古代に真実を求めて一覧

第255話 2010/05/01

『古代に真実を求めて』

   第13集発刊

 古田史学の会の論集『古代に真実を求めて』第13集が明石書店より発刊されました。古田史学の会の2009年度賛助会員には会則に従って発送しました。一般書店でもお取り寄せ、お求めできます。定価2400円+税です(257頁)。
 13集には古田先生の講演録1編(日本の未来−日本古代論-、2009年講演)の他、会員による9論文が収録されており、古田史学・多元史観による最新研究成果が報告されています。
 中でも、伊東義彰さんの「太宰府考」と拙論「太宰府条坊と宮域の考察」は九州王朝の首都太宰府研究に関する最新の考古学的知見に基づいたもので、是非、
ご一読いただければと思います。正木裕さんの「『日本書紀』の「三四年遡上」と難波遷都」も氏の近年の研究成果がまとめられており、示唆的です。四国松山
の合田洋一さんからは2論文(「越智国の実像」考察の新展開、娜大津の長津宮考)が寄せられました。いずれも現地調査に基づかれた力作です。その他の論文
も貴重な視点や発見が含まれており、読み応えのある一冊となりました。

『古代に真実を求めて』第13集目次
○巻頭言  水野孝夫
○特別掲載 日本の未来ーー日本古代論 古田武彦講演録
○研究論文
 北部九州遠賀川系土器はロシア沿海州から伝わった  佐々木広堂
 『日本書紀』の「二国併記」と漢の里単位問題  草野善彦
 太宰府条坊と宮域の考察  古賀達也
 太宰府考  伊東義彰
不破道を塞げ 三 ーー天子宮が祀るのは、瀬田観音にいた多利思北孤  秀島哲雄
「越智国の実像」考察の新展開 ーー「温湯碑」建立の地と「にぎたつ」  合田洋一
 『日本書紀』の「三四年遡上」と難波遷都  正木 裕
  娜大津の長津宮考 ーー斉明紀・天智紀の長津宮は宇摩国津根・長津の村山神社だった  合田洋一
 淡路島考 ーー国生み神話の「淡路洲」は瀬戸内海の淡路島ではない  野田利郎
○付録
 古田史学の会・会則
 「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
 第14集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
 編集後記


第209話 2009/04/07

『古代に真実を求めて』12集発行
 古田史学の会編『古代に真実を求めて』12集が明石書店より刊行されました。古田史学の会2008年度賛助会員には1冊進呈します。近日中にもお手元に届きます。

 今号も古田先生の講演録・論文を初め、会員による研究論文が満載です。ご期待下さい。
 
◎講演録
 九州王朝論の独創と孤立について/古田武彦
◎研究論文
 生涯最後の実験/古田武彦
 真実の「アイヌ人・アイヌ語」/佐々木広堂
 よみがえる倭京/古賀達也
 前期難波宮は九州王朝の副都/古賀達也
 「白村江」後の倭の防衛戦略/田中敬一
 不破道を塞げ 二/秀島哲雄
 太宰府政庁跡遺構の概略/伊東義彰
 「持統紀」はなかった/飯田満麿
 藤原宮と「大化の改新」/正木裕
 「奴」をどう読むか/棟上寅七
 「越智系図」における越智益躬の信憑性/八束武夫
 沖ノ島/伊東義彰


第174話 2008/05/03

古写本「九州年号」の証言

 古田先生が『失われた九州王朝』で紹介された九州年号は、その後の九州王朝研究の重要な一テーマとなりましたが、その「九州年号」という名称については、江戸時代の学者鶴峯戊申の『襲国偽僭考』に紹介された「古写本九州年号」に拠られました。その後の九州年号研究において、この「古写本九州年号」とい うものは鶴峯による創作であり、本当は無かったのではないかという論者(丸山晋司さん)もでるほど、他の文献には見られないものでした。

