2025年10月16日一覧

第3544話 2025/10/16

多元史観で見える蝦夷国の真実 (1)

 今年の7月6日(日)、久留米大学公開講座で「王朝交代前夜の倭国と日本国 ─温泉の古代史 太宰府遷都の背景─」というテーマで講演しましたが、その後半には「王朝交代前夜(七世紀第4四半期)の日本列島 —倭国・日本国・蝦夷国の三国時代—」という研究分野について解説しました。下記のような内容です。

❶ 列島の代表王朝だった倭国(九州王朝)から日本国(大和朝廷)への王朝交代は701年(大宝元年)のことと古田史学では考えられてきた。本研究により、それは七世紀第4四半期の天武天皇・持統天皇により準備されてきたことが明らかになった。

❷ 藤原京時代(694年遷都)には、出土木簡によれば近畿天皇家はヤマトを「倭国」と称していることから、自らの支配領域全体は「日本国」と称していた可能性が高い。

❸ しかし、その時期でも九州年号が各地で使用されていることから、大義名分上は九州王朝が700年まで倭国の代表王朝であり続けた。→大和朝廷(日本国)の年号は大宝(701年)から。

❹ 蝦夷国の存在をクローズアップすれば、七世紀後半の日本列島は倭国・日本国・蝦夷国の三国時代とも言いうる状況にあった。

❺ 蝦夷国は倭国(九州王朝)の冊封下にあったが、701年の王朝交代により独立を目指したようだ。八世紀になると新王朝の日本国と激しく争い、十世紀まで戦闘・抵抗を続け、蝦夷国は滅んだ。

❻ これからの日本古代史研究は、多元史観に基づき、「倭国・日本国・蝦夷国の三国時代」という視点が不可欠。

 古田史学の歴史認識の基本は多元史観であり、そうであれば九州王朝(倭国)や大和朝廷(日本国)だけではなく、古代において東北地方に存在した蝦夷国もひとつの「王朝」あるいは「国家」とする、七世紀頃までの〝倭国・日本国・蝦夷国の三国時代〟という視点での研究や史料理解が必要です。この提言を、わたし自身も含めた古田学派への〝警鐘〟として、久留米大学で発表しました。(つづく)