正木さん、
「願轉」の出典発見
先週開催された10月度関西例会では様々な仮説の提起や新発見・知見の報告があり、かなり充実したものでした。中でも正木裕さん(古田史学の会・全国世話人、川西市)からの研究発表で、九州年号の「願轉」の出典が仏教教典にあったとの報告には驚きました。
九州年号「願轉」(601~604年)は『隋書』に記されている九州王朝の輝ける天子・阿毎多利思北孤(あめ・たりしほこ)在位期間中の年号の一つで、 「願」や「轉(転)」という字が仏教的なものという感触は以前からあったのですが、その背景や出典は不明でした。たとえば「如来の本願」「本願寺」(浄土真宗)の「願」は有名ですし、「輪廻転生」や「転重軽受」(重い罪業を信仰により転じて軽く受ける。「日蓮遺文」)の「転」というように仏教用語によく見 られます。ところが、正木さんは「願轉」そのものを経典から見いだされたのです。たとえば次の通りです。
『佛説普曜経』308年漢訳
「願轉法輪悉教衆生」
『正法華経・往古品第七』竺法護286年訳
「願轉法輪演大聖典」「勸發世尊願轉法輪」
『十誦律・七法中受具足戒法第一』鳩摩羅什409年漢訳
「功徳之寶海是願轉輪王」
正木さんの解説では「轉法輪」とは教義(法輪)を他人に伝えること(転)を言い、釈迦が鹿野苑で最初に教義を説いた出来事を「初転法輪」と言うとのこと。従って、「願轉法輪」とは仏法流布を願う、あるいは「説法により○○を願う」という意味になるそうです。
「転輪王」とは「古代インド思想における理想的な王を指す概念」とのことで、「願轉輪王」とは「転輪王の願い」ということで、「正義と法によって世を治め一切を守護する願い」とされています。
いずれも仏教に帰依した天子(菩薩天子『隋書』)にふさわしい年号として「願轉」が用いられたと、正木さんは指摘されたのです。見事な仮説だと思います。九州年号研究により、九州王朝の歴史や思想性が復元されることになり、今後の研究動向に目が離せません。
正木さんのこの研究は『古田史学会報』や『古代に真実を求めて』に掲載されることになると思います。楽しみが増えました。