九州王朝の「建国記念日」
今日は建国記念日で祝日ですが、わたしは出社して仕事をしています。社外からの電話やメールがほとんど来ませんので、集中できて仕事がはかどり、たまっていた雑用を片づけ、デスクに積み上げられていた書類に目を通しています。明日からまた出張が続きますので、デスクワークを今日中に終えなければなりません。
わが国の建国記念日が『古事記』『日本書紀』の神武即位記事に基づくことは著名ですが、九州王朝説の立場から考えると、近畿天皇家にとっての「建国記念日」は文武天皇の時代の701年頃だと思われます。それでは九州王朝にとっての「建国記念日」はいつ頃と考えられるでしょうか。神武が大和盆地の一角に侵入し、橿原で「即位」した日を「建国記念日」の根拠にしている現行例にならうのであれば、ニニギが糸島半島の一角に侵入(天孫降臨)した頃が「建国記念日」に相当しそうです。しかし、この程度のことを「建国」とするのは、ちょっと大げさで不当です。それでは九州王朝にとっての「建国」はどんな時期がふさわしいでしょうか。
東アジアの大国の中国から「国際認定」された頃、たとえば「志賀島の金印」をもらった時などが「建国」の有力候補かもしれません。あるいは国内事情を重視するなら、「まえつ君」らが九州島を平定(景行紀等の盗用記事)した頃かもしれません。それとも大国主(出雲王朝)から「国譲り」された時でしょうか。
こんなことを考えながら、建国記念日の一日を過ごしました。みなさん、九州王朝の「建国」をいつ頃とするのか、何をもって「建国」とするのか、よいアイデアはありませんか。