2025年10月一覧

第3540話 2025/10/07

津軽に多い「山神宮」

 弘前市立図書館で津軽藩内の神社や社司の調査記録「安政二年 神社微細社司由緒調書上帳」(写本)を読んだところ、津軽各地に「山神宮」という神社が多いことに気づきました。いずれもそれほど大きな神社ではないように見えましたが、以前の調査「洛中洛外日記」〝東北地方に濃密分布する「山神社」〟(注①)で、東北地方に「山神社」が濃密分布していることを報告し、なぜか青森県には少ないとしました。次の通りです。

 〝福岡県出身で京都に五十年住んでいるわたしには、「山神社」という聞き慣れない名称が気になり、ネットで調べてみました。各県神社庁のホームページによれば、山神社は東北地方に濃密分布しており、中でも宮城県と山形県が最濃密地域のようでした。秋田県や岩手県にも分布が見られますが、なぜか青森県には分布を見いだすことが、今のところできていません。〟

 しかし、弘前市立図書館で読んだ「神社微細社司由緒調書上帳」には、「山神宮」という神社名が各地に散見されました。ご祭神は記されておらず、津軽の「山神宮」で祀られている神様の調査はまだできていません。「山神宮」の訓みについても、「さんじんぐう」なのか「やまがみのみや」なのかも未調査です。当地の方に聞いてみたいと思います。

 次に問題なのが、「山神宮」の「山」とは何なのかということです。一般的には mountain のことと思われますが、「山」一般を神様とする信仰にも違和感があります。やはり、津軽で「山」と言えば岩木山のことではないでしょうか。たとえば、わたしの調査によれば東海地方にも「山神社」が濃密分布しており(注②)、こちらの「山」は富士山のことと思います。山梨県の富士山の周囲に「山神社」が分布していることも(注③)、この理解を支持しているように思われます。(つづく)

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3519話 2025/08/20〝東北地方に濃密分布する「山神社」〟
②Wikipediaには愛知県の次の山神社が紹介されている。
山神社 – 愛知県名古屋市千種区田代町:旧村社
山神社 – 愛知県名古屋市中区松原:旧村社
山神社 – 愛知県名古屋市北区安井
山神社 – 愛知県刈谷市一里山町
山神社 – 愛知県名古屋市港区知多:旧村社
山神社 – 愛知県名古屋市緑区大高町:旧村社
山神社 – 愛知県尾張旭市瀬戸川町
山之神社 – 愛知県半田市山ノ神町
山神社 – 愛知県半田市天王町
山神社 – 愛知県半田市岩滑東町
山ノ神社 – 愛知県知多郡武豊町山ノ神
③Wikipediaには山梨県の次の山神社が紹介されている。
新屋山神社 – 山梨県富士吉田市新屋:山神社
山神社 – 山梨県中央市大鳥居

《写真解説》五所川原市金木町の山神宮。ブログ「神社探訪・狛犬見聞録」より転載させていただきました。


第3539話 2025/10/06

津軽にいた阿倍比羅夫の御子孫

 弘前市立図書館では、キリシタン禁圧文書の他に、津軽藩内の神社や社司の調査記録「安政二年 神社微細社司由緒調書上帳」(写本)を閲覧しました。同書は安政二年(1855)に編纂されたもので、原本は弘前市の最勝院が蔵しています。そのため、弘前市立図書館にある八木橋文庫の同書写本(注①)のコピー版を閲覧しました。

 「神社微細社司由緒調書上帳」はかなり大部の史料のため、精査は無理でしたが、5時間ほどかけて二~三度目を通したところ、面白い記事が目にとまりました。それは『日本書紀』斉明紀に見える大将軍、阿倍比羅夫(あべのひらぶ)の御子孫についての記録です。弘前にある熊野神社の神主、長利(おさり)家の祖を阿倍比羅夫とする記事が「神主由緒書」の冒頭に次のように記されています。

 「神主由緒書
一神代 二津石 又、比羅賀□王より*号す。
右は阿倍比羅夫の子孫。(中略)

