『九州倭国通信』215号の紹介
友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.215号が届きましたので紹介します。同号には拙稿「城崎温泉にて」を掲載していただきました。これは昨年末に家族旅行で訪れた城崎温泉の紀行文で、タイトルは志賀直哉の「城崎にて」に倣ったものです。初めて訪れた城崎温泉ですが、そのお湯がきれいで日本を代表する名湯「海内第一泉」とされていることも頷けました(注①)。
現地伝承では、舒明天皇の時代、傷ついたコウノトリが山中の池で湯浴みしているのを見た村人により、温泉が発見されたとのこと。これが史実を反映した伝承であれば、舒明天皇の時代(六二九~六四一年)とあることから、本来は当時の九州年号「仁王」「僧要」「命長」により、その年代が伝えられ、後世になって『日本書紀』紀年に基づき、「舒明天皇の時代」とする表記に変えられたものと思われます。
本号の表紙には韓国慶州市の明活山城石垣が掲載されています。「九州古代史の会」では五月に「伽耶・新羅の旅」を行われており、会報紙面にもその報告が収録されています(注②)。福岡は地理的にも歴史的にも韓国との関係が深く、日韓の古代史研究も盛んです。これは同会の強みの一つと思います。同会事務局長の前田和子さんからは、「日本古代史研究のためにも、古賀さんは韓国を訪問するべき」と言われています。仕事で何度も韓国出張しましたが、残念ながら毎回ハードスケジュール続きで、当地の博物館や遺跡巡りの機会はありませんでした。退職後も国内旅行が精一杯で、韓国訪問の機会はないままです。
(注)
①一の湯には「海内第一泉」の石碑がある。江戸時代の医師、香川修庵が「天下一の湯」と推奨したことが一の湯の由来。
②鹿島孝夫「青龍か天馬かそれとも? 伽耶・新羅の旅を終えて」
工藤常泰「慶州の金冠と糸魚川の翡翠」
前田和子「その「一語」とあの「一文」の罪52 (再び白村江の戦い)~伽耶・新羅の旅~」