2025年12月24日一覧

第3564話 2025/12/24

多元史観で見える蝦夷国の真実 (14)

 ―「山」系譜と「山神」の分布―

 わたしの考察〝蝦夷国の中でも津軽は特別な領域で、エミシという和訓は、筑紫の先住民「愛瀰詩(えみし)」に淵源する〟に対応する「安日彦・長髄彦以前の系譜」(注①)に基づく古田先生の仮説〝安日彦・長髄彦の故国は、「山」と呼ばれるところ〟(注②)に衝撃を受けました。

 古田説によれば、三世紀の「邪馬壹国」と五世紀の「邪馬臺国」は同一地域(筑紫)であり、両者に共通する「邪馬(=山)」はこの地域の中心国名です。他方、安日彦・長髄彦の故国も筑紫であり、彼等の先祖らが名前に「山」の一字を冠していることから、「邪馬(=山)」という地域名は安日彦・長髄彦が津軽に追われた事件「天孫降臨」以前からのものと考えられます。そうであれば、東北地方(蝦夷国領域)に濃密分布する「山神」信仰の痕跡は、「天神」信仰の天孫族(ニニギ)に追われた愛瀰詩(エミシ)と呼ばれる安日彦・長髄彦らの信仰に由来する可能性があるからです。

 「洛中洛外日記」で紹介しましたが、東北地方には「山神社」が濃密分布します。中でも山形県は最濃密分布しているようで、山形県・山形市の「山」も「山神」信仰や安日彦・長髄彦の故国「邪馬(=山)」地名に由来する地名ではないでしょうか(注③)。ところが安日彦らが落ち延びた青森県には「山神社」の分布が見られず不思議に思っていたところ、弘前市立図書館で閲覧した江戸期の史料「安政二年 神社微細社司由緒調書上帳」には、「山神宮」が津軽の各地に分布していることが記されていました(注④)。

 東北に広く分布する「山神社」と津軽に濃密分布する「山神宮」。両者の名称の違い、「社」と「宮」は何を意味し、何に由来しているのでしょうか。未検証の作業仮説ですが、わたしは「愛瀰詩(えみし)」と呼ばれた安日彦らが落ち延びた津軽こそ、蝦夷国の宮が置かれた聖地ではないでしょうか。したがって津軽には「山」国の「神宮」がおかれ、崇め祭られた。その他の蝦夷国領域には〝分社〟として「山神社」が置かれたのではないかと推定しています。すなわち、津軽は蝦夷国領域でも特別な地域(聖地)であったと考えています。これには、史料根拠があります。『日本書紀』斉明五年(659)七月条の「伊吉連博德書」に記された倭国の使者と唐の天子との会話です。

 「天子問いて曰く、蝦夷は幾種ぞ。使人謹しみて答ふ、類(たぐい)三種有り。遠くは都加留(つかる)と名づけ、次は麁蝦夷(あらえみし)、近くは熟蝦夷(にきえみし)と名づく。今、此(これ)は熟蝦夷。毎歳本國の朝に入貢す。」

 なぜ小領域の都加留(津軽)が、広領域の麁蝦夷(あらえみし)・熟蝦夷(にきえみし)と肩を並べて唐の天子に紹介されたのか。「洛中洛外日記」(注⑤)で、わたしは〝もしかすると、都加留には蝦夷国全体を代表(象徴)するような「都」があったのでしょうか〟と述べましたが、その理由が、津軽に分布する「山神宮」により、ようやくわかりかけてきたようです。しかしこれは未検証の作業仮説であり、調査の必要があります。慎重を期して、これ以上の論理展開は一旦保留し、本シリーズを終えることにします。(おわり)

(注)
① 八幡書店版『東日流外三郡誌1 古代編』「耶馬台国王之事」に次の系譜が見える。
「安東浦林崎荒吐神社譜より
山大日之國命・山大日見子(妹)――山祇之命――山依五十鈴命――山祇加茂命――山垣根彦命――山吉備彦命――山陀日依根子命――山戸彦命――安日彦命・長髄彦命――荒吐五王」
②古田武彦「『山』を父祖の地とする勢力」『真実の東北王朝』駸々堂、平成二年(1990)。ミネルヴァ書房版 165~166頁。
③古賀達也「洛中洛外日記」3525話(2025/09/03)〝東北地方の「山」地名〝山形〟を考える〟
④古賀達也「洛中洛外日記」3540話(2025/10/07)〝津軽に多い「山神宮」〟
⑤古賀達也「洛中洛外日記」3548話(2025/11/08)〝多元史観で見える蝦夷国の真実(4) ―都加留は蝦夷国の拠点か―〟

〖写真説明〗津軽の十三湖、遠くに岩木山が見える。山形県の「山神社」分布図。