新・法隆寺論争 (1)
古田先生と家永先生の
『聖徳太子論争』『法隆寺論争』
「市民の古代研究会」時代に、わたしたちは『市民の古代・別冊』として、古田先生と家永三郎さんによる論争本を二冊刊行しました。『聖徳太子論争』(1989年、新泉社)と『法隆寺論争』(1993年、新泉社)で、法隆寺の釈迦三尊像を通説通り「聖徳太子」の為のものか、九州王朝の多利思北孤の為のものかを争点とした両氏の論争が収録されています。今でも学問的価値は高く、研究者には是非読んでいただきたい基本文献です。
法隆寺と同寺の釈迦三尊像は、古田史学・多元史観と通説・近畿天皇家一元史観が直接的にぶつかり合う重要テーマの一つです。古田学派からも多くの研究論文・著作が出されており、古田先生の研究業績(注①)を筆頭に、学界に先駆けて法隆寺移築説を発表された米田良三さんの『法隆寺は移築された』(新泉社、1991年)など優れた研究がありました。わたしも若干の研究(注②)を近年発表してきましたが、定年退職したこの機会に、これまでの法隆寺研究を復習し、問題点の指摘や可能であれば新仮説の提起などを試みたいと考えています。(つづく)
(注)
①古田武彦『失われた九州王朝』(朝日新聞社、1973年。ミネルヴァ書房から復刻)
古田武彦『古代は輝いていたⅢ 法隆寺の中の九州王朝』(朝日新聞社、1985年。ミネルヴァ書房から復刻)
古田武彦『古代は沈黙せず』(駸々堂出版、1988年。ミネルヴァ書房から復刻)
②古賀達也「九州王朝鎮魂の寺 ―法隆寺天平八年二月二二日法会の真実―」(『古代に真実を求めて』第十五集、明石書店、2012年)
古賀達也〝『法隆寺縁起』に記された奉納品の不思議(1)~(7)〟(「洛中洛外日記」1864~1875話(2019/03/28~04/14)