2025年06月一覧

第3491話 2025/06/01

『古事記』序文と尚書正義

 古田先生の処女論文「古事記序文の成立 ―尚書正義の影響に関する考察―」(注①)では、記序が尚書正義の影響を色濃く受けており、『古事記』そのものにも同影響が見られるとしました。2008年には、記序を後代成立の偽書とする三浦佑之氏の『古事記のひみつ ―歴史書の成立―』(注②)に対して、「学界批判『古事記のひみつ』著者、三浦佑之氏へ」(注③)を著し、記序偽書説を批判しました。
次の「義表(尚書正義)」と「記序」の文章を比較し、記序が文飾にとどまらず、思想的にも尚書正義の影響を受けていることを明らかにしました。

 《義表》(尚書正義)        《記序》
1 混元開闢            混元既凝
2 雖歩驟不同 質文有異      雖歩驟各異 文質不同
3 稽古以弘風          稽古以縄風猷於既頽
4 邦家之基 王化之本        邦家之經緯 王化之鴻基
5 伏惟皇帝陛下 得一繼明 通三撫運 伏惟皇帝陛下 得一光宅 通三亭育
6 御紫宸而訪道 坐玄扈以裁仁   御紫宸而徳被馬蹄之所極
坐玄扈而化照船頭之所逮
7 府無虚月           府無空月
8 名軼於軒昊           道軼軒后

 これらの対比によっても、「両書の類似が「偶然」などではありえないこと、明白である」としました。他にも、「削偽定実」「採摭」「経緯」等の用語も「義表(尚書正義)」と相対応していることを次のように説明しました。

〝まず、尚書正義の場合は次のようだ。
(1) 秦の始皇帝の「焚書坑儒」によって、多くの経典が失われた。
(2) 前漢の世となり、孝文帝(前一八○〜一五七)はこの復旧を志した。太常(宗廟礼儀を掌る官)が臣下の晃錯に命じて、老人伏生の記憶を復元させた(壁中に隠匿されていた経典以外の「本経」)
(3) 伏生は記憶力にすぐれ、「文を諦すれば、即ち熟す」という人物であった。すでに九〇才に至っていたが、その「習誦」するところを、鼂錯がこれを記録した。伏生は経を採らずに口授した、という。
右の「誦文則熟」や「習誦」の用語が古事記序文に転用されていることは明らかだが、それだけではない。古事記序文の場合、
(1) 天武天皇が、記憶力にすぐれた青年、二十八歳の稗田阿礼に命じて古事・伝承(「帝皇の日継及び先代旧辞」を「誦習」させた。)
(2) 元明天皇が太安万侶に命じ、(すでに老人となっていた)稗田阿礼の「誦習」していたところを「口授」させ、安万侶がこれを記録した。
(3) 和銅四年九月十八日、元明の詔が下り、翌年正月二十八日、安万侶はこの古事記を完成し、元明天皇に献上した。
右の二つの経緯が、用語と共に、いわば「相似形」をなしていること、疑えない。とすれば、今問題の「尚書」と「古事記」の書名の意義が一致していることもまた、「偶然の一致」とは称しえないのではあるまいか。
この「書名」問題は、次の一点を提示する。
「『古事記』という書名と、古事記序文と、共に同一の発生源をもつ。――それは他でもない、尚書正義である。」と。
ここでも、氏の企てられた「古事記本文と序文の切りはなし」は困難なのである。〟

 このように、「古事記本文と序文の切りはなし」による記序偽書説を批判したのです。そのなかでも、記憶力が優れた「伏生」と「稗田阿礼」による「習誦」「誦習」が両書成立に共通していることにわたしは驚いたものです。(つづく)

(注)
①古田武彦「古事記序文の成立 ―尚書正義の影響に関する考察―」『多元的古代の成立――[下] 邪馬壹国の展開』駸々堂出版、1983年。
②三浦佑之氏の『古事記のひみつ ―歴史書の成立―』吉川弘文館、2007年4月。
③古田武彦「学界批判『古事記のひみつ』著者、三浦佑之氏へ」『なかった ――真実の歴史学』第四号、古田武彦直接編集、ミネルヴァ書房、2008年。