城崎温泉にて ―神の鳥と狗奴國―
今日は城崎温泉で最も源泉に近い「鴻の湯」に浸かりました。塩味がする透明な良い湯でした。現地伝承では、舒明天皇の時代、傷ついたコウノトリが山中の池で湯浴みしているのを見た村人により、温泉が発見されたとのこと。これが史実を反映した伝承であれば、「舒明天皇の時代(629~641年)」とあることから、本来は当時の九州年号「仁王」「僧要」「命長」(注①)によりその年代が伝えられ、後世になって『日本書紀』紀年に基づき、「舒明天皇の時代」とする表記に変えられたものと思われます。
温泉街を散策していて、コウノトリの本来の意味は「神(こう)の鳥」ではないかと思いつきました。神戸(こうべ)の神(こう)です。この思いつきが当たっていれば、城崎温泉は神様が遣わした鳥により発見されたことになりそうです。
そんな思いつきを妻と娘に話していて、あることに気づきました。『三国志』倭人伝に見える、卑弥呼の邪馬壹国を中心とする倭国と対立していた狗奴國とは、「神(こう)の国」ではなかったか。倭国と敵対した国であったため、獣偏の「狗」という卑字が用いられたと思われます。従って、本来の国名の意味は「神(こう)の国」ではないでしょうか。古田説によれば、狗奴国は銅鐸圏にあった国ですから、ここ城崎温泉は狗奴国そのものではなくても、位置的にはその勢力範囲内か、あるいは近傍の国だったように思います。倭人伝には傍国(注②)として「鬼(き)國」「鬼奴(きの)國」が見え、城崎(きのさき)地名と関係があるのかも知れません。ちなみに、豊岡市気比(けい)からは大正元年(1912年)に銅鐸四個が出土しています。
このようなことをつらつらと城崎にて考えていますが、まだ学問的仮説には至らない思いつきですし、先行説があるかもしれません。
なお、夕食はカニ料理で、これ以上は食べられないと思うほど。カニを食べました。日本近海にカニがいてくれてよかった。この国に生まれてよかったと思いました。カニとご先祖様に感謝です。
(注)
①舒明天皇時代の九州年号(『二中歴』による)。
西暦 九州年号 干支
629 仁王 7 己丑 舒明 1
630 仁王 8 庚寅 舒明 2
631 仁王 9 辛卯 舒明 3
632 仁王 10 壬辰 舒明 4
633 仁王 11 癸巳 舒明 5
634 仁王 12 甲午 舒明 6
635 僧要 1 乙未 舒明 7
636 僧要 2 丙申 舒明 8
637 僧要 3 丁酉 舒明 9
638 僧要 4 戊戌 舒明 10
639 僧要 5 己亥 舒明 11
640 命長 1 庚子 舒明 12
641 命長 2 辛丑 舒明 13
②倭人伝には次の傍国、狗奴国記事がある。
「其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。此女王境界所盡。
其南有狗奴國、男子爲王。其官有狗古智卑狗、不屬女王。」