部静尚さんも新たな視点(難波宮防衛の関)から前期難波宮副都説支持の研究を開始されました。
 そして2014年11月8日の八王子セミナーの日を迎えました。古田先生との質疑応答の時間に参加者からいつものように「前期難波宮副都説をどう思うか」との質問が出されました。わたしは先生を凝視し、どのような批判をされるのかと身構えました。ところが、古田先生の返答は「今後、検討しなければならない問題」というものでした。6年間、論文を書き続け、ついに古田先生から「否定」ではなく、検討しなければならないの一言を得るに至ったのです。検討対象としての「仮説」と認めていただいた瞬間でした。その日の夜は、うれしくて眠れませんでした。しかしその一年後、検討結果をお聞きすることなく、先生は他界されました。(つづく)

 


第1208話 2016/06/12

『古田史学会報』134号のご案内

 『古田史学会報』134号が発行されましたので、ご紹介します。
 前号に発表された正木裕さんの新説「九州王朝系近江朝廷」の持つ学問的意義と可能性について、わたしの考察を記しました。この正木新説はまだこれから検証されるべき仮説ですが、多くの可能性を秘めた魅力的な仮説であることを詳述しました。
 谷本さんからは意表をつく新見解が発表されました。隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かったというものです。基本的史料調査の重要性を再認識させられた論稿です。
 134号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

 『古田史学会報』134号の内容
○〔追悼〕藤沢徹さん(東京古田会会長)
  鬼哭啾々、痛惜の春
     古田史学の会・代表 古賀達也
○隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった! 神戸市・谷本 茂
○九州王朝を継承した近江朝廷
 -正木新説の展開と考察- 京都市 古賀達也
○盗まれた九州王朝の天文観測 川西市 正木裕
○考古学が畿内説を棄却する 八尾市 服部静尚
○古賀達也氏の論稿
 「『要衝の都』前期難波宮」に反論する 松山市 合田洋一
○追憶・古田武彦先生(4)
 坂本太郎さんと古田先生 古田史学の会・代表 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅴ
 『魏志倭人伝』の里程記事解釈の要点
     古田史学の会・事務局長 正木裕
○会員総会・講演会のお知らせ 6月19日(日)
 講師 張莉氏(大阪教育大学特任準教授)
 演題 「食と酒の漢字」
 講師 正木裕氏(古田史学の会・事務局長)
 演題 「漢字と木簡から短里を解明する」
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○その他講演会のお知らせ
 7/23 『邪馬壹国の歴史学』出版記念東京講演会及びシンポジウム
   講師 正木裕(古田史学の会・事務局長)
   パネリスト 古賀達也(古田史学の会・代表)、服部静尚(古田史学の会・編集長)
 8/31 NHK文化センター夏の特別講座
   講師 谷本茂氏(古田史学の会・会員)
○編集後記 西村秀己


第1163話 2016/04/05

『古田史学会報』133号のご案内

 『古田史学会報』133号が発行されましたので、ご紹介します。本号も岡下さんや正木さんらの好論が満載です。特に正木さんの「中元」「果安」を「近江朝」年号とする仮説は魅力的かつ衝撃的です(検証すべき疑問もありますが)。天智天皇の「不改常典」とも関わり合いそうなテーマですので、これからの論争や展開が楽しみです。
 わたしからは久しぶりに前期難波宮問題を取り上げた論稿「『要衝の都』前期難波宮」を発表しました。前期難波宮九州王朝副都説を提唱してから8年が過ぎましたが、九州王朝説論者からの反論がありますので、改めて説明と再反論を行いました。わたしは「学問は批判を歓迎する」(武田邦彦さんの言葉)と考えていますので、自説への批判は歓迎しますが、その上で、前期難波宮副都説を批判される方には、次の質問をすることにしています。

1.前期難波宮は誰の宮殿なのか。
2.前期難波宮は何のための宮殿なのか。
3.全国を評制支配するにふさわしい七世紀中頃の宮殿・官衙遺跡はどこか。
4.『日本書紀』に見える白雉改元の大規模な儀式が可能な七世紀中頃の宮殿はどこか。

