地震列島の歴史学
鹿児島で火山が噴火したかと思ったら、今度は小笠原で地震が発生です。久留米大学の講演も盛況のうちに終わり、実家でのんびりしていたら、地震のニュースです。震源地から遠く離れた筑後地方が震度3と報道されていました。関東は震度4や5とテレビで解説され、福井と筑後がポツンポツンとどういうわけか震度3です。九州の他地域や中国・四国は震度1か2なのに、筑後地方だけが震度3ということで不思議に思いました。ちなみに、久留米の実家では揺れに気づきませんでした。
テレビの緊急地震速報を見ながら、九州ではなぜ筑後地方だけ震度3なのだろうかと考えました。素人判断ですが、やはり地盤が地震に弱いのではないでしょうか。古代史上でも有名な筑紫大地震もこの地方に発生し、その水縄断層のずれが今でも地表に露出しており、断層の痕跡を見ることができます。
筑紫大地震は『日本書紀』によれば、天武7年12月(679)に発生し、筑紫国は大きな被害に遭っています。その6年後の天武13年(684)には白鳳大地震(南海トラフ巨大地震)が発生しています。白村江の敗戦後、九州王朝は度重なる巨大地震により滅亡を早めたのかもしれません。もしかすると、古代の人々にはこれら巨大地震を「九州王朝への天(神)の怒り」と感じ、弥生時代から続いた九州王朝への信頼や畏敬の念は急速に失われたようにも思いました。
このように地震と歴史との関係を研究対象とする地震考古学は今までも優れた研究が残されていますが、歴史の変遷そのものと地震との関係を深く考察する「地震列島の歴史学」の研究も期待されます。東北大震災により「原発の安全神話」が崩れ去ったように、巨大な天変地異が九州王朝の建国神話を崩壊(大和朝廷による盗用)させ、滅亡を加速させたという仮説に基づく、九州王朝史研究の深化が必要と思いました。