2023年10月30日一覧

第3146話 2023/10/30

三十年前の論稿「二つの日本国」 (3)

 拙論「二つの日本国 ―『三国史記』に見える倭国・日本国の実像―」冒頭の「序」を転載します。執筆当時(1988年)の雰囲気やわたしの認識がうかがえます。

【以下転載】

一つの国家が地球上から姿を消した。ソビエト連邦の崩壊という現代史の一区画をなす時代に我々はいる。おそらくこの時代の評価は後世の史家によりくだされるであろうが、日本古代史においても、長く日本列島の代表者であった一国家の崩壊が、古田武彦氏の手により歴史の闇の中から白日の下にさらされた。九州王朝の興亡、これである。

 『魏志』倭人伝に見える邪馬壹国から七世紀に至るまで、中国史書に表れた倭国は北部九州を中心に連綿と存続した王朝、すなわち九州王朝であったことは、氏の著書『失われた九州王朝』などに詳しい。

 また、氏の説によれば、白村江での敗戦後、倭国(九州王朝)は急速に没落滅亡し、列島代表者の地位を近畿天皇家にとって代わられたという。その権力交替の時期を古田氏は『三国史記』の記事により六七〇年とされた。また、その実態が『旧唐書』における倭国伝と日本国伝に反映されていることも論証された(1)。

 これら一連の古田説の展開は瞠目すべき内容であるが、白村江以後八~九世紀における、いわゆる「滅亡」後の九州王朝について、氏はまだ十分に言及されていないようだ。よって、私は「滅亡」後の九州王朝についてこれまで少なからず論じ(2)、八~九世紀における九州王朝の存続説を提起してきた。これら拙稿の論点は作業仮説の提示に留まった点も多く、その論証上いま一つ安定感を欠いていたように思う。また、それらは主に国内史料に基づいた立論であった。

 本稿では国外史料とりわけ『三国史記』における倭国・日本国記事の史料批判により、八~九世紀における九州王朝の実像解明を試み、これまで主張してきたところの九州王朝存続説を補強したいと思う。そして白村江以後の列島における、「二つの日本国」という概念を提起することとなった。更には九州王朝と近畿天皇家がそれぞれどの時点において「日本国」を国号としたのかというテーマにも触れるが、この点に関して、九州王朝から近畿天皇家への中心権力の移動年次において古田説(六七〇年)と異なる結論に達したのでここに発表する。諸賢の御教正を切に願う。

(註)
(1)『失われた九州王朝』角川文庫、「新唐書日本伝の史料批判」『昭和薬科大学紀要二二号/一九八八年』
(2)「最後の九州王朝」『市民の古代・十集』所収。「九州王朝の末裔たち」『市民の古代・十二集』所収。「空海は九州王朝を知っていた」『市民の古代・十三集』所収。
【転載おわり】(つづく)