白雉改元と前期難波宮
昨年から今年にかけて、私は『日本書紀』白雉改元記事の史料批判から、あるいは前期難波宮の規模や様式などから、この難波宮を九州王朝の副都とする仮説を展開してきました。19日の関西例会でも最新の発見について報告しましたが、そのおり竹村順弘さんから、兵庫県南部に白雉年間創建の寺院が多いことを教えていただきました。この事実も難波宮建設と関連が深いと思われますが、「元壬子年」木簡の出土地も芦屋市だったことを考えると、なかなか興味深い現象です。
今回の例会もバラエティーに富んだ内容で、毎回充実した例会となっています。例会後の二次会も参加者が多く賑やかですが、最近では三次会も参加者が多く場所探しが大変でした。また、二次会から参加される「熱心」な方もおられ、驚かされます。例会の内容は次の通りです。
〔古田史学の会・8月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 歴史でたどる日本の古寺名刹「海の道」
○研究発表
1. 孔明「出師の表」と岳飛・『なかった─真実の歴史学』創刊号を見て・守備範囲外(豊中市・木村賢司)
2. 「速吸門」についての若干の整理(川西市・正木裕)
3. サヌカイトと屋島訪問ー古田武彦先生同行記ー(豊中市・大下隆司)
4. 続・白雉改元の史料批判(京都市・古賀達也)
5. 熊本県浄水寺の平安時代石碑2(相模原市・冨川ケイ子)
6. さ迷える五十鈴の宮(大阪市・西井健一郎)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・阿胡根能浦は鹿児島県阿久根市か・他(奈良市・水野孝夫)