『九州倭国通信』No.213の紹介
友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.213を14日の講演会のおりにいただきました。同号には拙稿「孝徳紀・天智紀・天武紀の倭京」を掲載していただきました。『日本書紀』に見える「倭京」とは、九州王朝の倭京(太宰府)や東都難波京、あるいは通説の「飛鳥京」とするのか、『日本書紀』編者の認識に迫った論稿です。これは王朝交代期の権力構造や、九州王朝(倭国)と大和朝廷(日本国)との力関係をどのように理解するのかという、古田学派での最新研究テーマに関わる問題提起であり、まだ結論が出たわけではありません。
また、今村義則さんの「天子と九州年号」や鹿島孝夫さんの「隋使は阿蘇山を見なかった」など、九州王朝研究に関する論稿が掲載されていました。その結論への賛否は別にして、こうした研究論文を興味深く拝読しました。「九州古代史の会」の研究者との学問交流が進めばと願っています。