2021年02月06日一覧

第2370話 2021/02/06

『史記』天官書、「中宮」か「中官」か(4)

 『史記』天官書「原文」には「中宮」「東宮」「西宮」「南宮」「北宮」とあるのですが、それら五つを総称したものが「五官」であるとその末尾に記されています。次の文です。

 「故に紫宮・房・心・権・衡・咸池・虚・危・列宿の部星は、此れ天の五官の坐位なり。」吉田賢抗著『新釈漢文大系 史記 四』(明治書院、1995年)、215頁

 天官書には、紫宮は中宮、房・心は東宮、権・衡は南宮、咸池は西宮、虚・危は北宮とありますから、これらの総称は「五官」ではなく、「五宮」とあるべきところです。そのため、明治書院版『史記』には「五官」は「五宮」の誤りとする次の注があります。

○五官 「五宮」の誤りか(考証)。張宇節は「列宿部内之是也」(正義)という。列宿部内とは、二十八宿の部内の星。(同書、216頁)

 ここに見える(考証)とは『史記会注考証』(注①)のことで、わが国における『史記』研究の基本文献の地位を占めている優れた注釈書です。そこで、同書を調べることにしました。幸いにも、閲覧できるwebサイト(注②)があり、そこには次の引用と考証が記されていました。

 「列宿部星、此天之五官坐位也。〔正義〕五官列宿部内之星也、〔考証〕猪飼彦博曰、篇中唯此字未訛、方苞云、官當作宮、首所列五宮也、不知五官爲正、五佐爲副、於文義亦不可易官爲宮也、」『史記会注考証 四』93頁

 ここで引用された〔正義〕とは、唐の張守節による注釈書『史記正義』のことで、六朝・宋の裴駰(はいいん)の『史記集解』(しきしっかい)、唐の司馬貞の『史記索隠』の注釈とを合わせて『史記』の三家注と呼ばれている有名な注釈書です。その『史記正義』を引用した後、著者滝川亀太郎氏の考証が続きます。
 その考証冒頭には、江戸時代末期の学者猪飼彦博(注③)の説として「篇中唯此字未訛」(篇の中に唯此の字を未だあやまらず)を引用し、次いで中国清代の儒学者方苞(注④)の説「官當作宮、首所列五宮也、不知五官爲正、五佐爲副、於文義亦不可易官爲宮也」を引用しています。このように滝川氏は「五官」は「五宮」の誤りとする説を考証で紹介しているわけです。
 これら一連の解説から、唐代の『史記正義』には「五官」とあり、清代の儒家方苞は「五官」を誤りとして「五宮」が正しいと認識していたことがわかります。前話で紹介した、清代の儒家孫星衍の『史記天官書補目』(注⑤)では「中官」「東官」「西官」「南官」「北官」と『史記』天官書「原文」を改訂(宮→官)していることから、末尾の「五官」の部分はそのままでよいと判断していたのではないでしょうか。このように、清代でも「官」と「宮」について諸説出されていたわけですから、西村さんやわたしの疑問には先例があったわけです。(つづく)

(注)
①滝川亀太郎著『史記会注考証』東方文化学院、1932~1934年。
②「臺湾華文電子書庫」https://taiwanebook.ncl.edu.tw/zh-tw/book/NTUL-0272410/reader
③猪飼敬所(いかい けいしょ) 宝暦11年(1761年)~ 弘化2年(1845年)は、日本の江戸時代後期の折衷学派の儒学者。名は彦博(よしひろ)、字は文卿、希文。近江国
出身。著作に「論孟考文」「管子補正」などがある。
④方苞(ほう ぼう)1668年~1749年は、中国清代の儒学者・文人・政治家。字は鳳九、号は霊皋、晩年には望渓と号する。著作に『史記注捕正』などがある。
⑤孫星衍撰『史記天官書補目』(王雲五主編『中西経星同異考及其他一編』中華民国二十八年十二月初版、1939年)。