   ところが、本会会員の冨川ケイ子さんが、明治期の研究書に「九州年号」という史料が引用されていることを発見され、「九州年号・九州王朝説−明治25年−」という論文で発表されました(『古代に真実を求めて』8集所収)。その研究書とは今泉定介「昔九州は独立国で年号あり」で、明治25年発行の『日本史学新説』広池千九郎著に収録されており、国会図書館のホームページ内「近代デジタルライブラリー」で閲覧できます。
 こうして、「九州年号」という古写本が江戸期から明治に存在していたことは決定的となりました。ところが、実はこの「九州年号」という名称そのものが九州王朝説を証明する論理性を有しているのです。すなわち、九州地方に近畿天皇家に先だって年号を公布してきた王朝が存在していたという意味を、この「九州年号」という名称は前提としているからです。古田先生による九州王朝説発表よりもはるか昔に「九州年号」という古写本が存在していたことは、偶然の一致で はなく、九州王朝説は真実であるという必然の帰結であり、そうした論理性を示しています。
 日本古代史学界の学者や、九州王朝説反対派はこの史料事実と論理性に対して、全く反論できていません。この30年来、じっと無視・沈黙しているのです。 裸の王様(日本古代史学界・九州王朝説反対派)は、さぞ辛いことでしょう。30年来、「王様は裸だ!」と言い続けられているのですから。本会のホームページの存在も辛いことでしょう。歴史を研究しようとする青年達は、インターネットの時代ですから、必ず本会のホームページを目にするに違いありません。その 時、真実の歴史(古田説)を知ってしまった若者を、学校の大和朝廷一元史観教育で洗脳できるのも、いつまででしょうか。
   なお、付言しますと宇佐八幡宮文書に『八幡宇佐宮繋三』という史料があります。同書は、元和三年(一六一七)五月、神祇卜部兼従が編纂した宇佐宮の縁起書ですが、その中に、次のような興味深い記事があります。

 「文武天皇元年壬辰大菩薩震旦より帰り、宇佐の地主北辰と彦山権現、當時〔筑紫の教到四年にして第廿八代安閑天皇元年なり、〕天竺摩訶陀國より、持来り給ふ如意珠を乞ひ、衆生を済度せんと計り給ふ、」
   ※〔 〕内は細注。

 細注に記された「筑紫の教到四年にして第廿八代安閑天皇元年なり」という文は、いわゆる九州年号の「教到」が天皇家とは別の筑紫地方の年号、あるいは筑紫の権力者が公布した年号であるという、編者の認識を示しています。これも古写本「九州年号」と同じ論理性を有しており、このように複数の史料が九州王 朝・九州年号説を支持しているのですが、この事に対しても「裸の王様」たちは沈黙しています。哀れというほかありません。


第168話 2008/04/06

発刊!『古代に真実を求めて』第11集

 古田史学の会編集の論集『古代に真実を求めて』第11集が発行されました。2007年度賛助会員(年会費5000円)には1冊進呈しています(発送中)。一般会員の方は、書店にてご注文いただくか、『古田史学会報』記載の本会書籍部(会員特価あり)にお申し込み下さい。
               掲載論文は次の通りです。古田先生の講演録・研究論文が半分を占めており、古田ファン待望の1冊となりました。(明石書店刊 2200円+税)

              ○巻頭言 古田史学の会代表 水野孝夫
              ○講演記録
               寛政原本と学問の方法 古田武彦 2007年1月 於:大阪市
               人類と日本古代史の運命─歪んだ教科書─ 古田武彦 2007年10月 於:豊中市
              ○研究論文
               寛政原本と古田史学 古田武彦
               最後の九州年号─「大長」年号の史料批判─ 古賀達也
               続・最後の九州年号─消された隼人征討記事─ 古賀達也
               不破道を塞げ─壬申の乱は九州─ 秀島哲雄
               武烈天皇紀における「倭君」 冨川ケイ子
               エクアドルの大型甕棺─倭国南海を極める。光武以って印を賜う─ 大下隆司
               皇暦実年代算定についての試案 飯田満麿
               『日本書紀』「持統紀」の真実─書紀記事の「三十四年遡上」現象と九州年号─ 正木 裕
               万葉集二十二番歌 水野孝夫
              ○フォーラム
               呪符の証言(遺稿) 林 俊彦
              ○付録
               古田史学の会・会則
               「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
               第十二集投稿募集要項
               古田史学の会 会員募集
           編集後記


