「筑後国風土記」の疾病記事と八面大王
「洛中洛外日記」2050話(2019/12/04)〝古代の九州と信州の諸接点〟において、遺伝性の病気(アミロイドポリニューロパチー)の集積地が熊本県と長野県に分布を示していることを紹介しました。このことは「洛中洛外日記」読者のSさん(長崎市の医師)から教えていただいたのですが、最近、そのSさんからメールが届き、興味深い仮説が記されていました。
それは、「筑後国風土記逸文」に見える次の疾病記事は、アミロイドポリニューロパチーによるものではないかというアイデア(作業仮説)です。
「(前略)ここに、官軍、追ひ尋(まぎ)て蹤(あと)を失ひき。士、怒(いかり)やまず。石神の手を撃(う)ち折り、石馬の頭を打ち堕(おと)しき。古老の傅へて云へらく、上妻の縣に多く篤き疾(やまひ)あるは、蓋しく茲(これ)によるか。」
この逸文は、筑紫の君磐井が官軍(近畿天皇家)との戦いに敗れた事件を記したものですが、古田先生は上妻の地に病人が多いのは白村江戦敗北などによる戦傷者が多かったことが背景にあったのではないかとされました。
ところが、信州に残る「八面大王」伝承は「ヤメ大王」のことであり、それを磐井のこととする仮説も提唱されていることから、Sさんの推定のように、「筑後国風土記逸文」に記された上妻の縣(現在の八女地方)に多い疾病がアミロイドポリニューロパチーによるものであれば、その遺伝性疾患は信州まで逃げた「八面大王」(磐井)らによって、当地に伝えられたと考えることもできそうです。
ただし、九州におけるアミロイドポリニューロパチーの集積地は熊本県荒尾市とのことですから、「上妻の縣」(福岡県八女地方)とは少し離れています。こうした検討課題が残ってはいますが、Sさんの推定を作業仮説の一つとして、検討の俎上に載せても良いのではないでしょうか。