 この質問に対して、史料(あるいは考古学的)根拠を示して合理的に回答された九州王朝説論者をわたしは知りません。わたしの前期難波宮副都説はこの四つの疑問に答えるための数年に及ぶ苦心惨憺の中から生まれた説ですから、それを超える合理的な仮説があるのでしたら、是非お答えいただきたいと思います。
 133号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

 『古田史学会報』133号の内容
○「是川」は「許の川」  京都市 岡下英男
○「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕
○岡下論文『「相撲の起源」説話を記載する目的』の補遺としての考察 -筑前にも出雲があった-  福岡市 中村通敏
○「要衝の都」前期難波宮  京都市 古賀達也
○「善光寺」と「天然痘」  札幌市 阿部周一
○令亀の法  八尾市 服部静尚
○追憶・古田武彦先生(3)
 蕉門の離合の迹を辿りつつ  古田史学の会・代表 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅳ
 九州年号が語る「大和朝廷以前の王朝」 古田史学の会・事務局長 正木裕
○久留米大学公開講座のお知らせ 5月28日
 講師 正木裕 「聖徳太子」は久留米の大王だった
 講師 古賀達也 九州王朝の「聖徳太子」伝承
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2016年度会費納入のお願い


第1137話 2016/02/11

『古田史学会報』132号のご紹介

 『古田史学会報』132号が発行されましたので、ご紹介します。西条市の今井さんの力作が掲載されています。「古田史学の会」会員の肥沼孝治さんが今井稿をホームページ“多元的「国分寺」研究サークル”で要領よく紹介されていますので、転載させていただきます。なお、掲載された論稿・記事は次の通りです。

 『古田史学会報』132号の内容
○『日本書紀』に引用された「漢籍」と九州王朝 川西市 正木裕
○伊予国分寺と白鳳瓦 -最初に国分寺制度を作ったのは誰か(伊予国分寺出土の白鳳瓦を巡って)- 西条市 今井 久
○「皇極」と「斉明」についての一考察 -古田先生を偲びつつ-  松山市 合田洋一
○追憶・古田武彦先生(2)
 池田大作氏の書評「批判と研究」 古田史学の会・代表 古賀達也
○古田武彦先生追悼会の報告 八尾市 服部静尚
○二〇一五年の回顧と年頭のご挨拶  古田史学の会・代表 古賀達也
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己

【転載】「今井久さんの論文から学ぶ」 肥沼孝治

 今井久さんの論文から学ぶために,「見出し」の書き出しをしてみる。つまり「構成」から学ぼうというワケである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 記

一.「国分寺建立」は聖武天皇が始めた,その実態の検討
 イ.「国分寺」創建の詔の寺の「名称」
 ロ.聖武天皇の詔の前にすでに国分寺が存在している事を示す記録があること
 ハ.『続日本紀』は詔勅の「金光明寺・法華寺」の寺名を抹消した

二.聖武天皇の詔の前に全国に国が統制する寺院が存在
 イ.「詔」以前の文献にあらわれる国分寺と推定される寺院の存在
 ロ.聖武天皇の詔の百年前.七世紀に寺院数が激増
 ハ.九州地方には左記の初期寺院が,小田富士雄氏に仍って列挙されている

三.国分寺遺跡出土の遺構・遺物が示す疑問点
 1.国分寺遺跡出土の伽藍配置が大きく二つにわかれている(塔が回廊内か回廊外か。前者が古式)
 2.全国の国分寺遺跡から出土する国分寺の伽藍配置が分裂(古式からは白鳳瓦が出土)

四.伊予の国分寺の考察(古式の伽藍配置で白鳳瓦が出土)

五.国分寺制度を最初に創ったのは倭国九州王朝である

六.「国分寺制度創設」を開始した倭国王は誰か

まとめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なるほど,構成がすっきりしていてわかりやすい。統計的に分類し,しっかりとした結論を導き出している。天国の(もしかしたらご希望だった地獄の)古田先生にも喜んでいただけるのではないかと思った。