第157話 2008/1/20

九州王朝論の独創と孤立

 昨日は古田先生による新年講演会が開かれました。今後は著書執筆に専念されるため、特段の事情のない限り、古田先生の講演会は行われないとのことで、遠方からも多くの聴講者が集まりました。「九州王朝論の独創と孤立について」という演題で、最近の研究テーマとともに、社会体制が変わっても、その体制に都合の良い「歴史観」が採用されるだけであり、そうではなく、真実のための歴史観を獲得しなければならないと、情熱を込めて話されました。講演内容は『古代に真実を求めて』12集に掲載されることになると思います。
 講演に先立ち、午前中は関西例会が行われ、短里研究で著名な谷本茂さん(会員)の研究発表がありました。短里はなかったとする田次伸也さん(会員)への反論で、質疑応答では他の参加者も交えて、激しい論争になりました。例会への初参加者は、その激しさに驚かれたようですが、古田史学の会・関西例会ならではの光景で、面目躍如といったところです。
   講演後は古田先生を囲んで、40名近くで新年会を開催し、盛り上がりました。ペルーから筏で日本まで航海するプロジェクトの関係者などもご参加いただき、楽しい一夕でした。
   常連組は引き続き3次会へと突き進み、四国から参加された阿部さん(古田史学の会・四国 副会長)、合田さん(古田史学の会・全国世話人)を交えて、親睦を深めました。

  〔古田史学の会・1月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 古代史研究の方法について−田次伸也氏の所論を巡って−(神戸市・谷本茂)

  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・伊勢穴津は淡海=八代海に面していた・他(奈良市・水野孝夫)

  ○古田武彦氏新年講演会
   九州王朝論の独創と孤立について(古田武彦)


第126話 2007/03/16

発刊!『古代に真実を求めて』第10集

  古田史学の会編集『古代に真実を求めて』10集が明石書店より近日中にも発刊されます。今号も古田先生の講演録2編の他、会員による研究論文等、多元史観に基づいた重要な研究成果が満載です。価格は2200円+税(240頁)です。是非、最寄りの書店にてお求め下さい。なお、本会2006年度賛助会員 (06Y)の皆さんには1冊サービスとして発送します。届かない場合は、事務局まで御一報下さい。
  内容は次の通りです。
 
  〔特別掲載〕 古田武彦講演録
  ○万世一系の史料批判
    — 九州年号の史料批判と古賀新理論の展望
  ○八面大王の謎
 
  〔研究論文〕
  ○木簡に九州年号の痕跡 — 三壬子年」木簡の史料批判 古賀達也
  ○「元壬子年」木簡の論理 古賀達也
  ○和田家文書の真実性を考古学資料に基づき証明する 佐々木広堂
  ○北涯の地の「上・下」
    — 蝦夷地(北海道)上之国・下之国の地名由来 合田洋一
  ○大野城太宰府口城門出土木材に就いて 飯田満麿
  ○法隆寺移築元の追求 その二 飯田満麿
  ○倭王になろうとした磐井 伊東義彰
 
  〔フォーラム〕
  ○記紀の彦島 — 神々の原域 西井健一郎
 
  〔付録〕
  ○会則、世話人、地域の会名簿、投稿要領、会員募集
 
  〔編集後記〕


第76話 2006/05/05

『伊予史談』341号
       
       
         
            

    古田学派内でも自著をものにする人が増えてきました。これは大変悦ばしいことですが、その反面、内容は玉石混淆で、学問の方法が古田先生とは似て非なる
もの、あるいは似ても似つかぬものも散見されます。そんな中にあって、『聖徳太子の虚像』という好著をものにされたのが、四国松山の合田洋一さん(本会全
国世話人)です。その合田さんが愛媛県の郷土誌『伊予史談』341号(平成18年4月号、伊予史談会発行)に、「歴史学の本道と伊予の温湯碑−白方勝氏の
批判論文に寄せて−」という論文を発表されました。

