2025年08月14日一覧

第3515話 2025/08/14

「海の正倉院」

  沖ノ島祭祀遺跡の中の王朝交替(5)

 「海の正倉院」と呼ばれている沖ノ島の祭祀遺跡は次の4期に分かれています。

❶ 岩上祭祀遺跡 4世紀後半~5世紀
❷ 岩陰祭祀遺跡 5世紀後半~7世紀
❸ 半岩陰・半露天祭祀遺跡 7世紀後半~8世紀
❹ 露天祭祀 8世紀~9世紀

 この内、❶❷❸からは日本列島の代表王権にふさわしい奉献品が出土しています。次の通りです。

❶ 銅鏡、鉄剣等の武具、勾玉等の玉類が中心。鏡・剣・玉は三種の神器(王権のシンボル)。
❷ 鉄製武器や刀子・斧などのミニチュア製品、朝鮮半島からもたらされた金銅製の馬具など。新羅王陵出土の指輪と似た金製指輪。ペルシャ製カットグラス碗片。
❸ 金銅製の紡織具や人形、五弦の琴、祭祀用の土器など、祭祀のために作られた奉献品。

 ところが❹(8世紀)になると、宗像地域独特の形状や材質で製作された祭祀用土器を含む土師器・須恵器、人形・馬形・舟形等の滑石製形代が中心です。そのため、8世紀以降は宗像地域の豪族による祭祀が続いたと考えられています。

 8世紀は大和朝廷にとって、『大宝律令』による全国統治が開始され、巨大な条坊都市である平城京の造営、大仏の建立など隆盛を誇った時代です。それにもかかわらず、沖ノ島からは列島の代表王朝にふさわしい奉献品は見られません。すなわち通説に従えば、4世紀から続けてきた沖ノ島への奉献をなぜか突然に大和朝廷は8世紀になるとやめてしまったということになるのです。このような近畿天皇家一元史観というイデオロギーに基づく通説の解釈は不自然であり、出土事実を合理的に説明できていません。

 他方、701年に王朝交代があったとする古田武彦氏の九州王朝説によれば、4世紀から沖ノ島へ奉献し、祭祀を続けてきたのは天孫降臨以来の海洋国家である九州王朝であり、大和朝廷への王朝交代により沖ノ島の祭祀や奉献が続けられなくなったとする説明が可能です。この3期と4期の奉納品の激変は、8世紀における王朝交代の痕跡を示しているのです。

 東アジア最高の優品と評価された、沖ノ島の金銅製矛鞘はヤマト王権からの奉献品ではなく、九州王朝によるものとする仮説は、沖ノ島の祭祀跡から出土した奉献品が8世紀に激変するという史料事実に基づきます。本テーマの最後に、改めてその理由を列挙します。

理由1 九州王朝は天孫降臨以来の海洋国家。沖ノ島を「海の正倉院」としたのは九州王朝。
理由2 九州王朝は卑弥呼以前から鏡文化の国。弥生時代以来、鏡の埋納・奉納の伝統文化を持つ。
理由3 九州地方は金銀象眼・鍍金文化圏。中国伝来の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が国内唯一出土、国内最大の鍍金方格規矩四神鏡が出土。
理由4 九州王朝は騎馬文化受容国家。石人・石馬・馬具出土、『隋書』俀国伝に騎馬隊が見える。

Y0uTube講演
多元的古代研究会
令和七年(2025)八月一日
海の正倉院の中の王朝交代
沖ノ島金銅製矛鞘の象眼発見ニュースに触れて
古賀達也
https://youtu.be/HkZ-f_2JMyo