平野雅曠さんの先行説(2)
「鞠智城は九州王朝造営」
平野雅曠さんは「市民の古代研究会」時代からの古田説支持者で、中でも九州年号研究において優れた業績を上げられた熊本市在住の研究者でした。明治44年のお生まれで、地元の九州年号史料の調査発掘などを手がけられ、好著を何冊も出されています。
「市民の古代研究会」分裂後に、わたしが「古田史学の会」を立ち上げたときも、呼びかけに応じ入会され、自主的にカンパも寄せていただきました。わたしも九州年号研究をテーマとしていたこともあり、論争もしましたし、とても思い出深い恩人です。
その平野さんの著書『倭国王のふるさと火ノ国山門』(平成8年、熊本日日新聞情報文化センター)を読み返したところ、既に鞠智城を九州王朝の都城とする説を発表されていたことに気づきました。「俀国の王城か、『鞠智城』」という論文です。わたしよりも20年も早く同仮説に至られていたのです。改めて古田学派「鎮西の巨頭」の慧眼に感服しました。「今頃、気づいたか」と天国から温厚な笑顔と眼差しで後進を見ておられることでしょう。同書からはこれからも多くの学問的示唆を得られそうです。