第1116話 2015/12/30

2015年の回顧『古田史学会報』編

 2015年に発行した『古田史学会報』126〜131号の掲載稿を下記に記しました(例会報告など事務連絡の類は省略しました)。
 昨年に続いて正木裕さんは精力的な研究発表を続けられました。また、古田史学入門編として「壹から始める古田史学」の連載も129号から開始されました。古田先生が亡くなられたことにより、わたしは「追憶・古田武彦先生」の連載を開始しました。
 常連組が安定した研究レベルにより優れた論稿を発表される一方、平田さん(“たんがく”の“た”)、安随さん(「唐軍進駐」への素朴な疑問)、清水さん(四国・香川県の史跡巡り)が会報デビューされました。中でも印象に残っているのが、安随さんの「『唐軍進駐』への素朴な疑問」です。意表を突かれたという意味でも好論でした。
 また、古田先生の最後の対談をラジオ番組でされた桂米團治さんのオフィシャルブログからの転載も感慨深いものとなりました。投稿していただいた皆様に御礼申し上げます。

『古田史学会報』126号(2月)
○平成二十七年、賀詞交換会のご報告  京都市 古賀達也
○犬を跨ぐ  山東省曲阜市 青木英利
○「室見川銘板」の意味するもの  奈良市 出野 正
○盗用された任那救援の戦い -敏達・崇峻・推古紀の真実-(下)  川西市 正木 裕
○先代旧事本紀の編纂者  高松市 西村秀己
○四天王寺と天王寺  八尾市 服部静尚
○盗用された「仁王経・金光明経」講話  川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(上)  京都市 古賀達也
○年頭のご挨拶  代表 水野孝夫

『古田史学会報』127号(4月)
○「張家山漢簡・居延新簡」と「駑牛一日行三百里」  川西市 正木 裕
○短里と景初 誰がいつ短里制度を布いたのか?  高松市 西村秀己
○“たんがく”の“た”  大津市 平田文男
○邪馬台国畿内説と古田説はなぜすれ違うのか  八尾市 服部静尚
○学問は実証よりも論証を重んじる  京都市 古賀達也
○「唐軍進駐」への素朴な疑問  芦屋市 安随俊昌
○『書紀』の「田身嶺・多武嶺」と大野城  川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(下)  京都市 古賀達也
○断念  古田武彦

『古田史学会報』128号(6月)
○網野銚子山古墳の復権  京丹後市 森茂夫
○「短里」の成立と漢字の起源  川西市 正木裕
○「妙心寺」の鐘と「筑紫尼寺」について  札幌市 阿部周一
○長者考  八尾市 服部静尚
○九州王朝の丙子椒林剣  京都市 古賀達也
○「漢音」と「呉音」 皇帝の国の発音  札幌市 阿部周一

『古田史学会報』129号(8月)
○孫権と俾弥呼 -俾弥呼の「魏」への遣使と「呉」の孫権の脅威-  川西市 正木裕
○鞠智城と神籠石山城の考察  京都市 古賀達也
○四国・香川県の史跡巡り  神戸市 清水誠一
○大化改新論争  八尾市 服部静尚
○「相撲の起源」説話を記載する目的  京都市 岡下英男
○九州・四国に多い「みょう」地名  京都市 古賀達也
○会代表退任のご挨拶  水野孝夫
○代表就任のご挨拶  古賀達也
○「壹」から始める古田史学1  古田史学の会事務局長 正木裕

『古田史学会報』130号(10月)
○「・多利思北孤・鬼前・干食」の由来  川西市 正木裕
○「権力」地名と諡号成立の考察  京都市 古賀達也
○「仲哀紀」の謎  千歳市 今井俊國
○九州王朝にあった二つの「正倉院」  松山市 合田洋一
○「熟田津」の歌の別解釈(一)  札幌市 阿部周一
○「壹」から始める古田史学2
 古田武彦氏が明らかにした「天孫降臨」の真実  古田史学の会・事務局長 正木裕
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
○『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会の報告  服部静尚
○「坊ちゃん」と清  高松市 西村秀己

『古田史学会報』131号(12月)
○古田武彦先生ご逝去の報告  古田史学の会・代表 古賀達也
○古代の真実の解明に生涯をかけた古田武彦先生  古田史学の会・事務局長 正木裕
○追憶・古田武彦先生(1)
 蓮如生誕六百年に思う  古田史学の会・代表 古賀達也
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
 「古田武彦先生、逝去」
○昭和44年11月12日 読売新聞第二社会面
 邪馬台(ヤマタイ)国ではなく邪馬壹(ヤマイ)国
○「みょう」地名について -「斉明」と「才明」-  松山市 合田洋一
○垂仁紀の謎  千歳市 今井俊國
○「熟田津」の歌の別解釈(二)  札幌市 阿部周一
○「ものさし」と「営造方式」と「高麗尺」  八尾市 服部静尚
○「壹」から始める古田史学3
 古代日本では「二倍年暦」が用いられていた  古田史学の会・事務局長 正木裕
○割付担当の穴埋めヨタ話⑧ 五畿七道の謎  高松市 西村秀己