 同論文は、『伊予史談』339号に掲載された白方勝氏(元・愛媛大学教授)の論文「伊予の湯の岡の碑文と聖徳太子」に対する反論ですが、「九州王朝説は
仮説の段階にある」「仮説を定説のように扱っている」と批判された白方氏に対し、「『定説』とされる大和王朝も学問上は一つの仮説ではないでしょうか」
と、合田さんが初心者にもわかりやすく具体的に反論されたものです。
たとえば、『隋書』や『旧唐書』に記された倭国が九州としか考えられないこと、その倭国は志賀島の金印をもらった委奴国の後継王朝であること、『旧唐書』
には倭国(九州王朝)と日本国(大和朝廷)とが別国として表記されていることなどが、初めて読む人にも判るように紹介されています。もちろん九州年号やそ
の金石文の存在なども述べられており、単なる反論に終わらず、「古田史学入門書」の役割も果たしており、秀逸です。
 このように、一元史観と古田史学との論争は、定説側が隠していた、あるいはあえて触れてこなかった史料事実・考古学的事実が白昼のもとにさらけ出され、
それを見たイデオロギーにとらわれない読者が古田説支持者へと変わっていくという構図になっているのです。現にこの合田論文を読んだ人の本会への入会が始
まっています。
  わたしは、このような時にいつも童話「裸の王様」を思い出します。古田史学(真実の古代史)を知った人々が王様(大和朝廷一元史観)に対して、「王様は裸(学問的論証を経ていない、史料事実を無視している)だ」と叫ぶ姿とオーバーラップしてしまうのです。
   今日は子供の日。「王様は裸だ」と叫ぶ、子供の日です。

            


第70話 2006/04/08

『古代に真実を求めて』第9集発刊

 今朝の京都は風が強く、満開の桜も一気に散ってしまいそうな気配です。わたしの勤務先の庭には桜の木が1本あり、昨夕は仕事が終わった後、社長以下社員で花見とバーベキューを楽しみました。今日も午後は御所と鴨川の桜を見に行きます。夕方には佐賀県より本会会員の古川清久さんが見えられますので、夕食をご一緒する予定です。
 さて、今年も満開の桜と共に明石書店より本会編集の『古代に真実を求めて』第9集が送られてきました。定価は2600円+税ですが、約400頁のうち、半分が古田先生の講演録と論文で、古田ファンには見逃せない一冊となっています。最新の古田説を知る上でも、また『古田史学会報』に昔掲載された重要論文が採録されており、貴重な史料でもあります。
 掲載された講演録・論文は次の通りです。

1  「釈迦三尊」はなかった 講演録05/01/15 古田武彦
2  古今和歌集 講演録・対談録05/07/30 古田武彦
3  両京制の成立−九州王朝の都域と年号論− 古田武彦
4  高良山の「古系図」−「九州王朝の天子」との関連をめぐって− 古田武彦
5  東北(青森県を中心とした)弥生稲作は朝鮮半島東北部・ロシアから伝わった−封印された早生品種と和田家文書の真実− 佐々木広堂
6 「上・下」「前・後」の地名考−地名に見る多元的古代の証明− 合田洋一
7 「継体紀」の秘密−日本正史を貫徹する一元史観成立の真因− 飯田満麿
8  北部九州の弥生王墓−神武東征の時期を探る− 伊東義彰
9  倭地および邪馬壹国の探求(6)−「更立男王」は直前男王であった− 佐藤広行
10 『古事記』序文の壬申大乱 古賀達也
11  阿漕的仮説−さまよえる倭姫− 水野孝夫


第54話2005/12/25

『風早』

 愛媛県松山市の合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人)から、『風早』51号(平成17年12月発行)という雑誌が送られてきました。この雑誌は松山市北条(旧北条市)の風早歴史文化研究会から発行されているもので、地元の歴史や文化などの研究論文が掲載されている伝統のあるものです。
 送られた51号には合田さんの講演録「風早国・越智国考察の新展開」が収録されています。合田さんは古田説に基づいた『聖徳太子の虚像』という著書を近年著されるなど、目覚ましい活躍を見せておられる方です。古田史学の会・四国を立ち上げられた中心人物のお一人であり、毎月の例会活動でも講師として頑張っておられます。他方、お仕事の他にも社交ダンスの腕前もたいしたもので、各地の競技会にも出ておられます。このような、パワーのある方に古田学派の陣営に入っていただき、心強く思っています。
 収録された講演の内容も、地元史を多元史観の立場から考察されたもので、興味深い知見が随所に盛り込まれていました。たとえば、地元の神社が「朝倉天皇」と呼ばれていたり、地名に「天皇」(旧・丹原町)「天皇橋」(旧・朝倉村)があったり、神社縁起などに「長沢天皇」「中河天皇」などが記されているなど、本当に面白い地域だと思いました。こうしたことを多元史観で研究することにより、あらたな真実の伊予の古代史が見えてくるかもしれません。合田さんや古田史学の会・四国のこれからの更なる活躍が期待されます。


