多元史観で見える蝦夷国の真実 (11)
―盗まれた神武紀の「愛瀰詩」説話―
古田先生は『日本書紀』神武紀に見える「愛瀰詩」(注①)を〝神武の軍の相手側、大和盆地の現地人を指しているようである〟とされました。すなわち近畿の先住者(銅鐸圏の住民)と見なし、神武に追われた「愛瀰詩」を東北の蝦夷国と称された人々と同類、あるいは有縁の人々と理解されたようです(注②)。しかし、わたしはこの「愛瀰詩」を天孫降臨時、ニニギが戦った北部九州の先住民と考えています。
わたしは記紀に見える神武東征記事に天孫降臨説話が盗用されているとする説を2002~2003年に発表しました(注③)。記紀の神武東征説話中に、大和侵攻の主体を「天神御子」(『古事記』)・「天神子」(『日本書紀』)とする記事が突然のように、あるいは「天皇」記事中に紛れ込んでいることにわたしは注目し、「天孫」(アマテラスの子孫)ではあっても、神武は「天神御子」「天神子」(アマテラスの子)ではないとして、この「天神御子」「天神子」を主人公とする説話部分は天孫降臨時のニニギの筑紫・肥前侵攻説話の盗用としました。
こうした視点に立てば、同じく「天神子」の名前が「天皇」説話に紛れ込んでいる「愛瀰詩」との戦闘譚もニニギらによる天孫降臨説話であり、そこに現れる「愛瀰詩」は北部九州(筑紫・肥前)の先住民ではないでしょうか。なお、神武歌謡の「愛瀰詩」を佐賀県を舞台とした説話とする先行研究が福永晋三氏より発表されています(注④)。古田先生も神武歌謡に筑前糸島で歌われたものがあるとする研究を発表しています(注⑤)。
この仮説が正しければ、ニニギに追われた「愛瀰詩(エミシ)」と呼ばれ人々は筑紫から東北地方(蝦夷国)に落ち延び、そのため蝦夷国はエミシ国と呼ばれるようになったのではないでしょうか。ちなみに、佐賀県三養基郡には「江見(エミ)」という地名があり、「愛瀰詩」と語源的に関係があるのかもしれません。(つづく)
(注)
①次の神武紀歌謡に「愛瀰詩(エミシ)」が見える。
愛瀰詩烏、毗儴利、毛々那比苔、比苔破易陪廼毛、多牟伽毗毛勢儒。
〔えみしを、ひだり、ももなひと、ひとはいへども、たむかひもせず〕
(「ひだり」は〝ひとり〟。「ももなひと」は〝百(もも)な人〟。『岩波古典文学大系』による。二〇五頁)
②古田武彦『真実の東北王朝』駸々堂、平成二年(1990)。ミネルヴァ書房版 293~294頁。
③古賀達也「盗まれた降臨神話 『古事記』神武東征説話の新・史料批判」『古田史学会報』48号、2002年。『古代に真実を求めて』第五集、明石書店、2002年、に転載。
同「続・盗まれた降臨神話 ―『日本書紀』神武東征説話の新・史料批判―」 『古代に真実を求めて』第六集、明石書店、2003年。
④福永晋三「於佐伽那流 愛瀰詩(おさかなる えみし) ―九州王朝勃興の蔭」『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』古田武彦・福永晋三・古賀達也共著、明石書店、2000年。
⑤古田武彦『神武歌謡は生きかえった』新泉社、1992年。