「磁北」方位説の学問的意義
「洛中洛外日記」1027話(2015/08/16)で、武蔵国分寺の方位のぶれ(西へ7度)は「磁北」ではないかとするYさんのご指摘を紹介しました。その後、そのYさんから、「磁北」の角度のずれは場所や時代で変化するため、現在の「磁北」である「西へ7度のずれ」をもって、古代の武蔵国分寺の方位のずれの根拠とすることは不適切であったとのお詫びのメールをいただきました。同様のご指摘を関西在住の会員Sさんからもいただきました。いずれも真摯で丁寧なメールでした。
いずれのご指摘も真っ当なもので、わたしにとっても認識を前進させるありがたいメールでしたが、学問の方法についても関わる重要な問題を含んでいることから、この「磁北・7度西偏」説ともいうべき仮説の学問的意義や位置づけについて説明したいと思います。
本テーマのきっかけとなった所沢市の肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)の「武蔵国分寺」の方位が東山道武蔵路や塔の方位とずれているという考古学的事実から、なぜ同一寺院内で塔と金堂等の方位がふれているのか、なぜ7度西にふれているのか、という課題が提起されました。
そして、多元史観・九州王朝説により説明できる部分と説明が困難な部分があり、中でもなぜ7度西にふれているのかの解明がわたしの中心課題となりました。それは「洛中洛外日記」1021話『「武蔵国分寺」の設計思想』に記した通りです。そして「南北軸から意図的に西にふった主要伽藍の主軸の延長線上に何が見えるのか、9月5日の現地調査で確かめたい」と、現地調査によりその理由を確かめたいと述べました。
このとき、わたしは西に7度ふれた主要伽藍の主軸の延長線上に信仰の対象となるような、あるいは当地を代表するような「山」やランドマークがあるのではないかと考えていました。そんなときに、関東の会員のYさんから、「7度西偏」は現代の東京の「磁北」のふれと同一とのご指摘をメールでいただき、驚いたのでした。武蔵国分寺主要伽藍のふれが「磁北」で説明できるのではないかとのYさんのご指摘(仮説)に魅力を感じたのです。
その後、この仮説の当否を検証する学問的方法について次のような問題を検討しました。
1.真北と磁北のふれは、地域や時代によって変化するので、「武蔵国分寺」建立の時代の「磁北」のふれが「7度西偏」であったことをどのように証明できるのか。
2.「磁北」を測定する方位磁石(コンパス)の日本列島への伝来時期と使用時期が古代まで遡ることを、どのように証明できるのか。
この二点について検討を始め、それは今も継続しています。こうした未検証課題があったため、「もちろん、まだ結論は出せませんが、どのような歴史の真実に遭遇できるのか、ますます楽しみな研究テーマとなってきました。」と「洛中洛外日記」1027話末尾に記したわけです。
このように、学問研究にとって「仮説」の提起はその進化発展のために重要な意味を持ち、たとえその「仮説」が不十分で不備があり、結果として誤りであったとしても、学問研究にとってはそうした「仮説」の発表は意義を持ちます。
近年、勃発した「STAP報道」事件(「STAP細胞」事件ではなく、「報道」のあり方が「事件」なのです)のように、匿名によるバッシング、あるいは「権威」やマスコミ権力がよってたかって研究者(弱者)を集団でバッシング(リンチ)するという、とんでもない「バッシング社会」に日本はなってしまいました。これは学問研究にとって大きなマイナスであり、こうした風潮にわたしは反対してきました。(「洛中洛外日記」699話「特許出願と学術論文投稿」、700話「学術論文の『画像』切り張りと修正」、760話「研究者、受難の時代」をご参照ください。)
したがって、YさんやSさんの懸念はよく理解できますし、もっともなご指摘でありがたいことですが、それでも「磁北・7度西偏」説の発表は学問的に意義があり、検証すべき仮説と、わたしは考えています。もし、「どこかの誰かが、たまたま7度西にふれた方位で武蔵国分寺を建立したのだろう」で済ませる論者があるとすれば、それこそ学問的ではなく、「思考停止」と言わざるを得ません。それは「学問の敗北」に他なりません。(つづく)