『続日本紀』道君首名卒伝の
「和銅末」の考察 (4)
『続日本紀』には、服部さんの発表資料に提示された、「『日本書紀』および『続日本紀』での時を表わす「末」の使用例(実は非常に少なくたった2例)」の一つとして、道君首名卒伝の「和銅末」がありますが、今回の悉皆調査の結果、『続日本紀』には〝年号+「末」〟表記を持つ卒伝・薨伝が道君首名を含めて七例見つかりました。次の各伝です。
❶養老二年(718)四月条 道君首名卒伝
「和銅末」〈和銅8年(715)〉
❷天平神護二年(768)三月条 藤原朝臣真楯薨伝
「天平末」〈天平20年(748)〉
❸延暦二年(783)七月条 藤原朝臣魚名薨伝
「天平末」〈天平20年(748)〉
❹延暦四年(785)七月条 淡海眞人三船卒伝
「寳龜末」〈宝亀11年(780)〉
❺延暦四年(785)九月条 藤原種継薨伝
「寳龜末」〈宝亀11年(780)〉
❻延暦七年(788)七月条 大中臣朝臣清麻呂薨伝
「天平末」〈天平20年(748)〉
❼延暦八年(789)九月条 藤原朝臣是公薨伝
「寳龜末」〈宝亀11年(780)〉
※〈〉内の年次はその年号の最終年です。
卒伝・薨伝には上記に示した「○○末」の他、「○○中」「○○初」という年次表記例もあり(○○は年号)、『続日本紀』編纂者は「末」「中」「初」を使い分けていることがわかります。これら卒伝・薨伝の「○○末」について、前話で紹介した『続日本紀』の用例(ものごとの最後)と同様に、「○○末」が年号の最後の一年という意味で使用しているのかを確認するため、内容の調査を行いました。(つづく)