秀逸!『隋書』俀国伝の
「九州王朝」解説動画
「古田史学の会」の会員から、若者向けに古田説・古田史学の解説動画を作成し、YouTube配信してはどうかとのご意見が少なからず寄せられます。わたしも賛成ですし、具体的に検討したことも何回かありました。しかし、今のわたしにはその力が足りず、また時間的余裕もなく、具体化できないままでした。何よりも、今の若者たちの心に届くようなコンテンツを造れるのはわたしではなく、若きクリエイターであるということが決定的でした。
そうした問題意識もあって、古代史関係のYouTube番組を関心を持って見てきたのですが、先日、竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)より、優れた動画サイトの紹介がありました。「未知の日本史」というタイトルで、『隋書』俀国伝(動画では倭国伝とする)に記された「九州王朝」説を解説した動画でした。その内容から、作成者は古田説をよく勉強されていることがわかりました。アクセス件数も初日だけで九万件を越えたとのことで、同サイトはいわゆるインフルエンサーによるもののようです。ちなみに、昨年の久留米大学公開講座では若者の受講者が突然増えて驚いたのですが、大学関係者の話によると「インフルエンサーが(九州王朝説をテーマとする)同講座を紹介したようだ」とのことでした。現代は、古田説を書籍ではなく、ネットで知る若者が主流の時代であることを改めて思い知らされた次第です。
動画の最後は次の言葉で締めくくられています。
〝それは私たちが教科書で学んできた歴史とは大きく異なる様相を見せていた。
魏徴が編纂したこの歴史書が伝える3つの重大な謎
第一は、なぜ『日本書紀』から消された600年の遣隋使の存在
第二は、700人もの後宮を持つ謎の支配者・多利思北孤
そして第三は、阿蘇山の記述から浮かび上がるもう一つの王朝の可能性である。
これらの謎は、『日本書紀』が描く推古天皇と聖徳太子による日本の統治という一元的な歴史像の背後に、より複雑な政治構造が存在していた可能性を示唆している。そして、7世紀の日本がいかなる国家であったのかを考える上で極めて重要な手掛かりとなっている。この謎は今なお完全には解き明かされていない。『隋書倭国伝』は1400年の時を超えて、私たちに古代日本の新たな可能性を問いかけ続けているのだ。〟
https://youtu.be/xjcap8plu3g?si=82YhFAL5I86zR4qY
なお、同サイトは「ヤバイ都市伝説」として紹介していますが、わたしたちは学問的有力仮説として検証・研究しなければならないこと、言うまでもありません。
(参考)「宝命」について
サイトおよび記事内は「宝命」で検索願います。
市民の古代・古田武彦とともに 第3集 1981年 古田武彦を囲む会編
古田武彦講演録1 『日本書紀』の史料批判
「遣隋使」はなかった 古田武彦 第一代天子の「宝命」間題
中村幸雄論集
新「大化改新」論争の提唱─『日本書紀』の年代造作について
『日本書紀』推古紀の年代造作記事
『日本書紀の中の遣隋使と遣唐使 服部靜尚