2008年08月一覧

第188話 2008/08/31

「大化改新」論争と西村命題

 第187話において、山尾幸久氏の論稿「『大化改新』と前期難波宮」(『東アジアの古代文化」133号、2007年)を紹介し、大化改新虚構説にとって前期難波宮の存在が致命傷となっていることを述べましたが、管見では1969年に発行された『シンポジウム日本歴史3 大化改新』(井上光貞司会、学生出 版)でも、井上光貞氏、門脇禎二氏、関晃氏、直木孝次郎氏という斯界の泰斗が、前期難波宮の存在を大化改新真偽論に関わる主要テーマの一つとして、繰り返し論争している様子が収録されています。

 また、1986年発行の『考古学ライブラリー46 難波京』(中尾芳治著、ニュー・サイエンス社)でも、「孝徳朝に前期難波宮のように大規模で整然とした内裏・朝堂院をもった宮室が存在したとすると、それは大化改新の歴史評価にもかかわる重要な問題である。」「孝徳朝における新しい中国的な宮室は異質のものとして敬遠されたために豊碕宮以降しばらく中絶した後、ようやく天武朝の難波宮、藤原宮において日本の宮室、都城として採用され、定着したものと考えられる。この解釈の上に立てば、前期難波宮、すなわち長柄豊碕宮そのものが前後に隔絶した宮室となり、歴史上の大化改新の評価そのものに影響を及ぼすことになる。」(93頁)と、前期難波宮の存在が大化改新論争のキーポイントであることが強調されています。
 前期難波宮が『日本書紀』の記述通り652年に造営されたことは考古学上、ほぼ問題ない事実であると思われるのですが、こうした考古学上の見解以外にも、大化改新虚構論や、山尾さんの天武期に前期難波宮が造営され、改新詔もその時期に出されたとする説には大きな欠点があります。それは西村命題(第184話参照)をクリアできないという点です。
 もし、山尾説のように天武が近畿では前例のない大規模な前期難波宮を造営し、改新を断行したのなら、天武の子供や孫達が編纂させた『日本書紀』にその通り記せばいいではないですか。何故、天武の業績を『日本書紀』編纂者たちが隠す必要があるのでしょうか。孝徳期にずらす必要があるのでしょうか。このように、山尾説は「それならば、何故『日本書紀』は今のような内容になったのか」という西村命題に答えられないのです。(つづく)


第187話 2008/08/30

大化改新と前期難波宮

 最近、大化改新の研究に没頭しているのですが、通説を調べていて面白いことに気づきました。

  岩波の『日本書紀』解説にも書かれているのですが、大雑把に言えば、大化二年の改新詔を中心とする一連の詔は、歴史事実であったとする説と、「国司」など の大宝律令以後の律令用語が使用されていることから、『日本書紀』編纂時に創作された虚構とする説、その中間説で大宝律令や浄御原令の時の事績を孝徳期に遡らせたものとする説があります。そして、孝徳期にはこのような改新は無かったとするのが学界の大勢のようなのです。
   ところが、孝徳期に大化改新詔のような律令的政治体制は無かったとする学界の大勢には、大きな弱点、目の上のたんこぶがあったのです。それは前期難波宮の存在です。
 大規模な朝堂院様式を持つ前期難波宮は、どう見ても律令体制を前提とした宮殿様式です。それは、後の藤原宮や平城京と比較しても歴然たる事実です。この事実が今も大和朝廷一元史観の歴史家たちを悩ませているのです。
   たとえば、山尾幸久氏の論稿「『大化改新』と前期難波宮」(『東アジアの古代文化」133号、2007年)にも如実に現れています。そこには、次のような記述があります。

 右のような「大化改新」への懐疑説に対して、『日本書紀』の構成に依拠する立場から、決定的反証として提起されているのが、前期難波宮址の遺構である。 もしもこの遺構が間違いなく六五〇〜六五二年に造営された豊碕宮であるのならば、「現御神天皇」統治体制への転換を成し遂げた「大化改新」は、全く以て疑 う余地もない。その表象が現実に遺存しているのだ。(同誌11頁)

 このように、大化改新虚構説に立つ山尾氏は苦渋を示された後、前期難波宮の造営を20年ほど遅らせ、改新詔も前期難波宮も天武期のものとする、かなり強引な考古学土器編年の新「理解」へと奔られているのです。
 ようするに、学界の大勢を占める大化改新虚構説は前期難波宮の存在の前に、論理上屈服せざるを得ないのですが、わたしの前期難波宮九州王朝副都説に立て ば、この問題は氷解します。すなわち、650年頃、前期難波宮に於いて九州王朝が評制を中心とする律令的政治体制を確立したと考えれば、前期難波宮の見事 な朝堂院様式の遺構は、従来の考古学編年通り無理なく説明できるのです。(つづく)


第186話 2008/08/23

八角堂と八角墳

 8月16日の関西例会はお盆の休みにもかかわらず、過去最高の参加人数でした。もちろん、内容も多岐に渡り充実しています。初参加の方もありました。多くの会員の皆さんの参加をお待ちしています。

