「還暦」の想い出
今日は仕事で名古屋に来ています。明日も当地で仕事ですのでホテルに泊まるのですが、明日、わたしは還暦(60歳、「還暦」の正確な定義は本稿末尾の西村注をご参照ください)を迎えます。還暦を迎えるのにふさわしい一日を過ごしたいと考えていますが、この「還暦」の想い出をご紹介します。
今から29年前、わたしは初めて古田先生にお会いしました。「市民の古代研究会」主催の茨木市での講演会で初めて先生の謦咳に接したのです。
その年、古田先生の名著『「邪馬台国」はなかった』(角川文庫版)を伏見の書店で偶然見つけ、夜を徹して読み続けました。わたしが真実の古代史を知った瞬間でした。その後、次々と古田先生の著作を買い求め、その日のうちに読破するという日々が続きました。学問とはこのようにするのかという感動に打ち震えながら、この古田武彦という人物に会ってみたいという願望が日増しに高まったのです。
そうしたとき「市民の古代研究会」という古田先生を支持する研究会の存在を知り、当時、同会事務局長だった藤田友治さん(故人)に電話で入会を申し込みました。そうして古田先生の講演会に参加する機会を得ました。残念ながら講演の内容は全く覚えていませんが、講演後の懇親会の様子は今でも鮮明に記憶しています。
著書の内容から素晴らしい人物だと思ってはいたのですが、同時に熱狂的なファンに囲まれていましたので、ちょっと用心深く観察していました。懇親会は古田先生の還暦のお祝いも兼ねており、赤い頭巾やちゃんちゃんこが古田先生にプレゼントされ、先生もにこやかに着ておられました。その後、参加者との質疑応答が始まり、初心者のわたしからの低レベルの質問に対しても懇切丁寧に答えられ、本当に「腰が低い」人物であることがわかりました。以来、わたしはこの人を学問の師とすることを決め、今日に至っています。
わたしが古田先生に初めてお会いしたときの先生の年齢(還暦)を、明日、自分が迎えるのですが、感慨無量というほかありません。未だ先生の足下にも及びませんが、わたしの人生最大の決断は間違っていなかったと深く確信しています。
(西村秀己さんからのご注意〉
「還暦」の解釈は大いに問題です。古賀さんの生まれた1955年は乙未でこの干支に還ることを「還暦」と言います。従って全ての人は自分の誕生日ではなくその年の「元旦」を迎えた時が還暦になります。この問題は「還暦」だけではなく「古稀」「喜寿」など全てに相当します。