2017年03月15日一覧

第1355話 2017/03/17

敷粗朶のサンプリング条件と信頼性

 水城造営年代の判断材料の一つとなる敷粗朶とその炭素同位体比年代測定値について、さらに深く検討してみましょう。『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』によると、地表から2m下位に敷粗朶最上層があり、以下、11層の敷粗朶が発見されました。その統一された工法や1.5mの厚さに11層あることなどから、恐らく短期間に造営されたと考えざるを得ない遺構状況を示していることは既に指摘した通りです。
 粗朶の測定サンプルは3点で、その内の1点は地表から発掘を続けて最初に発見された敷粗朶最上層からのサンプルで、「GL-2m」とネーミングされています。測定の中央値が660年とされたものです。最上層敷粗朶面の写真も開示されており、確実に最上層の粗朶と断定できるサンプリング条件であり、サンプルの信頼性も高いものです。
 その他の2点について、内倉稿では「中層430年±」と「最下層240年±」と表記されているのですが、調査報告書では「坪堀1中層第2層」「坪堀2第2層」とネーミングされており、「坪堀」という狭い範囲での発掘で、しかも位置が異なります。層位についてもどちらが深いのか具体的な説明もなく、相対的な深度もよくわかりませんでした。考古学の専門家であればわかるのかもしれませんので、この点、引き続き調査します。ただ、最上層の粗朶とは発掘方法(サンプリング方法)が異なることは間違いないようです。このことが、サンプルの信頼性に差をもたらしているかもしれません。
 いずれにしましても、短期間に築造された敷粗朶層からの3サンプルの測定がこれほど異なっているのですから、そのサンプルや測定結果の信頼性が疑われるのも当然です。特に敷粗朶最上層の「GL-2m」とは発掘方法が異なる「坪堀1中層第2層」「坪堀2第2層」のサンプルに問題があるのではないかとする判断は妥当なものです。従って、本来なら測定結果からサンプルに疑義が生じた時点で、他のサンプル(合計32サンプルが採取されています)の測定を実施すべきです。もし、わたしの勤務先の製品検定において、これほどの不自然な測定値が出たら、再測定やサンプル数を増やしての追加測定を行うよう指示したでしょう。ですから、調査報告書に「各1点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」(142頁)と記されていることはよく理解できます。当時は予算的な問題があったのかもしれませんが、九州歴史資料館が再度これらの粗朶サンプルの測定を実施されることを希望します。(つづく)


第1353話 2017/03/15

敷粗朶による水城の造営年代

 水城造営年代の根拠となる炭素同位体比年代測定値には先に紹介した木樋以外に、基底部補強に使用された敷粗朶があり、九州歴史資料館が測定しています。
 内倉さんの『多元』掲載論稿にもその測定値が紹介されていますが、出典文献が明示されていませんので、わたしが調査したところ、『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』(九州歴史資料館、二〇〇三年)の「7 水城第三五次調査(東土塁基底面の調査)」と「9 水城第三五次調査(出土粗朶 年代測定)」にサンプリングの状況や方法とともに詳しく記されていました。
 内倉稿によると、水城から出土した敷粗朶の年代測定値として最上層出土を中央値660年、中層出土を中央値430年、最下層出土を中央値240年と紹介され、「太宰府都城は五世紀中ごろには完成」の根拠の一つとされているようです。しかし、内倉稿にはこれら敷粗朶の出土位相やサンプリング条件などが記されていませんし、どの調査報告書によるのか出典も不明でした。従って、内倉稿だけを読むと、水城築造に当たり使用された敷粗朶の年代測定値から、水城は3世紀頃から延々と築造され、400年程かけて7世紀中頃に完成したと思ってしまいそうです。当初、わたしも内倉稿により、そのように理解していました。(つづく)