第1115話 2015/12/30

2015年の回顧「学問・研究」編

 次は学問・研究について回顧します。2015年も多くの学問的成果や新たな課題が続出し、多元史観・古田学派ならではの業績と経験に恵まれました。

○多元的「国分寺」研究の進展
 国分寺は聖武天皇よりも以前に、九州王朝でも造営されていたのではないかとする意見が以前からありましたが、今年は埼玉県所沢市の会員、肥沼孝治さんからの武蔵国分寺遺跡の方位のぶれ問題の提起により画期的な進展を見ました。9月5日には肥沼さんの案内により、関東地区の古田史学の会・会員とともに現地調査も実施しました。

○「赤淵神社縁起」(九州年号史料)の現地調査
 九州年号「常色」「朱雀」などが記されている九州年号史料「赤淵神社縁起」(天長五年〔828〕成立)を所蔵している赤淵神社(兵庫県朝来市)を訪問し、同神社のご了解の元で写真撮影などの調査を行いました。平安時代に成立した文書に九州年号が記されていることにより、九州年号が鎌倉時代に偽作されたとしてきた一元史観の「仮説」が改めて否定されることとなりました。

○鞠智城現地調査と九州王朝造営説
 従来から古代山城としては異質とされてきた鞠智城(熊本県山鹿市・菊池市)を5月に訪問し、現地調査を行いました。その結果、考古学出土事実などから従来の大和朝廷一元史観による編年よりもやや古く、鞠智城は九州王朝による造営と考えざるを得ないことが明らかとなりました。『古代に真実を求めて』19集にこの研究論文が収録されます。

○狗奴国研究の深化
 正木裕さんの一連の研究により、『三国志』倭人伝に見える狗奴国が銅鐸圏の国家であることを考古学と文献史学からのアプローチにより明確になりました。こうした研究業績により、倭人伝研究も一層の発展を見せました。その集大成として『邪馬壹国の歴史学』(古田史学の会編)がミネルヴァ書房よりもうすぐ刊行されます。

○竜田関の防衛方向の研究
 服部静尚さんの「古代の関」研究により、河内と大和の間に設けられた竜田関がその構造や地勢から、大和方面から河内に侵入する「外敵」に対しての「関」ということが明らかとなりました。すなわち、竜田関は九州王朝の副都「前期難波宮」を大和(方面)の勢力から防衛するために設けられた「関」ではないかとされました。「古代の関」の多元史観から見直しという新たな研究領域の出現といえるでしょう。

 これらの他にも、多くの研究成果が報告されました。古田学派ならではの革新的な研究領域であり研究成果です。


第1114話 2015/12/30

2015年の回顧「古田史学の会」編

 今日は帰省の新幹線車中で書いています。2015年は激動と慟哭の年となりまし。心重いのですが、例年のように「古田史学の会」に関連した出来事について回顧します。

○古田武彦先生のご逝去(10月14日)
 古田先生のご逝去はわたしたち古田学派や読者に激震をもたらしました。10月はわたしにとって慟哭の月となりました。享年89歳ですが、古田先生が敬愛された親鸞の没年齢と奇しくも同じ年齢です(親鸞は数え年で90歳没)。

○「古田史学の会」水野代表が退任
 6月の会員総会で、「古田史学の会」創立以来20年にわたり代表を務められてきた水野孝夫さんが退任されました。後任としてわたしが代表を勤めさせていただくことになり、新たに正木裕さんが事務局長、竹村順弘さんが事務局次長に就任されました。小林副代表は留任され、新四役体制が確立しました。水野さんには顧問(全国世話人)として、引き続きご指導いただけることになりました。

○米田敏幸さんを迎え、記念講演会(6月21日)
 6月の会員総会では庄内式土器の専門家、米田敏幸さんを講師に迎え、記念講演を行いました。正木さんも狗奴国に関する講演をされました。考古学者をお招きしての講演会は「古田史学の会」としては初めての試みです。今後も、日本古代史の関連諸分野の研究者を講演会にお招きしたいと考えています。