二二代 長利麿
(以下略)」
※古賀による訳文。□は一字不明。「*号」は偏が「号」、旁が「逓」の中の字か。

 長利家は津軽の著名な社家ですが、その祖先を阿倍比羅夫とする伝承が津軽藩による公的な調査資料に記されていることから、長利家自身がそのように自家の系譜を認識していたと考えられます。東北の蝦夷討伐で活躍し、更に北方の粛慎とも戦ったと『日本書紀』に記された阿倍比羅夫を祖先とするのですから、それは誇るべき事ではありますが、津軽には滅ぼされた側(蝦夷国)の末裔が多数住んでいるのですから、長利家は古代においては複雑な立場に置かれたのではないでしょうか。

 なお、阿倍比羅夫を祖先とする家系は他にもありますが(注②)、津軽(旧蝦夷国)にその後裔がいたことに、歴史の秘密が隠されているように思います。もしかすると、阿倍比羅夫は津軽に逃れた安日彦(あびひこ)の子孫ではないでしょうか。これからの研究課題です。(つづく)

(注)
①中村良之進(北門)書写『津軽史料』「安政二年 神社微細社司由緒調書上帳」。
②阿倍仲麻呂は阿倍比羅夫の子孫と伝えられている。

《写真解説》クマと戦う阿倍比羅夫。その孫と伝えられている阿倍仲麻呂。


第3538話 2025/10/03

弘前市立図書館で

  キリシタン禁圧書状を閲覧

 昨日は朝から弘前市立図書館に行き、9時30分の開館を待って、史料調査室で夕刻まで江戸期成立の津軽藩文書など10数点を閲覧しました。最初に、キリシタン禁圧に関する報告書(藩への報告書)数点を拝見しました。江戸時代の津軽藩でのキリシタン禁圧史は、島原での弾圧ほど有名ではありませんが、とても興味深いもので、和田家文書にも少数ですが関連記事が見えます。

 今回、閲覧したのは弘前市立図書館に所蔵されている「津軽家古文書」にある次の書状です。

〔津軽きりしたんの者共死罪之儀御奉書〕TK190-3
津軽土佐守(信義)宛 写(原本)1通
註:阿部豊後守忠秋 松平伊豆守信綱 酒井讃岐守忠勝 土井大炊頭利勝より

〔南蛮伴天連いるまん等白状之趣に就き御奉書〕TK190-9
津軽土佐守(信義)宛 写(原本)1通
註:阿部対馬守重次 阿部豊後守忠秋より

〔森元功白状・伴天運市左衛門白状〕TK190-11
写(原本)2通

『東日流外三郡誌』(八幡書店版4巻、696頁)に「イルマン訴人」(津軽犯科帳)の記事があり、その年代(寛永12年・1635)も「津軽家古文書」に対応しているようですので、「南蛮伴天連いるまん等」との関係性を確認するために閲覧したものです。ここでの「いるまん」とはクリスチャンとしての信仰上の「兄弟」や「修道士」を意味しているようです。

 しかし、わたしの関心事は文書の内容だけではなく、使用された紙にもありました。天井の蛍光灯にそれら文書を透かしながら見るのですが、図書館の方からは変な閲覧者と思われたかも知れません。

 思っていたよりも厚手の手漉き和紙が使用されおり、これには驚きました。当時の津軽藩で、このような和紙が公文書に使用されていることを知り、勉強になりました。「東日流外三郡誌」明治写本に使用された機械漉の和紙よりもかなり分厚く、ページ数が多くなる書籍用と一枚の報告書(手紙)とで紙を使い分けているのかも知れません。(つづく)

 

《写真解説》弘前市立図書館旧館と新館


第3537話 2025/10/02

津軽の政治家の皆さんとの一夕

 ―興国の大津波は歴史事実―

 昨晩は弘前市議・青森県議の有志(超党派)の皆さんに、「東日流外三郡誌」に記された興国の大津波が歴史事実であることを証明した地質学論文、箕浦幸治・中谷 周「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」『地質学論集』第36号(1990年)について説明し、「十三湖水戸口に周辺での試錐調査からは、この時期巨大津波の襲来によるものと思われる海岸環境の劇的な改変が示唆される。」「この時期に巨大津波を伴う地震が青森県西方沖で発生したものと判断する」と結論した文部科学省地震調査委員会による次の報告書を紹介しました。

