2012年07月22日一覧

第447話 2012/07/22

藤原宮出土「倭国所布評」木簡

 このところ毎日のように奈良文化財研究所HPの木簡データベースを閲覧しています。いくつかは「洛中洛外日記」でも紹介してきましたが、特に注目した木簡が藤原宮跡北辺地区遺跡から出土した「□妻倭国所布評大野里」(□は判読不明の文字)と書かれた木簡です。データベース によれば、「倭国所布評大野里」とは大和国添下郡大野郷のことと説明されています。

 これは「評」木簡ですから、作成時期はONライン(701年)よりも前で、藤原宮から出土していますから、7世紀末頃のものと推測できます。まさに、近畿天皇家の中枢領域から出土した九州王朝末期の木簡といえます。中でも驚いたのが「倭国」という表記です。

 『旧唐書』などの中国史書では、九州王朝の国名として「倭国」と記されているのですが、『日本書紀』などの国内史料では今の奈良県に相当する「大和(やまと)」国を「倭」国と表記されています。すなわち、九州王朝の国名「倭国」を、701年の王朝交代に伴って、近畿天皇家は自らの中枢領域の「やまと」に「倭」という表記を採用し、上代の時代から、あるいは中国史書に記された「倭」は自分たちのことであると、歴史改竄と国名盗用を行ったと、わたしたち多元史観・九州王朝説論者は考えてきました。

 ところが、この木簡の示すところでは、評制時代の7世紀末頃には、既に大和国(奈良県)を近畿天皇家は「倭国」と表記していたことになるのです。この史料事実は、九州王朝から近畿天皇家への王朝交代が7世紀末頃から複雑な過程を経て行われたことをうかがわせます。古田学派の研究者も、こうした出土木簡が示す史料事実をより重視して、更なる研究を深めなければならないと思います。


第446話 2012/07/22

九州王朝の文字史料

昨日の関西例会では、正木裕さんから近年発見された九州王朝にかかわる金石文や木簡の文字史料などの研究成果がまとめて発表されました。「元壬子年」木簡、韓国出土「ナニワ連公」木簡、元岡古墳出土「四寅剣」、韓国の前方後円墳などです。
さらに『日本書紀』大化二年や白雉三年条に見える造籍記事を50年後の九州年号・大化二年や大化八年のことであったとする仮説を発表されました。
わたしも、奈良文化財研究所の木簡データベースによる元岡遺跡や飛鳥池出土木簡の調査結果を報告しました。
7月例会の報告テーマは次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
1). 安彦氏の記念講演を聞いて(豊中市・木村賢司)
2). 第24回愛知サマーセミナー2012in「古田武彦講演会」を聴講・ほか(豊中市・木村賢司)
3). 「自女王国以北」の国々(姫路市・野田利郎)
4). 最近の考古学的発見と『日本書紀』(川西市・正木裕)
5). 大宰府「戸籍」木簡と飛鳥「天皇・皇子」木簡(京都市・古賀達也)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・倭人伝「持兵守衛女王国」について・会務報告・多元的古代研究会の難波宮見学ツアー・日羅の碑・平安時代の緑釉瓦・その他