2025年09月08日一覧

第3527話 2025/09/08

王朝交代時の九州年号「大化」の考察 (1)

31歳の時、古田武彦先生に師事し、入門以来主要テーマとしたのが九州年号研究でした。これまでの研究成果として次のことがわかってきました。

❶九州年号の改元理由として、王宮・王都の造営や遷都・廃都がある。
(例) 倭京元年(618):太宰府遷都(注①)、白雉元年(652):前期難波宮創建、朱鳥元年(686):難波宮焼亡、白鳳元年(661):大津宮創建(注②)。この他にも正木裕氏の研究がある(注③)。
❷年干支が「辛酉」のときにも改元されている(注④)。
(例) 明要元年(541)・願轉元年(601)・白鳳元年(661)。
❸年号に仏典・仏教の影響が見られるものがある。
(例) 教到(531~535)、僧聴(536~540)、和僧(565~569)、金光(570~575)、仁王(623~634)、僧要(635~639)。
❹701年の王朝交代後も九州年号「大化」(695~703)・「大長」(704~712)が続いている(注⑤)。

これまでの研究成果を前提として、わたしが最も注目しているのが「大化」年号です。王朝交代した701年の前後にまたがっている年号ですが、この大化年間に九州王朝に何が起きたのでしょうか。なぜ「大化」のような年号をこの時期に九州王朝は採用したのでしょうか。ここに王朝交代の真相に迫るヒントが隠されているように思われるのです。(つづく)

(注)
①古賀達也「太宰府建都年代に関する考察 ―九州年号『倭京』『倭京縄』の史料批判―」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。
②古賀達也「九州王朝の近江遷都」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。
③正木裕「九州年号の改元について(前編)」『古田史学会報』95号、2009年。
「九州年号の改元について(後編)」『古田史学会報』96号、2010年。
④古賀達也「辛酉革命と甲子革令の王朝」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。
⑤古賀達也「最後の九州年号 ―『大長』年号の史料批判」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。初出は『古田史学会報』77号、2006年。
「続・最後の九州年号 ―消された隼人征討記事」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。初出は『古田史学会報』78号、2007年。 同「九州年号『大長』の考察」『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(『古代に真実を求めて』20集)、2017年。

【写真】九州年号の「大化五子年」土器。