2014年04月一覧

第690話 2014/04/06

朝来市「赤淵神社」へのドライブ

 昨日はお花見を兼ねて、兵庫県朝来市までドライブしました。高速道路を使って京都から3時間ほどの行程で、途中、有名な山城の竹田城を車窓から見ることもできました。今回のドライブの一番の目的は、九州年号史料(常色元年〔647〕など)の『赤渕神社縁起』を持つ赤淵神社を訪問することでした。地図などでは「赤渕神社」と表記されることが多いのですが、同神社紹介のパンフレット(旧「和田山町教育委員会」発行)には「赤淵神社」とありましたので、今後は神社名は「赤淵神社」、史料名としては『赤渕神社縁起』と記すことにします。
 残念ながら宮司さん(国里愛明さん)はご不在でしたので朝来市和田山郷土歴史館に行き、『和田山町史』(平成16年発行・2004年)をコピーさせていただきました。赤淵神社のパンフレットも同館で入手したものです。入館料や駐車料金も無料で、とても親切な歴史館でした。そこでの展示パネルを見て驚いたのですが、同地の円龍寺には白鳳時代のものと思われる小型の金銅菩薩立像(32cm)があることでした。
 更にこんな山奥の狭い地域にもかかわらず多くの古墳があり、三角縁神獣鏡などが出土していることも注目されました。朝来市発行の観光パンフレットなどによれば、朝来市和田山筒江にある「茶すり山古墳」は近畿地方最大の円墳(直径約90m、高さ18m。5世紀前半代)とのことで、未盗掘だったため、長さ 8.7mの木棺からは多数の副葬品が出土しています。
 北近畿豊岡自動車道の山東パーキングエリアに隣接している朝来市埋蔵文化財センター「古代あさご館」には同地の古墳などからの出土品が展示されており、まだ真新しく、しかも入館料・駐車料ともに無料でした。一般道路からも入れますので、おすすめです。遺跡等を紹介したパンフレットも多数あり、それらも無料でしたのでいただいてきました。展示品には「茶すり山古墳」出土の「蛇行剣」とその複製品に目を引かれました。
 天長5年(828)成立の九州年号史料『赤渕神社縁起』や、『古事記』(和銅5年成立・712年)よりも成立が古い『粟鹿大神元記』(和銅元年成立・ 708年)で著名な「粟鹿神社」、そして近畿地方最大の円墳「茶すり山古墳」などが存在する朝来市は予想以上にすごいところでした。「粟鹿神社」を最後に訪問して京都に帰りましたが、朝来市の桜も京都鴨川の桜並木も満開で、快適なドライブでした。


第689話 2014/04/03

近畿天皇家の称号

 近畿天皇家が701年の王朝交代以降は「天皇」を称号としていたことは明確ですが、それ以前については古田学派内でも諸説あり、やや「混乱」しているようにも見えます。この問題について、実証的に史料事実に基づいて改めて考えてみました。
 まず、古田先生の著作では史料根拠を提示して、7世紀初頭頃には「天皇」号を称していたと論述されています。『古代は輝いていた・3』(朝日新聞社。 269頁)によれば、法隆寺薬師仏後背銘にある「天皇」「大王天皇」を7世紀初頭の同時代金石文とされ、それを根拠に推古ら近畿天皇家の主は「大王」や 「天皇」を称していたとされました。もちろん、九州王朝の「天子」をトップとしての、ナンバーツーとしての「天皇」号です。
 その後の近畿天皇家の称号を確認できる史料根拠としては、飛鳥池遺跡から出土した7世紀後期(天武の頃と編年されています)の「天皇」木簡や「皇子」木簡(舎人皇子、穂積皇子、大伯皇子)があります。これらの史料事実から、近畿天皇家は7世紀前期と後期において「天皇」号を用いていたことがわかります。 これもまた、九州王朝の「天子」の下でのナンバーツーとしての「天皇」です。
 その後、8世紀になると九州王朝に替わってナンバーワンとしての「天皇」号を近畿天皇家は名乗りますが、同時に「天子」や「皇帝」などの称号も併用しています。その史料根拠の一つは『養老律令』です。その「儀制令第十八」には次のように記されています。
 「天子。祭祀に称する所。」
 「天皇。詔書に称する所。」
 「皇帝。華夷に称する所。」
 「陛下。上表に称する所。」
 このように『養老律令』では複数の称号の使い分けを規定しているのです。おそらくこうした「儀制令」の規定は『大宝律令』にもあったと思われますが、その実用例として、和銅五年(712)成立の『古事記』序文(上表文)に、当時の元明天皇に対して「皇帝陛下」と記していますから、701年以後は近畿天皇家の称号として、「天皇」の他にも「天子」「皇帝」を併用していたことがうかがえるのです。おそらくは、九州王朝での呼称(「九州王朝律令」)を先例としたのではないでしょうか。


第688話 2014/04/02

『古田史学会報』121号の紹介

 『古田史学会報』121号が発行されましたので、ご紹介します。アクロス福岡での古田先生の講演要旨などを掲載しました。掲載稿は次の通りです。西村稿は3月の関西例会で発表されたテーマで、もっとも好評だったものです。

〔『古田史学会報』121号の内容〕
○筑紫舞再興30周年記念
「宮地嶽 黄金伝説」のご報告
 古田武彦講演要旨・他(文責:古賀達也)
○一元史観からの太宰府「王都」説
  — 井上信正説と赤司善彦説の運命 京都市 古賀達也
○神代と人代の相似形?
 もうひとつの海幸・山幸  高松市 西村秀己
○『三国志』の「尺」  姫路市 野田利郎
○納音(なっちん)付き九州年号史料の出現
 -熊本県玉名郡和水町「石原家文書」の紹介-  京都市 古賀達也
○『倭人伝』の里程記事は正しかった
  — 「水行一日五百里・陸行一刻百里、一日三百里」と換算 川西市 正木裕
○2014年度会費納入のお願い
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己


第687話 2014/04/01

和水(なごみ)町「石原家文書」

調査と講演案内

 納音(なっちん)付き九州年号史料が発見された熊本県玉名郡和水(なごみ)町を5月の連休に訪問することになりました。みかん箱二箱分にも及ぶという「石原家文書」を見せていただけるということで、とても楽しみにしています。40代の頃、青森県五所川原市の「和田家文書」調査以来の本格的な古文書調査となりますので、歴史研究者としての血が騒ぎます。調査結果は、6月15日(日)に開催予定の「古田史学の会」会員総会記念講演で報告させていただきます。

 5月3日に和水(なごみ)町に入り、「石原家文書」を見せていただき、翌4日(日)の午後に当地で講演させていただきます。和水町のみなさまにお会いできることも、楽しみにしています。おそらく『隋書』に記されたように、倭国を訪問した隋使の一行は、阿蘇山の噴火を見ていますから、和水町あたりまで訪れたのではないでしょうか。講演では当地のみなさんに古田先生の九州王朝説と九州年号についてご説明させていただきます。詳細は次の通りです。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

講師 古賀達也(古田史学の会・編集長)

演題 「九州年号」の古代王朝

   -阿蘇山あり、その石、火起り天に接す-『隋書』

日時 5月4日(日)13:30~

会場 和水町中央公民館

   熊本県玉名郡和水町江田3883-1

   電話 0968-86-2022

   ※九州縦貫自動車道菊水インターから車で5分

    和水町町役場南隣(駐車場無料)

主催 菊水史談会(問い合わせ先 090-3787-4460 前垣様)

参加費 100円(資料代等)

YouTubeに「納音菊水九州年号」古賀達也として掲載