第34話 2005/10/07

会員論集『古代に真実を求めて』

 古田史学の会では年に一度、会員論集『古代に真実を求めて』(明石書店)を発行しています。過日、『古代に真実を求めて』第9集の編集会議を水野代表のご自宅で行い、採用論文を審議しました。古田先生の講演録2編と同論文2編の他、会員の論文7編の採用を決定しました。来年3月の発行予定です。本会賛助会員(年会費5000円)には郵送いたしますが、一般書店でもお求めになれます。
 今回の論文審査でも感じたのですが、字数制限を無視した冗長で長い論文を投稿される方がありますが、はっきりいって長い論文は採用の可能性はそれだけ低くなります。長いものは、長くても読ませるだけの文章力と論理的明快さ、そして面白さが要求されます。ですから、採用されたければ、短く、判りやすく、明快な方法論と論証がポイントです。それと、最初に何を論証しようとしているのかを記しておくべきでしょう。最後まで読まなければわからないような「推理小説」のような論文はダメです。
 また、会員以外の方の応募もありますが、非会員の場合、よほど内容的に優れたものでなければ採用は困難です。会員論集ですから、やはり会員の論文が優先されます。これは、本会に限らず、会員であることを応募資格にしているところが多いものです。その為にも、是非本会へご入会下さい。
 論証や論文は苦手という方には、「フォーラム」という分野があり、エッセイなどを採用しています。この場合、論文よりも更に短く、面白いことが採用のポイントとなります。初心者の方は、まずフォーラムに応募されることをおすすめします。
 最後に、『古代に真実を求めて』の応募原稿はそれほど多くはありません。ですから、上記の注意点に留意されれば、採用の可能性はかなり高いと思います。是非、挑戦してみて下さい。応募要項は『古代に真実を求めて』に掲載されていますので、ご参照下さい。


第9話 2005/07/03

明治時代の九州年号研究

 今年、古田史学の会が発行した『古代に真実を求めて』8集には、九州年号研究史に関する重要な論文2編が収録されています。一つは自画自賛になり恥ずかしいのですが、わたしの「『九州年号』真偽論争の系譜」で、昨年10月に京都大学で開催された日本思想史学会で発表した内容を論文にしたものです。主に江戸時代における九州年号真偽論にふれたもので、新井白石は実証的な真作説(ただし、大和朝廷の年号で正史から漏れたものとする)、対して貝原益軒は皇国史観に立った偽作説(僧侶による偽作)であることなどを紹介しました。
 もう一つの論文は冨川ケイ子さんによる「九州年号・九州王朝説 — 明治25年」で、なんと明治時代において九州年号を真作とする説が、当時の大家から論文発表されていたという内容です。わたしもこの事実を関西例会で冨川さんからお聞きしたとき、大変驚きました。古田先生以前に、初歩的ではありますが、「九州王朝説」や九州年号真作説が発表されていたのですから。
 その大家の論文とは今泉定介「昔九州は独立国で年号あり」と飯田武郷「倭と日本は昔二国たり・卑弥呼は神功皇后に非ず」で、特に飯田武郷は大著『日本書紀通釈』の著者として有名です。これらの論文は明治25年発行の『日本史学新説』広池千九郎著に収録されており、国会図書館のホームページ内「近代デジタルライブラリー」で閲覧できます。詳細は『古代に真実を求めて』8集を是非お読み下さい。
 このような研究史から埋もれていた貴重な論文を発見された冨川さんの業績は、古田学派による2004年度を代表する学問的成果の一つと言えます。ちなみに、冨川さんは相模原市に住んでおられますが、毎月の関西例会に新幹線で参加されるという熱心な会員さんです。その学問への情熱には本当に頭が下がります。

古賀氏の論文の原史料は闘論★九州年号をご覧下さい