三十年前の論稿「二つの日本国」 (7)
今回は、「二つの日本国 ―『三国史記』に見える倭国・日本国の実像―」から、「三、倭国の特産品、明珠の証言」を転載します。倭国は古くから特産物の宝石(珠類)を中国に献上してきたことが知られています。たとえば『三国志』倭人伝に倭国の産物として「真珠・青玉」が見え、壹與が白珠や孔青大句珠を献上したことが記されています。
「出真珠、青玉。其山有丹。」
「壹與、遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人、送政等還、因詣臺。獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。」『三国志』倭人伝
『隋書』や『旧唐書』にも同類の記事があり、『三国史記』新羅本紀の次の記事に見える「明珠一十箇」に対応しています。
日本国王、使を遣わし、黄金三百両、明珠一十箇進ず。〈憲康王八年(八八二)四月条〉
こうした倭国(九州王朝)の特産物と『三国史記』に見える「明珠」との対応を、新羅本紀の国交記事に登場する日本国は近畿天皇家ではなく、九州王朝の後裔であることの傍証としました。
【以下転載】
三、倭国の特産品、明珠の証言
『三国史記』に表れた日本国から新羅への献上品は黄金と明珠だ。これと対応するのが同じく『三国史記』の倭国記事である。倭国からの献上品、あるいは特産物が記された記事は次の通りだ。
使を倭国に遣わして、大珠を求めしむ。〈百済本紀、阿莘王十一年(四〇二)五月条〉
倭国、使を遣わして夜明珠を贈る。王、優礼して之を待う。〈百済本紀、腆支王五年(四〇九)条〉
これらの記事から、九州王朝倭国の特産品に「大珠」「夜明珠」が記されており、先の日本国の献上品「明珠」と対応していることがわかる。それに比して、「六国史」などに記された近畿天皇家から新羅への献上品は「錦」「絁」などであり、その趣を異にしている。このように献上品・特産物といった点からも『三国史記』の倭国と日本国はともに九州王朝であるとする本仮説を支持するのである。
余談ながら、倭国の献上品・特産品については『旧唐書』にも次の記述がある。
倭国、琥珀、瑪瑙を献ず。琥珀は大なること斗の如く、瑪瑙は大なること五斗器の如し。〈帝紀、永徴五年(六五四)十二月条〉
ここでは倭国の献上品として具体的に琥珀と瑪瑙を記し、その大きさについても特筆している。これなども、先の「大珠」に通じるものと言えよう。次に「明珠」「夜明珠」で思い起こされるのが、『隋書』俀国伝の次の記事だ。
如意宝珠有り。其の色青く、大きさ鶏卵の如し。夜は則ち光有り、と云う。魚の眼精なり。
また有名な『魏志』倭人伝にも「真珠・青玉を出だす」「白珠五千孔・青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢す」という記事が見えることから、三世紀から九世紀に至るまで、倭国は「珠」を献上品とする伝統を持っていたようである。また、おそらくは他国もこうした倭国の「珠」を珍品として重宝したものと思われる。
【転載おわり】(つづく)