太宰府防衛の「羅城」跡が発見される
今日は大阪市で開催の繊維応用技術研究会に出席しています。大阪府立産業技術総合研究所の山下怜子さんの講演「ニオイ可視化への検討:色素によるにおいのセンシングとその評価方法」の座長を仰せつかっています。色素の応用技術に関する研究報告ということもあって、楽しみな発表です。
お昼休みに正木裕さん(古田史学の会・事務局長)のfacebookを見ると、太宰府を防衛する巨大土塁が筑紫野市から発見されたという本日朝刊の記事が紹介されていました。これはすごい遺跡が発見されたとスマホで関連ニュースを検索しています。
熊本県和水町と福岡市で、太宰府を「日本最古の条坊都市」とする講演をしたばかりですから、このタイミングに不思議な縁を感じました。
WEBニュースによれば、発見されたのは大宰府政庁の南東約7kmに位置する前畑遺跡で、南北に走る約500mの土塁とのこと。地図で見ると、東からの侵入に対して太宰府を防衛する位置にあり、ニュースでは白村江戦(663年)の敗北後に防衛施設として造営されたと説明されていますが、北の唐や新羅からの防衛施設とするには位置が不自然です。やはり九州王朝の都、太宰府条坊都市を取り囲む羅城の一部と思われます。
今日は夜遅くまで学会の懇親会が予定されていますが、なるべく早く帰宅して、今回の発見について情報収集したいと思います。