2020年10月06日一覧

第2253話 2020/10/06

『纒向学研究』第8号を読む(2)

 柳田康雄さんの「倭国における方形板石硯と研石の出現年代と製作技術」(注①)によれば、弥生時代の板石硯の出土は福岡県が半数以上を占めており、いわゆる「邪馬台国」北部九州説を強く指示しています。なお、『三国志』倭人伝の原文には「邪馬壹国」とあり、「邪馬台国」ではありません。説明や論証もなく「邪馬台国」と原文改定するのは〝学問の禁じ手(研究不正)〟であり、古田武彦先生が指摘された通りです(注②)。
 古田説では、邪馬壹国は博多湾岸・筑前中域にあり、その領域は筑前・筑後・豊前にまたがる大国であり、女王俾弥呼(ひみか)がいた王宮や墓の位置は博多湾岸・春日市付近とされました。ところが、今回の板石硯の出土分布を精査すると、その分布中心は博多湾岸というよりも、内陸部であることが注目されます。それは次のようです。

〈内陸部〉筑紫野市29例(研石6)、筑前町22例(研石5)、朝倉市4例、小郡市3例(研石1)、筑後市4例(研石1)

〈糸島・博多湾岸部〉糸島市13例(研石3)以上、福岡市17例(研石1)
 ※この他に、豊前に相当する北九州市20例と築城町8例(研石1)も注目されます。

 しかも、弥生中期前半頃に遡る古いものは内陸部(筑紫野市、筑前町)から出土しています。当時、硯を使用するのは交易や行政を担当する文字官僚たちですから、当然、倭王の都の中枢領域にいたはずです。内陸部に多いという出土事実は古田説とどのように整合するのか、あるいは今後の発見を期待できるのか、古田学派にとって検討すべき問題ではないでしょうか。
 柳田さんは次のように述べて、教科書の改訂を主張されています。

 「これからは倭国の先進地域であるイト国・ナ国の王墓などに埋葬されてもよい長方形板石硯であるが、いまだに発見されていない。いずれ発見されるものと信じるが、今回の集落での発見は一定の集落内にも識字階級が存在することを示唆しているだけでも研究の成果だと考えている。青銅武器や銅鏡の生産を実現し、一定階級段階での地域交流に文字が使用されている弥生時代は、もはや原始時代ではなく、教科書を改訂すべきである。」(43頁)

 大和朝廷一元史観に基づく通説論者からも、このような提言がなされる時代に、ようやくわたしたちは到達したのです。(つづく)

(注)
①『纒向学研究』第8号(桜井市纒向学研究センター、2020年)所収。
②古田武彦『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社、1971年。ミネルヴァ書房より復刻)


第2252話 2020/10/06

ベティー・J・メガーズ博士の想い出(4)

 大原重雄さん(『古代に真実を求めて』編集部)から教えていただいたもう一つの古い土器、サン・ペドロ複合遺物(San Pedro complex)の土器については当該論文(注)を入手し、その写真を見ることができました。サン・ペドロ土器はバルディビアの南側約40kmほどのところにあるリアル・アルト(Real Alto)遺跡で発見され、そこはバルディビアと同じ太平洋岸に位置しています。ですから、広い意味では同一領域(エクアドル太平洋岸)と考えてもよいように思います。
 論文によればサン・ペドロ土器の中で最も古いものは、バルディビア土器1層とその下の無土器時代層の間から出土しており、バルディビア土器よりも古いとされています。掲載された写真によれば、その文様は単純な〝線刻〟であり、比較的進化した文様を持つバルディビア土器よりも素朴で古いと見てよいと思われました。
 以上の理解が正しければ、バルディビア土器の誕生が縄文土器の伝播によるとする場合、最初にリアル・アルトへ伝播し、その後に北部のバルディビアへも広がり、あの多彩なバルディビア土器群へ発展したと考えることもできます。あるいは、アマゾン川下流域の土器が南米大陸を横断してリアル・アルトへ伝播したのかもしれません。
 いずれにしても、このような新知見を取り入れて、「縄文人が太平洋を渡り、縄文土器がバルディビアに伝播した」とするメガーズ説の修正発展、あるいは大胆な見直しを含む再検証が必要な時代を迎えたようです。(おわり)

(注)〝New data on early pottery traditions in South America: the San Pedro complex, Ecuador〟Article in Antiquity June 2019 Yoshitaka Kanomata , Jorge Marcos , Alexander Popov , Boris Lazin & Andrey Yabarev


第2251話 2020/10/06

ベティー・J・メガーズ博士の想い出(3)

 縄文人が太平洋を渡り、縄文土器がバルディビアに伝播したとするメガーズ説の論点の一つ、「バルディビア土器が南北アメリカで最古の土器」については検証が必要と大原重雄さん(『古代に真実を求めて』編集部)から教えていただきました。1995年の「縄文ミーティング」当時も小林達雄さん(国学院大学教授)は、コロンビアのサン・ハシント(San Jacinto)出土土器とアマゾン川流域の貝塚出土土器がバルディビア土器より古いと指摘されていました。しかしその詳細をわたしは知りませんでした。
 今回、大原さんから教えていただいたのは、次の二つの出土事例でした。一つは、ブラジル北部アマゾン川下流のサンタレン(Santarém)の先史時代の貝塚出土土器。もう一つはバルディビアの南数十kmにあるサン・ペドロ複合遺構(San Pedro complex)から出土した土器です。中でもサンタレン出土土器は約8000年から7000年前のものとされており、南米では突出して古いものです(注)。
 サンタレン出土土器の写真をわたしはまだ見ていませんので、断定はできませんが、バルディビア土器の文様は、「太平洋を渡った縄文土器」と「南米大陸を横断したサンタレン土器」の、どちらの伝播・影響によるのかがこれからは問われることでしょう。(つづく)

(注)アンナ・C・ルーズベルト、ルパート・ハウズリー「ブラジルアマゾンの先史時代貝塚からの第8ミレニアム土器」(〝Eighth Millennium Pottery from a Prehistoric Shell Midden in the Brazilian Amazon〟Science 254、1992)では、その土器の年代について次のように報告(要約)されている。
 「西半球でこれまでに発見された最も初期の土器は、ブラジルのアマゾン川下流サンタレン(Santarém)近くの先史時代の貝塚から発掘された。木炭・貝殻・土器の校正済み加速器放射性炭素年代測定と、出土土器の熱ルミネセンス年代測定では、約8000年から7000年前を示した。」(古賀訳)