2018年02月23日一覧

第1612話 2018/02/23

多元史観・九州王朝説による時代区分

 現代日本の歴史学(戦後型皇国史観)において使用されている古代の時代区分「(新・旧)石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」「飛鳥時代」「奈良時代」などに代わり、多元史観・九州王朝説に基づく新たな時代区分と名称を考えるため、論点整理して試案を述べます。古田学派の皆さんによる論議検討の叩き台にしていただければ幸いです。

 まず、九州王朝から大和朝廷への王朝交代を明確に区分するために701年を境にして、倭国時代(九州王朝時代)と日本国時代(大和朝廷時代)という区分と名称がわかりやすいと思います。この点は古田学派の多くの研究者の賛同もいただけるのではないでしょうか。この史料根拠としては『旧唐書』倭国伝・日本国伝などがあります。

 問題は倭国時代以前と倭国時代内の区分です。倭国時代(九州王朝時代)の開始は「天孫降臨」(紀元前2〜3世紀頃か)とできますが、それ以前は「出雲王朝時代」が今のところ穏当のよう思います。「出雲王朝時代」には石器・木器・青銅器時代が含まれ、かなり長期間のように思われます。それ以前は具体的王朝名などが未詳ですので、とりあえず使い慣れた「縄文時代」を用いるのがよいかもしれません。今後、縄文時代の研究が進展し、具体的な権力中枢や王朝名がわかれば、それに対応した時代区分と名称を付けることができるかもしれません。

 次いで検討が必要なのは倭国時代(九州王朝時代)の細分化です。この時代には、現在使用されている「弥生時代」「古墳時代」「飛鳥時代」「奈良時代」が含まれていますから、それらとある程度対応でき、その時々の九州王朝の実態を表す適切な小区分化と命名ができれば九州王朝史を理解する上で便利と思います。従来のようなお墓の規模や様式、首都所在地で分ける以外にも、王朝の形態や象徴的な文化区分で分ける方法がありそうですが、試案としては次のような視点があります。

①中国南朝の冊封体制下か独立王朝か。名称の一例としては「冊封時代」「独立時代」などがあります。時期としては、九州年号を建元した6世紀初頭後が「独立時代」、志賀島の金印授受以後から6世紀初頭頃までが「冊封時代」となりそうです。
②行政区画で分けるのであれば、7世紀中頃以後の「評制時代」、それ以前の「県(あがた)時代」という方法もあります。ただし、「県(あがた)時代」の開始時期が不明です。
③首都や中枢地域で区分するのであれば、天孫降臨から4世紀頃までの「糸島・博多湾岸時代」あるいは「筑前中域時代」。「倭の五王」時代の「筑後時代」(古賀説による)。太宰府遷都(倭京元年。618年)後の「太宰府時代」あるいは「倭京時代」。難波副都に権力中枢が移動した時期(652〜686年)の「難波京時代」あるいは「白雉・白鳳時代」(古賀説による)。難波京焼亡後から九州王朝滅亡までの「大宰府政庁時代」(正確には大宰府政庁Ⅱ期時代)。

 以上、思いつくままに記してみました。古田学派内での論議検討を経て、もっとも相応しい区分や名称が受け入れられることと思いますので、この試案には全く拘りません。自由に批判論争してください。