2025年01月05日一覧

第3407話 2025/01/05

新年の読書、

  李進煕「飛鳥寺と法隆寺の発掘」

「新年の読書」に選んだ『日本のなかの朝鮮文化』(注①)の44号に掲載された李進煕さんの論文「飛鳥寺と法隆寺の発掘」は、法隆寺再建説で決着した論争に対して、非再建説を新たな視点で論じたものです。それは、法隆寺よりも古いはずの若草伽藍の五重塔心礎が法隆寺よりも新しい様式であり、編年が逆転しているというのものです。

この他にも李進煕さんは若草伽藍発掘調査報告の矛盾点を指摘し、若草伽藍には火災の痕跡が見えないと主張します。

〝「心礎」が通説どおり地上に据えられていたならば、その上に建っていた木造の塔が六七〇年火災で焼け、心礎もぼろぼろに焼けただれているはずである。しかし、そうした痕跡は認められない。また、石田氏(石田茂作)が塔と金堂跡だと推定した「遺構」の周辺から焼土と木炭が認められたが、それはほんの一部にかぎられていて、「一屋余すところなく焼けてしまった」状態を示すものではなかった。この程度の「焼土と木炭」では、天智九年火災の証拠とはならないのである。〟

このような李進煕さんの主張は、「飛鳥寺と法隆寺の発掘」を発表した1979年当時であれば一定の説得力がありましたが、現在までの発掘調査により、若草伽藍の西側から火災で焼けたと思われる壁画片や熱で熔けた金属(注②)、南側からは焼けた壁土片(注③)が出土しており、若草伽藍が火災で焼失したことは疑えず、『日本書紀』天智九年条の法隆寺火災記事は信頼できると思われます。

喜田貞吉氏の〝燃えてもいない寺が燃えてなくなったなどと『日本書紀』編者は書く必要がない〟とする主張(論証)が正しかったことが、今日までの考古学的出土事実(実証)により明確となりました。(つづく)

(注)
①『日本のなかの朝鮮文化』44号、朝鮮文化社、1979年。
②2004年12月10日付朝日新聞(WEB版)によれば、若草伽藍跡の西側で7世紀初めの彩色壁画片約60点が出土し、『日本書紀』に記述される670年の火事で焼失した寺の金堂や塔の壁画とみられる。破片は1千度以上の高温にさらされており、創建法隆寺(若草伽藍)の焼失を裏づける有力な物証ともなった。また、溶けた金属片も確認された。創建法隆寺は内部まで焼き尽くす火災に遭ったことが推測されるとのこと。
③2024年3月1日の産経新聞(WEB版)によれば、若草伽藍の南端の可能性が高い溝跡が発掘調査により見つかり、溝跡には7世紀の瓦が大量に廃棄されており、焼けた壁土片もあることから建物が火災で焼けた後にまとめて捨てられたとみられるとのこと。