『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (8)
昨晩、友人達とリモートで新年の挨拶と勉強会を行いました。様々なテーマで意見交換や情報交換ができ、とても刺激的で有意義でした。なかでも昨年末から「洛中洛外日記」で検討を続けている〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」〟(注①)について、長里での理解も可能ではないかとする見解が日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)から出されました。その主たる論旨は次のようでした。
(1) 『旧唐書』の記事からは「去京師一萬四千里」の根拠は不明とせざるを得ない。
(2) そのうえで、次のような視点に基づき、長里でも理解可能ではないか。
(3) 『旧唐書』百済伝にある、京師(長安)から百済(の都)までの距離「在京師東六千二百里」(長里とする)を重視する。
(4) 『隋書』俀国伝にある、百済から俀国までの距離「水陸三千里」も隋唐代の長里と見なし、『旧唐書』の6,200里に加算すれば9,200里となる(いずれも長里とみなす)。
(5) 更に朝鮮半島内の行程距離や、倭国の都を前期難波宮とすれば更に距離が伸びて、総里程は増える。
(6) 唐代の長里を一里400~500mとする諸説があり(注②)、それによれば14,000里は5,600~7,000kmであり、長安(西安)から難波(大阪)までの行程が道行きのジグザグ行程であれば、その総里程を「去京師一萬四千里」とする『旧唐書』の記事を長里で理解できるのではないか。
以上のような日野さんの見解には解決しなければならない問題点が残されてはいますが、こうした視点・解釈があることを知り、とても勉強になりました。今のところ、ただちに賛成はしかねますが、検討すべき仮説と思いましたので、日野さんの了解を得て、紹介させていただきました。自説と異なる見解は学問の深化発展にとって貴重です。本テーマについては、日野さんの見解も含めて引き続き検討したいと思います。(つづく)
(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2642~2648話(2021/12/21~26)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (1)~(7)〟
②森鹿三「漢唐一里の長さ」(『東洋史研究』5(6)、1940年)には唐代の1里を440m程度とする説が紹介されている。この他にも諸説ある。