2025年05月26日一覧

第3488話 2025/05/26

『古事記』序文の四六駢儷体

 『古事記』序文は四六駢儷体(しろくべんれいたい)という対句表現を駆使した漢文を中心として構成されています。わたしが四六駢儷体に初めて接したのは三十代の頃、空海の遺言書である「御遺告(ごゆいごう)」研究を始めたときのことで、古典や漢文の教養がなければ、文の真意を読み取れず、有機合成化学を専攻したわたしにはとても難儀な研究でした。漢字辞典を片手に七転八倒しながら、「空海は九州王朝を知っていた ―多元史観による『御遺告』真贋論争へのアプローチ―」(『市民の古代』13集、新泉社、1991年)を執筆したものです。
この四六駢儷体とは四字と六字からなる対句の漢文なのですが、古事記序文には随所にこの技巧が使われています。たとえば次のような文です。

❶ 番仁岐命 初降于高千嶺
❷ 神倭天皇 經歷于秋津嶋
❸ 化熊出川 天劒獲於高倉
❹ 生尾遮徑 大烏導於吉野

 ❶番仁岐命(ニニギの命)と❷神倭天皇(神武天皇)、❶初降・于高千嶺と❷經歷・于秋津嶋が対句になっています。❸化熊出川(化熊、川に出でる)と❹生尾遮徑(生尾、徑(みち)を遮(さえぎ)る)、❸天劒獲於高倉(天劒を高倉に獲て)と❹大烏導於吉野(大烏は吉野に導く)も対句になっています。
これらの場合、四字・六字に整えるために神武天皇のことを「神倭天皇」と表記していますが、序文末尾に見える上巻・中巻・下巻の説明文には、本文と同じ「神倭伊波禮毘古天皇」と短縮せずに記しています。「番仁岐命」も同様で、四六駢儷体にするために、本文にある「日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)」「天津日子番能邇邇藝命」「天津日高日子番能邇邇藝命」を短縮し、なぜか漢字も変えて四文字にしたものです。

 このように安万侶は駢儷体を駆使して見事な漢文による序文を作成しています。古田先生の研究によれば、この序文は尚書正義の影響を受けていることは明らかですが、安万侶の漢籍の教養がうかがえるのではないでしょうか。(つづく)