○『古代に真実を求めて』18集をリニューアル
 明石書店より発行している会誌『古代に真実を求めて』を大幅にリニューアルし、『盗まれた「聖徳太子」伝承』として刊行しました。従来の応募原稿中心の編集から、毎号毎に特集を組み、それにふさわしい原稿を中心に編集することにしました。19集は「九州年号特集」を予定していましたが、急遽、「古田武彦先生追悼号」に変更し、編集作業中です。

○『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行記念東京講演会開催(9月6日)
 『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行を記念して、東京講演会を開催しました。会場は東京家政学院大学千代田キャンパスをお借りし、在京の友好団体「東京古田会」「多元的古代研究会」のご協力もいただき、成功裏に開催することができました。講師は正木さんとわたしが担当しました。プロジェクター映像を本格的に駆使するなど、新たな講演スタイルにも挑戦しました。

○メール配信事業「洛洛メール便」をスタート
 ネット環境を利用して、ホームページに連載している「洛中洛外日記」や、ホームページには掲載しない「洛中洛外日記【号外】」を希望される会員に配信するサービスを4月から開始しました。配信作業は竹村事務局次長に担当していただきました。

○「古田史学の会facebook」を開設
 「古田史学の会」の活動をよりビジュアルに発信するために、従来のホームページ(新・古代学の扉)とは別に「古田史学の会facebook」を開設しました。関西例会や遺跡巡りハイキングの写真や動画を掲載しています。これも竹村さんに担当していただいています。
 更に、facebookを利用している会員間で「友達」として意見交換や情報発信も始まりました。わたしや正木さん、竹村さん、横田さん(「古田史学の会」インターネット事務局)、竹内さん(「古田史学の会・東海」会長)、そして会員の冨川けい子さんらが「友達」となって活発な情報発信・意見交換を行っています。

○「愛知サマーセミナー2015」で講義(7月19日、名古屋市)
 愛知淑徳高でに開催された「愛知サマーセミナー2015」で、「古田史学の会・東海」の取り組みの一環として、わたしも講義しました(テーマ:教科書が書かない!日本古代史の真実とは!)。愛知県下の高校生だけでなく中学生も熱心に聴講されていました。子供たちに古田史学を紹介し、学問の方法を語ることは将来的にも貴重な取り組みです。

 以上、2015年の「古田史学の会」の取り組みを思いつくままに記しました。


第1102話 2015/12/06

『古田史学会報』131号のご紹介

 『古田史学会報』131号が発行されましたのでご紹介します。今号は古田先生の訃報に始まる「追悼号」となりました。正木事務局長は先生の学問業績を振り返り、わたしは「追憶・古田武彦先生」の連載を開始しました。また、茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集委員)が見つけられた読売新聞の昭和44年11月12日の古田先生の「邪馬壹国」説の紹介解説記事を転載しました。この二年後に歴史的名著『「邪馬台国」はなかった』が朝日新聞社から出されますが、それよりも早く「邪馬壹国」説に着目し、記事にした読売新聞の担当記者の学識がうかがわれます。
 前号に続いて北海道2名(今井・阿部)、四国2名(合田・西村)が活躍しています。桂米團治さんのオフィシャルブログからも、古田先生の追悼文を転載させていただきました。正木さんの連載「『壹』から始める古田史学」も快調です。
 掲載稿は下記の通りです。

『古田史学会報』131号の内容
○古田武彦先生ご逝去の報告  古田史学の会・代表 古賀達也
○古代の真実の解明に生涯をかけた古田武彦先生  古田史学の会・事務局長 正木裕
○追憶・古田武彦先生(1)
 蓮如生誕六百年に思う  古田史学の会・代表 古賀達也
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
 「古田武彦先生、逝去」
○昭和44年11月12日 読売新聞第二社会面
 邪馬台(ヤマタイ)国ではなく邪馬壹(ヤマイ)国
○「みょう」地名について -「斉明」と「才明」-  松山市 合田洋一
○垂仁紀の謎  千歳市 今井俊國
○「熟田津」の歌の別解釈(二)  札幌市 阿部周一
○「ものさし」と「営造方式」と「高麗尺」  八尾市 服部静尚
○「壹」から始める古田史学3
 古代日本では「二倍年暦」が用いられていた  古田史学の会・事務局長 正木裕
○割付担当の穴埋めヨタ話⑧ 五畿七道の謎  高松市 西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1095話 2015/11/21

