『古事記』真福寺本の「天治弟」
わたしの所には全国各地から古代史の論文や著書が贈られてきます。この場をお借りして御礼申し上げます。つい先日も古田史学の会会員の古谷弘美さん(枚方市在住)より、秀逸の論文が送られてきました。「古事記における「沼」と「治」について ーー岩波日本思想大系古事記と桜楓社真福寺本古事記影印との比較」という論文です。
古谷さんは関西例会の常連参加者で、これまで例会や会報に発表をされたことはありませんが、優れた研究者として関西例会では鋭い指摘や質問をされてきま した。今回、古谷さんの研究原稿を初めていただいたのですが、『古事記』真福寺本の「天沼矛(あまのぬぼこ)」の字形についての研究です。
『古事記』冒頭のイザナギとイザナミがオノゴロ島を造るときに使用した「天沼矛(あまのぬぼこ)」が、真福寺本では「天沼弟(あまのぬおと)」と記されていることを古田先生が指摘され、「沼弟」を銅鐸(ぬ)の音(おと)のこととする説を近年発表されました。ところが、古谷さんは真福寺本の全調査をされ、 従来説の「天沼矛(あまのぬぼこ)」でも、古田説の「天沼弟(あまのぬおと)」でもなく、「天治弟(あまのちおと)」であると発表されたのです。その際、 真福寺本の「治」と「沼」の字の全調査をされ、例えば従来は「沼河比賣」「天沼琴」とされてきた字形なども、「治河比賣」「天治琴」であると指摘されたの です。もちろん、古事記本来の表記がどうであったかは今後の研究課題です。
このような字形の全調査という実証的な研究手法は古田史学にふさわしいものです。同論文の他に、古谷さんは周代史料に短里表記による都市の大きさが記されているという論文も書かれています。こちらは『古田史学会報』に掲載予定です。関西から新たな論客が会報デビューです。古谷さんのこれからの研究が期待 されます。