2022年05月14日一覧

第2740話 2022/05/14

高良大社研究の想い出 (1)

―古賀壽先生からの手紙―

 45年勤めた化学会社を定年退職し、二年が過ぎようとしています。なぜか定年後も会社時代の夢をみます。なかでも、化学プラントの合成反応が暴走し、制御に苦しむ夢をよく見ます。三十代のとき、深夜に停電が発生した記憶がトラウマになっているようです。
 その夜のことは今でもよく覚えています。仮眠をとっていたわたしは、「古賀さん大変です。停電です」の大声にたたき起こされました。事務管理棟の灯りはついているものの、工場用高圧電源が止まっており、緊急事態の発生でした。夜勤メンバーに対応を指示すると、わたしは懐中電灯を手に真っ暗闇の工場に飛び込みました。エレベーターが動かないので、最上階(4F)まで階段を駆け上り、作業者の安否を確認すると、停止した装置の分電盤を片っ端から開けて元スイッチを切り、加熱用蒸気バルブを手動で閉めました。そうしないと、電源が回復したとき一斉に反応器が動き出し、最悪の場合、化学反応が暴走するからです。
 過去に異常反応で有毒ガスが発生し、逃げ遅れた同期入社の社員が重体になったこともありましたので、化学知識はもとより、非常時での対応力が要求されました。とりわけ深夜勤務は作業員も少なく、責任者ともなれば片時も気を抜けませんでした。このような夢を見ることは、これからは減ることと思います。
 定年後の生活リズムになれてきましたので、古い資料を整理しています。先日、高良玉垂命関連ファイルを整理していたら、古賀壽(たもつ)先生(注①)からのお手紙や貴重な資料が出てきました。古賀壽先生は高良大社研究の碩学で、古田先生とも懇意にされていました。わたしが久留米出身で同姓ということもあってか、何かと親身になってご教示いただきました。高良大社所蔵の貴重な史料を見せていただいたり、コピーをいただくこともありました(注②)。最初にいただいたお手紙を紹介します。氏のお人柄がうかがえます。

〝拝復
 このたびは『古田史学会報』24~32号並びに『古代に真実を求めて』第一集を御恵与賜り、また御丁寧な御便りに接し、誠に有難く厚く御礼申し上げます。
 会報所載の御高論「玉垂命と九州王朝の都」「高良玉垂命と七支刀」「稲員家と三種の神宝」、いずれも興味深く拝読しました。
 私ごとを申し上げますと、私は大川市(旧三潴郡田口村)の出身で、作曲家古賀政男は従祖父に当たります。
 小学生の頃、社会科の授業で教わった大善寺(現久留米市)の御塚・権現塚古墳を一人で見学に行き、そのことを担任の先生から激賞されたことがきっかけで、この道に入りました。だから三潴町の御廟塚・烏帽子塚、大川市の酒見貝塚などは日参する勢いで歩き廻り、リンゴ箱五六個分の土器や石器を集めたものです。それから五十年、現在は二度目になりますが高良大社に奉職し、高良の神=高良玉垂命とは一体何者かを、真剣に考える毎日となり、早や十年を経ました。その私の見解は、社報「たまたれ」第13号に述べたとおりです。
 私の考古学・古代史学研究は、水沼君にはじまり、水沼君に終わるような気がしています。
 白状すれば、私は古田先生や皆様とは、対極にある者ですが、歴史の真実を見極めるためには、さまざまな異なる角度からの研究こそが必要と考えております。
 地元に在って皆様の御研究を拝見しますと、この件ならもっとよい資料があるのに、と思うことが再々です。特に高良山関係の資料は活字化が遅れています。幸い今なら(残り少ないのですが)高良大社に私が居りますので、御研究の便宜を図ることは、微力なりに出来ようかと思います。当社の資料で必要なものがあれば、極力貴意に添いたいと考えています。
 先ずは右、取急ぎ御礼傍々、
 2伸 八月の久留米シンポジウムには、事情が許せば是非参加したいと存じております。その折り拝眉できればと楽しみです。
 同封の小冊子御笑覧下さい。 拝具
 六月七日(注③)
         高良大社 古賀 壽
 古賀達也様
     硯机〟

 古賀壽先生は、学問的見解が〝対極〟にある古田先生やわたしたちに対しても、資料紹介の労を惜しまれなかった真の歴史学者であり、郷土の偉人でした。

(注)
①高良大社文化研究所元所長。高良玉垂命研究の第一人者で関連著書や論文は多数。
②古田武彦「高良山の『古系図』 ―「九州王朝の天子」との関連をめぐって―」(『古田史学会報』35号、1999年)に次の記事がある。
〝今年の九州研究旅行は、多大の収穫をもたらした。わたしの「倭国」(「俀〈たい〉国」、九州王朝)研究は、従来の認識を一段と深化し、大きく発展させられることとなったのである。まことに望外ともいうべき成果に恵まれたのだった。
 その一をなすもの、それが本稿で報告する、「明暦・文久本、古系図」に関する分析である。今回の研究調査中、高良大社の“生き字引き”ともいうべき碩学、古賀壽(たもつ)氏から、本会の古賀達也氏を通じて、当本はわたしのもとに托されたものである。〟
③平成七年(1995)。