関西例会で赤淵神社文書調査報告

 今日の関西例会は冒頭に西村さんから、那須与一が扇の的を射たのは現地伝承の高松市牟礼町側(東側)ではなく、西の屋島側からとする考察が発表されました。西側からでないと逆光(夕日)となり、眩しくて的を射ることは困難とのことです。また、その日の戦闘で那須与一は屋島の「内裏」焼き討ちに参戦しており、屋島側にいたことは明らかです。従って、現在の「現地伝承」は信用できないとされました。
 正木裕さんからは、北海道のアイヌの聖地(沙流川水系額平川・沙流郡平取町)から産出される「アオトラ石(縄文時代の石斧の材料・緑色片岩の一種)」を紹介され、古田先生が『真実の東北王朝』で記されたとおり、アイヌ神話(アイヌの「天孫降臨神話」)が縄文時代にまで遡ることを報告されました。
 11月18日に実施した朝来市の赤淵神社文書現地調査報告として、茂山憲史さんが撮影された文書の写真をプロジェクターで映写し、正木さんから説明されました。
 わたしからも、赤淵神社縁起が2種類あり、どちらがより原型を保っているのか史料批判上判断しがたいことを説明しました。いずれにしても平安時代成立(天長5年、828年)の史料に九州年号の「常色」や「朱雀」が記されていることには違いなく、九州年号を鎌倉時代に僧侶が偽作したとする「通説」を否定する直接史料であることを強調しました。引き続き、同史料の調査分析を進めたいと思います。
 11月例会の発表は次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
①那須与一「扇の的」の現場検証(高松市・西村秀己)
②「最勝会」について(八尾市・服部静尚)
国伝の「東西五月行南北三月行」(姫路市・野田利郎)
④『園部垣内古墳』を読んで(京都市・岡下英男)
⑤『真実の東北王朝』は「真実」だった(川西市・正木裕)
⑥赤淵神社文書映写(茂山憲史氏撮影。解説:正木裕さん)
⑦赤淵神社文書現地調査報告(京都市・古賀達也)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・森嶋瑤子さん(森嶋通夫夫人)へメッセージ要請・KBS京都「本日、米團治日和」テープ起しの校正・史跡巡りハイキング(阪神香櫨園駅周辺、辰馬考古資料館)・TV視聴(奈良大学文学講座)・光石真由美『旅を書く』・大橋乙羽『千山萬水』・その他


第1093話 2015/11/14

永禄三年(1560)成立『赤淵大明神縁起』

 朝来市の赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』の研究を「洛中洛外日記」で連載したところ、金沢大学のKさんからメールをいただき、以来、学問的な交流が続いています。今回、Kさんから『赤淵大明神縁起』(松平文庫本)の存在を教えていただきました。いただいたメールによると、『赤淵神社縁起』は朝倉義景が永禄三年(1560年)に心月寺(福井市)の才応総芸に命じて作らせたとされる『赤淵大明神縁起』に酷似しているということなのです。
 そこで、先日拝見させていただいた赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』(活字本、天長五年成立)と比較したところ、オール漢字の『赤淵神社縁起』を読み下したものが『赤淵大明神縁起』であることがわかりました。しかも、『赤淵大明神縁起』は欠字が多く、『赤淵神社縁起』の方がより祖形であると判断できました。
 しかも両者は恐らく同系統の原本に基づいていると考えられます。その根拠の一つは、冒頭近くにある次の文の※部分の字が共に欠字となっており、既に※の部分が欠字となった共通の原本(の系統)によったと考えられるからです。

 「吾朝大日※字之上具足国也雖為小国号大日本国」(『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本)

 「吾ガ朝ハ大日※字ノ之上ニ□テ?□足スル国也、小国為リトイヘドモ、大日本国ト号ス、」(『赤淵大明神縁起』松平文庫本)
 〔古賀注〕「※」「□」は欠字。「?」は活字が読みとれませんでした。

