2024年08月31日一覧

第3338話 2024/08/31

同時代エビデンスとしての

        「天皇」木簡 (3)

 飛鳥池遺跡北地区の大溝遺構SD1130(排水施設)から出土した「天皇」木簡(注①)をはじめとして512点の木簡が、奈良国立文化財研究所HPの「木簡庫」に登録されています(削屑を加えれば、出土数は更に増える)。その中から、同遺構SD1130出土物の年代観を示す代表的な木簡を紹介します。

【木簡番号】185
【本文】・「合合」○庚午年三→(「合合」は削り残り)・○□\○□
【暦年】(庚午年)天智9年、670年。

【木簡番号】191
【本文】尾張海評堤□□□□〔田五十戸ヵ〕
【国郡郷里】尾張国海部郡津積郷〈尾張国海評堤田五十戸〉

【木簡番号】192
【本文】・尾張□評嶋田五十戸・□〈〉□〔〓ヵ〕
【国郡郷里】尾張国海部郡嶋田郷〈尾治国海評嶋田五十戸〉

【木簡番号】193
【本文】丁丑年十二月次米三野国/加尓評久々利五十戸人/○物部○古麻里∥
【暦年】(丁丑年)天武6年12月、677年。
【国郡郷里】美濃国可児郡〈三野国加尓評久々利五十戸〉

【木簡番号】194
【本文】・←我評高殿・←秦人虎
【国郡郷里】丹波国何鹿郡高殿郷〈←我評高殿〉

【木簡番号】195
【本文】・←野評佐野五十戸・○五斗
【国郡郷里】丹後国熊野郡佐濃郷〈←野評佐野五十戸〉

【木簡番号】196
【本文】次評/上部五十戸巷宜部/刀由弥軍布廿斤∥
【国郡郷里】隠岐国周吉郡上部郷〈隠岐国次評上部五十戸〉

【木簡番号】197
【本文】弥奈部下五十戸

【木簡番号】198
【本文】三間評○小豆○〈〉
【国郡郷里】阿波国美馬郡〈三間評〉

【木簡番号】203
【本文】加毛五十戸秦人足□〔牟ヵ〕

【木簡番号】204
【本文】多可□□□〔五十戸ヵ〕塩一□〔古ヵ〕
【国郡郷里】(常陸国多珂郡多珂郷)・(山城国綴喜郡多可郷)・(備後国三上郡多可郷)・(陸奥国行方郡多珂郷)・(近江国犬上郡田可郷)・(陸奥国宮城郡多賀郷)

【木簡番号】211
【本文】・丙子鍬代四楓・□代一匹又四楓
【暦年】(丙子年)天武5年、676年。

 以上のように、大溝遺構SD1130(排水施設)から出土した木簡には、干支(「庚午年」天智9年、670年)(「丁丑年」天武6年、677年)(「丙子年」天武5年、676年)、「評(こおり)」、「五十戸(さと)」表記が見え、「郡」「里」木簡は見えませんので、天武の頃とする年代観を示唆しています。当該調査報告書(注②)には次の説明があります。
※「木簡庫」の木簡番号と当報告書の木簡番号は異なりますので、ご注意下さい。

 〝確実な紀年銘木簡は164「丁丑年」(天武6年、677年)のみである。他に干支を記すものに157「庚午年」、185「丙子」、250「寅年」がある。157は木簡自体の年代が「庚午年」(天智9年、670)まで遡る可能性は低く、185は年の干支かどうかは確実でない(年の干支とすれば天武5年)。250は戊寅年(天武7年、678年)か。コホリの表記はすべて「評」(162〜167、169、176)、サトの表記はすべて「五十戸」(162〜164、166〜168、171、175、177、178)であり、「郡」「里」を記すものはない。他に時期の推定できる木簡として、天武5年(676)・同6年の飢饉による救恤活動を記す可能性のある142、天武13年(684)の八色の姓制定より前の姓を記した可能性のある149などがある。また、天武6年12月の表記がある164「次米」荷札は、天武7年(678)正月儀礼用の餅米荷札の可能性があり(後述)、その場合は天武7年の正月頃に廃棄されたことになる。溝自体が短期間しか存続しなかったことから、木簡群は短期間に廃棄されたと考えられ、木簡の年代は天武5〜7年を含む数年間に収まると判断できる。〟

 このように、「天皇」木簡の年代観を天武の頃とした「木簡庫」の説明と同じ結論が示されています。上記荷札木簡に注目すると、天武の頃には各地(尾張国・美濃国・丹後国・隠岐国・阿波国)から献上物が飛鳥宮に届けられていることがわかり、当時の近畿天皇家の勢力範囲(統治領域)をうかがうことができます。次に大溝遺構SD1130以外の飛鳥池遺跡の出土木簡について紹介します。(つづく)

(注)
①「木簡庫」の「天皇」木簡の解説
【本文】天皇聚□〔露ヵ〕弘寅□\○□
【寸法(mm)】縦(118) 横(19) 厚さ(3)
【遺跡名】飛鳥池遺跡北地区
【所在地】奈良県高市郡明日香村大字飛鳥
【発掘次数】飛鳥藤原第84次
【遺構番号】SD1130
【地区名】5BASNL36
【内容分類】文書
【人名】天皇
【木簡説明】上端・左辺削り、下端折れ、右辺割れ。上端は左角を削り落とし、裏側を面取りする。「天皇、露ヲ聚メ、寅ヲ弘メ…」と訓読できるが、文意は不詳。「露」は雨冠の他字の可能性もある。「天皇」が君主号とすれば、木簡の年代観から天武天皇を指すとみられる。ただし、君主号とは無関係な道教的文言の可能性もある。
②『奈良文化財研究所学報第71冊 飛鳥池遺跡発掘調査報告 本文編〔Ⅰ〕─生産工房関係遺物─』奈良文化財研究所、2021年。