 今回の発表で興味深かったのは竹村さんの「八角堂」と「八角墳」の紹介と関係を論じたものでした。ある説によれば、孝徳・斉明・天智・天武・持統・文武の陵墓が八角墳であるとのこと。前期難波宮の八角堂が出現してから、近畿天皇家の陵墓に「八角形」が採り入れられたとすれば、それは偶然ではなく、何らかの理由があったに違いありません。その理由は、まだわかりませんが、とても楽しみな現象であり研究テーマではないでしょうか。
   おそらくこの研究は多利思北孤以後の九州王朝天子の陵墓研究へもつながる予感がしています。なお、発表内容は次の通りでした。
 
  〔古田史学の会・8月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 古田史学「林間雑論会」実施報告・他(豊中市・木村賢司)
  2). 動歩と靜歩(交野市・不二井伸平)
  3). 伊予の湯の岡碑文と九州王朝論─白方勝氏の歴史観について─(岐阜市・竹内強)
  4). 九州王朝の近江遷都はあったか?(木津川市・竹村順弘)
  5). 太宰府遺構の概略(生駒市・伊東義彰)
  6).「筑後川」と「古川」と「古賀」(たつの市・永井正範)
  7). 難波遷都の実態について・飛鳥浄(清)御原宮は小郡の宮か・他(川西市・正木裕)
 
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・淡海は八代海である・他(奈良市・水野孝夫)


第185話 2008/08/14

『奪われた国歌「君が代」』

 待望の新刊、古田武彦著『奪われた国歌「君が代」』が出ました。情報センター出版局刊、1400円+税です。
 カバーの帯に『「君が代」は、本当に天皇を讃えた歌なのか?数奇な運命を辿った「国歌」成立の過程が、隠された「邪馬壱国」「九州王朝」をあぶり出す。独創的異説が絶対的な説得力をもって「定説」を凌駕する。』とあるように、古田史学九州王朝説の真髄が凝縮された一冊となっています。初心者はもとより、研究者にとっても古田史学の再理解を深める上でわかりやすい好著といえるでしょう。
   北京オリンピックの表彰式で「君が代」を聞くとき、この本を読んだ人と、そうでない人との決定的な「落差」を感じさせる、暑い夏、熱い一冊です。


第184話 2008/08/10

『日本書紀』の西村命題

 九州王朝研究において、大和朝廷との王朝交代の実態がどのようなものであったか、例えば禅譲か放伐かなど、重要なテーマとなっています。近年、諸説が出されていますが、その時に避けて通れない説明があります。それは、「何故、日本書紀が今のような内容になったか」という説明です。
 ご存じのように、『日本書紀』は九州王朝の存在を隠しており、神武の時代から列島の代表者であり、卑弥呼や壹與の事績も神功紀に取り込むなど、古くから 中国と交流していた倭国は自分達であったかのような体裁をとっています。その反面、九州年号を「使用」していたり、自らの出自が九州の天孫族であることも堂々と記しています。
   このように、『日本書紀』はかなり複雑な編纂意図を持った史書であることがわかるのです。従って、近年の論者による禅譲説、放伐説、あるいは大和遷都説にせよ、それならば「何故、日本書紀が今のような内容になったか」という問いをうまく説明できていないのです。
 わたしがこの問いを最初に聞いたのは、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)からでした。次から次へと出てくる珍説・奇説に対して、西村さんはこの問いを発し続けられたのです。大変するどい問いだと感心しました。そこでこの問いを「西村命題」と私は命名しました。
   古田学派内外で出される諸説のうち、この西村命題をクリアしたものは、まだありません。わたし自身も、大化改新研究と前期難波宮九州王朝副都説により、ようやく西村命題に挑戦できそうなレベルに近づけたかなあ、という感じです。恐るべし、西村命題、です


第183話 2008/08/02

『古田史学会報』87号の紹介

 ようやく『古田史学会報』87号の編集が終わりました。今号は古田先生から原稿をいただけました。松山市の八束さんは会報デビューです。

 最近、投稿が増えていますので、ページ数の制限から、短い原稿の方が早く掲載されます。冗長な論文は避けた方が懸命です。自然科学でもネーチャー誌などに掲載されたノーベル賞論文は切れ味鋭くシャープで短いものが少なくありません。例えば、ワトソン等のDNA二重螺旋の論文はたったの2ページですが、それでノーベル賞をもらっています。見習っていただければと思います。どうしても長くならざるを得ないものは、『古代に真実を求めて』に投稿して下さい。意外と採用されますよ。

 『古田史学会報』87号の内容
  ○「遠近法」の論理—再び冨川さんに答える— 古田武彦
  ○祭りの後—「古田史学」長野講座— 京都市 松本郁子
  ○『越智系図』における越智の信憑性—『二中歴』との関連から— 松山市 八束武夫
  ○「藤原宮」と大化の改新について I—移された藤原宮記事— 川西市 正木 裕
  ○伊倉6—天子宮は誰を祀るか— 武雄市 古川清久
  ○連載小説「彩神」第十二話 シャクナゲの里(6) 深津栄美
  ○古田史学の会 二〇〇八年六月十五日 会員総会の御報告
  ○古田史学の会 関西例会のご案内
  ○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
  ○『なかった 真実の歴史学』第五号 ミネルヴァ書房
   直接編集 古田武彦 総力特集●大化改新批判 定価二二〇〇円+税