2010年01月11日一覧

第240話 2010/01/11

2010年も古代に真実を求めて

 明けましておめでとうございます。2010年も古代に真実を求めて頑張りたいと思います。
 昨日は古田先生をお迎えして「古田史学の会・新年賀詞交換会」を大阪で開催しました。古田史学の会・仙台の青田さんや古田史学の会・東海の竹内さん林さん、古田史学の会・四国の合田さん等、各地から多数の会員にお越し頂き、旧交を温めました。古田先生も変わらずお元気で約3時間にわたり熱弁をふるわれました。これからも先生のご長寿と研究の発展を祈念し、古田史学の会としても総力をあげて支援していきたいと考えています。
 2009年の関西例会で発表された研究において、7世紀の九州王朝史復原や大和朝廷との権力交代の実態について、激しい論争を通じて検討が深められたように思われます。昨年12月の関西例会においても、西村秀己さん(古田史学の会全国世話人・会計)からの、大和朝廷で左大臣まで上り詰めた橘諸兄が九州王朝王族の子孫だったという発表は衝撃的でした。その論証の詳細は『古田史学会報』96号に掲載されますので、ご参照下さい。
 もしこの西村説が正しければ、九州王朝の有力者が少なからず大和朝廷の高級官僚になっていたことが推察され、王朝交代の実態が禅譲なのか放伐なのかという、古田学派内での永年の論争テーマの解決に寄与できるかもしれません。いずれにしても、2010年の関西例会での研究の深化を予感させる仮説です。
 12月関西例会の発表テーマは次の通りでした。

〔古田史学の会・12月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 京都「泉屋博古館」を見学・他(豊中市・木村賢司)

2). 橘諸兄・考(向日市・西村秀己)

3). 古田武彦・第6回古代史セミナー報告(豊中市・大下隆司)

4). 天武紀の地震記事と九州王朝(川西市・正木裕)
 天武紀には天武七年(六七八)の筑紫大地震はじめ、十七回もの地震記事が記録され、『書紀』中でも群を抜く。筑紫大地震以降の十六回中十二回はその余震と見られる事、火山活動に伴う降灰・雷電が記されている事等から、『書紀』のこの部分は筑紫の記事、即ち九州王朝の記録と考えられる。この時期風水害や降雹記事もあり、白村江敗戦に追い討ちをかける、度重なる天災により筑紫の疲弊は甚だしかったと推測される。
 一方、『書紀』天武十三年(六八四)の白鳳大地震は、東海・東南海・南海地震の同時発生と考えられ、被災地は筑紫ではなく東海・近畿・四国であるから、これは近畿の記事である。
 そして、この年九州年号が「朱雀」と改元されており、近畿での地震被害が改元の契機であれば、九州王朝はこの時点で拠点を近畿、その中でも副都たる難波宮に移していた事となる。これは難波宮焼失の天武十五年に九州年号が「朱鳥」に改元されていることからも裏付けられる。
 この間に九州王朝の筑紫から難波への移転がおき、近畿天皇家への権力移行期である天武末期から持統期に、両者は地理的にも近接して存在していたと考えられるのではないか

5). ホンマかいな?奈良の邪馬台国(木津川市・竹村順弘)

6). おシャカさんはなぜ死んだか(生駒市・五十嵐修)

7). 能楽と九州王朝(川西市・正木裕)
 十四世紀に観阿弥・世阿弥が大成した能楽の中に、九州王朝の芸能が取り込まれている事を謡曲「綾鼓」や「芦刈」より検証した。
 1.「綾鼓」は、世阿弥の書から古伝もとづく作品とされているが、斉明の「忌み殿」であるはずの筑紫朝倉木の丸殿に皇居があり、臣下・女御がいたとするなどの不自然さが見られる。
 一方、木の丸殿の北「麻底良山」には、古田武彦氏が九州王朝の天子筑紫君薩夜麻とされる「明日香皇子」が祀られ、南には古賀氏が九州王朝の天子とされる「天の長者」が造った「天の一朝堀」(『書紀』では斉明が「狂心の渠」を造ったとある)、東には「久喜宮」「杷木神護石」がある等から「綾鼓」は筑紫を舞台とした演芸を、原典を生かして世阿弥が再構成したものと考えられる。
 2.「芦刈」も、古い能をもとにして世阿弥が今の形に作ったと考えられているが、シテ(主人公)が活躍する「日下」は内陸部の「河内」に属し、難波の浦の景色は望めないのに、曲では「摂津」難波が舞台とされ海辺の秀でた情景がテーマとなる等、曲の内容と場所に矛盾がある。
 一方で、博多湾岸には草香(草香江)があり海浜の情景描写に適合し、曲中の聞かせ所・見せ所の「笠の段」に謡われ・舞われる「笠尽くし」も摂津難波では「笠」の意味が不明だが、博多湾近郊には御笠、御笠川、御笠山などの「笠」地名と謂れ・伝承が集中する。同じく「笠の段」中の「田蓑島」も、博多湾岸の草香江付近には「田島」「蓑島」が存在する。 「笠の段」は「博多湾岸」の名所を歌ったものとして極めて自然であり、筑紫を舞台とした原曲を分解しその一部を取り込み、舞台・場所や人物を変え世阿弥が再構成したものと考えられる。
 以上「綾鼓」や「芦刈」の原典は九州王朝の曲・演芸であり、これを中世に観阿弥・世阿弥らが再構成したもので、こうした手法は他の能楽「老松・檜垣・布刈・高砂・難波・竜田・磐船他」にも見られると考えられる。

○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・柿本人麻呂を祀る神社・他(奈良市・水野孝夫)

2010.1.16 試みに、正木氏の例会報告を掲載。