「1341年10月31日  (1341年は興国二年。興国は南朝の年号:古賀注)
『東日流(つがる)外三郡誌』によれば、朝地震とともに約9mの津波が津軽半島の十三湊を襲い26,000名が溺死したとある。(渡辺、1985)。同歴史文書の信憑性について疑問視する人もおり、第二版の渡邉(1998)からは同地震の記述が削除されている。
然るに、十三湖水戸口に周辺での試錐調査からは、この時期巨大津波の襲来によるものと思われる海岸環境の劇的な改変が示唆される(箕輪・中谷、1990)。
本報告では、これらに中嶋・金井(1995)によるタービダイト(海底堆積物:古賀注)の解析結果も加えて比較検討し、歴史記録からは信憑性に欠けるものの、この時期に巨大津波を伴う地震が青森県西方沖で発生したものと判断する。」『日本海東縁部の地震活動の長期評価』『日本海東縁部の地震活動の長期評価』文部科学省地震調査研究推進本部 地震調査委員会、2003年。

 そして最後に、「歴史地震学、文献史学、地質学のそれぞれの研究者がそれぞれの理由に基づいて、興国の大津波を歴史事実とする判断に至っています。貴重な現地伝承を無視することなく、数百年に一度の大地震や大津波に、政治の力で備えていただきたい。津軽の先人が伝えた興国の大津波伝承を現代を生きる津軽の人々に知らせていただきたい。」と訴え、話を締めくくりました。

 その後も参加者から請われて、わたしの専門分野の化学にまで話題は広がり(PET樹脂〔ポリエチレンテレフタレート〕リサイクルにおける再生エネルギー効率について・白色LED光成分による活性酸素発生メカニズムの人体への影響について・福島原発爆発時の原研OBから聞いた逸話・他)、議員の皆さんとの宴は夜の10時過ぎまで続きました。それは、青森県の若い政治家の皆さんとの、とても楽しく有意義な一夕でした。素敵な出会いの場を作っていただいた石岡千鶴子さん(弘前市議、秋田孝季集史研究会・副会長)に深く感謝します。


第3536話 2025/10/01

陸奧新報に出版記念講演会の記事

 弘前市に来て六日目です。昨日は宮下宗一郎青森県知事を表敬訪問し、短時間でしたが有意義な懇談ができました。若さと行動力が魅力的な知事さんでした。知事との懇談後、青森県の文化財保護課で石塔山関連遺跡の調査などについて相談しました。

 9月27日に開催された『東日流外三郡誌の逆襲』出版記念講演会の記事が、今朝の陸奧新報にカラー写真付きで掲載されました。講演会当日は、ご来場いただいた方々へのご挨拶や記念写真撮影、著書へのサインなどで忙しく、新聞記者さんにはご挨拶できないままでした。記事にしていただき、ありがとうございます。

 また、ご多忙にもかかわらず講演会でご挨拶いただいた衆議院議員の岡田華子さん(立憲民主党・青森三区)には改めて御礼申し上げます。ちなみに岡田さんは『東日流外三郡誌』を持っておられるとのこと。お祖父様から頂いたものとか。不思議なご縁でした。

 今日の夕方からは、弘前市議・青森県議・弘前市立図書館の方々に「東日流外三郡誌」を紹介することになりました。こちらは超党派の方々とのこと。当初の予定にはなかったイベントですので、議員さん向けのテーマに変更したパワポ資料をホテルに籠もって作成しました。タイトルは「和田家文書と興国の大津波」です。大地震や大津波に備えるためにも、「東日流外三郡誌」を初め津軽の先人が伝えた現地伝承〝興国元年・二年(1340・1341)の大津波〟が歴史事実であること、〝興国の津波は史実ではなく和田喜八郎氏による偽作〟とする「東日流外三郡誌」偽作キャンペーンが否であることを説明します。