 この他にも、『赤淵大明神縁起』では九州年号の「常色元年」(647年)という表記が「常□元年」(□は欠字)となっていたり「常常元年」となっている部分があり、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の方が良好な写本です。しかも、『赤淵大明神縁起』松平文庫本の末尾には書写年次は「永禄三年庚申六月六日 総芸 判」と記されていますが、書写原本の成立年次「天長五年」(828年)は記されていません。もちろん、最終的には活字本ではなく原本での確認が必要です。
 この『赤淵大明神縁起』松平文庫本により、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の書写原本、あるいは同系統本の存在が永禄三年(1560年)までは確実に遡れることとなりました。
 心月寺(福井市)の才応総芸に『赤淵大明神縁起』の作成を命じた朝倉義景は表米宿禰の子孫ですから、みずからの出自が7世紀の表米宿禰であり、表米宿禰は孝徳天皇の皇子であるとする『赤淵大明神縁起』やその伝承を重要視していたことは確かでしょう。こうして、平安時代成立の九州年号史料『赤淵神社縁起』の研究はまた一歩進展しました。こうなると学問のためにも、赤淵神社所蔵原本を拝見する機会を得たいと願っています。


第1090話 2015/11/10

「古田武彦先生追悼講演会」のご案内済み

 10月14日に御逝去された古田先生の追悼講演会を、来年1月17日(日)、大阪市浪速区の「大阪府立大学なんばサテライト(I-siteなんば)」にて執り行うことといたしましたので、取り急ぎご案内申し上げます。
 年内に京都で開催すべく検討を進めてきましたが、時節柄会場や宿泊施設の確保が困難なため、「古田史学の会」が予定していました新年講演会の会場をそのまま利用し、「古田武彦先生追悼講演会」とすることにしました。なお、『古田史学会報』などでご案内したとおり、新井宏氏にご講演いただきます。
 既に、松本深志高校時代の教え子、北村明也様(古田史学の会・松本)や御遺族(古田光河様)らのご臨席のご承諾もいただいています。また、東北大学の御後輩で日本思想史学会前会長の佐藤弘夫教授からもメッセージをいただけるはこびです。
 ご来賓や式次第などの詳細は決まり次第、ご報告いたします。古田先生とのお別れに多くの皆様にご臨席賜りますよう、お願い申しあげます。なお、主催は「古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)」「多元的古代研究会」「古田史学の会」の三団体で、ミネルヴァ書房様協賛での開催となります。

古田武彦先生追悼講演会のご案内

期日 2016年 1月17日(日)午後1時から4時30分まで
場所

大阪府立大学I-siteなんば2階C会議場
          カンファレンスルーム

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2階
大阪府立大学I-siteなんばの交通アクセスはここから。

南海電鉄難波駅なんばパークス方面出口より
       南約800m 徒歩12分
地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より
       南約1,000m 徒歩15分
地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)
    1号出口より東約450m 徒歩7分

講演
1).追悼式 午後1時〜2時30分
2). 古代史講演会 午後3時〜4時30分

  「鉛同位体比から視た平原鏡から三角縁神獣鏡」
      新井 宏氏

 銅鏡に含まれる鉛同位体の分析から、「三角縁神獣鏡の大部分は複製を含めた国産である」とされている冶金学者で『理系の視点からみた「考古学」の論争点』などの著書があります。
(韓国国立慶尚大学招聘教授)

 

なお終了後、懇親会(別途申込)も実施されます。

参加費

無料


第1076話 2015/10/15

古田武彦先生ご逝去の報告

 古田武彦先生が昨日ご逝去されました(享年89歳。10月14日午後10時13分、搬送先の桂病院にて)。謹んで皆様にご報告申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、古田先生の御遺命により、葬儀は執り行われず、ご親族によるお別れがなされます。「古田史学の会」としましては、友誼団体ともご相談の上、「お別れ会」(仮称)を執り行います。日時・会場など詳細が決まりましたら改めてご報告申し上げます。
 また、「九州年号特集」を予定していました『古代に真実を求めて』19集(来春発行)は「古田武彦先生追悼号」に変更させていただきます。
 先生の御遺志と学問、古田史学・多元史観をこれからも継承発展させることをお誓い申し上げます。

 平成27年(2015)10月15日
         古田史学の会 代表 古賀達也

古田武彦研究年譜を掲載