2014年09月06日一覧

第780話 2014/09/06

奴(な)国か奴(ぬ)国か

「古田史学の会」会員の中村通敏さん(福岡市在住)から、ご著書『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』 (海鳥社、2014年9月)が送られてきました。古田先生の邪馬壹国説の骨子がわかりやすく紹介されており、古田史学入門書にもなっていますが、著者独自の仮説(奴国の比定地など)も提示されており、古田先生に敬意を払いながらも「師の説にななづみそ」を実践された古田学派の研究者らしい好著です。
また、志賀島の金印の出自に関する古田先生の考察など、興味深いテーマも取り扱われています。中でもわたしが注目したのが、『三国志』倭人伝に見える国名の「奴国」の「奴」を「な」とするのは誤りであり、「ぬ」である可能性が高いことを論じられたことです。わたしも「奴国」や金印の「委奴国」の「奴」の 当時の発音は「ぬ」か「の」、あるいはその中間の発音と考えています。通説の「な」とする理解が成立困難であることは、古田先生も指摘されてきたところです。中村さんはこの点でも、独自の根拠を示しておられ、説得力を感じました。
なお、奴国の位置については『古代に真実を求めて』17集にも中村稿とともに正木稿が掲載されており、両者の説を読み比べることにより、倭人伝理解が深 まります。このところ古田学派による著書の出版が続いていますが、中村さんの『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』はお勧めの一冊です。

インターネット事務局案内

 中村通敏(棟上寅七)さんが主宰するホームページ(新しい歴史教科書(古代史)研究会)と『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』中村通敏著のPRです。

棟上寅七の古代史本批評 へ


第779話 2014/09/06

古田武彦著『古代の霧の中から』復刊

 古田武彦著『古代の霧の中から — 出雲王朝から九州王朝へ』がミネルヴァ書房から復刊されました。同書は1985年に徳間書店から出版されたもので、『市民の古代』などに発表された論文が収録されています。各章は次の通りです。

序章  現行の教科書に問う
第一章 古代出雲の新発見
第二章 卑弥呼と蝦夷
第三章 画期に立つ好太王碑
第四章 筑紫舞と九州王朝
第五章 最新の諸問題について
日本の生きた歴史(二十二)
歴史の道

 「日本の生きた歴史(二十二)」と「歴史の道」は復刊に伴って新たに書き下ろされたものです。本書の性格は「はしがき--復刊にあたって」で古田先生が次のように書かれていますように、「異色の一書」です。

 「異色の一書だ。最初の出版の時から、“濃密な”内容をもっていた。「学問の成立」とその発展が具体例でしめされていた。今回のミネルヴァ書房復刊本では、新稿「歴史の道」を加え、わたしにとって決定的な意味を持つ本となった。幸せである。」

 今回、改めて読み直してみて、面白い問題に気づきました。第五章にある「発掘が裏付ける『大津の宮』」において、大津市穴太2丁目から出土した「穴太廃寺」について、次のような考察が示されています。

 「これほどの寺院跡、法隆寺級の大寺院跡が出土したにもかかわらず、その存在事実を示す文献記載のないことに不審がもたれている、という(朝日新聞〔大阪〕、一九八四・七・六)。」(252頁)
 「これがもし、真に『寺院』であったとしたら、『日本書紀』にその記載のないのは、不可解だ。その、いわゆる『寺院』は、書紀の編者たちが知悉していたはずだ。そしてその存在や寺名を、“消し去る”べき必要が、彼等にあったとは、全く信じえないのである。」(253頁)

 穴太廃寺遺跡を古田先生は天智天皇が遷都した「近江宮」と解され、大津市錦織から出土した朝堂院様式の宮殿を、同じく天智紀に見える「新宮」とされたのです。大変興味深い考察ですが、穴太廃寺遺跡はその後の調査から、やはり寺院跡と見なされています。しかし、古田先生の抱かれた疑問「何故、これほどの大寺院が『日本書紀』に記載されていないのか」という視点は有効です。しかも、大津宮遺跡(大津市錦織)の真北から出土した 「南滋賀廃寺」も、やはり『日本書紀』に記載されていません。
 古田先生が疑問とされた『日本書紀』の「沈黙」こそ、わたしが提案している仮説「九州王朝の近江遷都」の傍証となるのではないでしょうか。大津宮が九州王朝による宮殿であれば、同時期に建立された九州王朝による大寺院が『日本書紀』から“消し去られた”理由も説明できそうです。
 『古代の霧の中から』の復刊により、当初は気づかなかった問題が「発見」できました。他にも同様の「発見」があるかもしれませんので、しっかりと再々読しようと思います。