南秀雄さんから「研究紀要」を頂きました
昨年6月、I-siteなんばで開催された古代史講演会(「古田史学の会」共催)で、「日本列島における五~七世紀の都市化 ―大阪上町台地・博多湾岸・奈良盆地」というテーマで講演していただいた考古学者の南秀雄さん(大阪市文化財協会・事務局長)から『大阪市文化財協会 研究紀要 21号』(2020年3月)を御贈呈いただきました。
同書には南さんらの論文「難波堀江の学際的検討」が掲載されています。同論文は『日本書紀』仁徳紀に記されている「難波堀江掘削」記事の実態に迫った学際的研究で、大阪の考古学者を始め地質学・堆積学・河川工学の研究者が参加されています。詳細については精読させていただいてから、紹介したいと思います。
『古田史学会報』155号や「洛中洛外日記」の「法円坂巨大倉庫群の論理」1923~1927話(2019/06/16-20)でも触れましたが、昨年六月の南さんの講演で、わたしが特に注目したのは次の点でした。
「古墳時代の日本列島内最大規模の都市は大阪市上町台地北端と博多湾岸(比恵・那珂遺跡)、奈良盆地の御所市南郷遺跡群であるが、上町台地北端と比恵・那珂遺跡は内政・外交・開発・兵站拠点などの諸機能を配した内部構造がよく似ており、その国家レベルの体制整備は同じ考えの設計者によるかの如くである。」
古墳時代において、日本列島内最大規模の都市で七世紀には前期難波宮がおかれた大阪市上町台地北端と九州王朝の中枢地域である博多湾岸(比恵・那珂遺跡)が「国家レベルの体制整備は同じ考えの設計者によるかの如く」とする指摘は重要です。
前期難波宮九州王朝複都説に反対される論者の中には、古代の筑紫と難波の関係を疑問視する意見もあるようですが、南さんら考古学者の指摘を無視することなく真摯に受け止めていただきたいと願っています。