令和八年の抱負 (2)
『東日流外三郡誌の挑戦』
に合田論稿転載
昨年末、「運命と使命の一書 ―東日流外三郡誌の逆襲―」を執筆し、『東京古田会ニュース』に投稿しました。運命の一書とは『東日流外三郡誌の逆襲』(八幡書店、2025年)であり、使命の一書とはその続編『東日流外三郡誌の挑戦』(仮称)です。続編には前著に収録できなかった重要論文を掲載します。その一つが合田洋一さんの「『東日流外三郡誌』と永田富智先生にまつわる遠い昔の思い出」です(注①)。元日に合田さんに電話で年賀のご挨拶をしたおり、転載の了解を頂きました。
同稿は『東日流外三郡誌』(明治写本)二百~三百冊を昭和46年に市浦村役場で見たと証言(注②)した永田富智さんとの思い出が記されたもので、永田さんは昭和38年時点で東日流外三郡誌のことをご存じであったとのこと。偽作説論者たちは〝東日流外三郡誌は昭和40年代から50年代に和田喜八郎が偽作した〟と偽作キャンペーンを繰り返しましたが、それが真っ赤な嘘であることが、『北海道史』を編纂した中近世史の専門家である永田氏の証言からも明白となりました。合田稿では、『東日流外三郡誌』市浦村誌版が刊行された昭和50年よりも十年以上前の昭和38年に、永田氏がその存在を知っていたことが証言されています。当該部分を抜粋します。
〝私は、明治大学三年(昭和三十八年)の八月に帰省(北海道江差町)した時、父に卒業論文(『蝦夷地に於ける戦国時代』)の史料研究のため函館図書館に寄るので一日早く帰ると話したところ、父は「それならいい人を紹介するよ」と目の前で函館図書館に電話してくれた。なんと、その相手の人こそ当時図書館で学芸員をされていた永田富智先生だったのである。(中略)早速、永田先生にお会いして長時間に亘りご指導戴いた。(中略)その時の先生の言葉を今も鮮明に覚えている。「合田君、北海道・東北の歴史を研究するなら『つがる外三郡誌』という書があるからそれを研究したらいいよ」(その時はつがるの字は「東日流」ではなく「津軽」とばかり思っていた)と。私は「その書はここにあるのですか」とお聞きしたところ「ここにはなく、青森のある人が持っているので紹介してあげるから東京への帰途寄ったらどう」と言って下さったのである。当時の私は奨学金とアルバイトで学生生活を送っていた貧乏学生だったことから、青函連絡船(四時間半)で青森に行き夜行列車(二十二時間)で急いで東京に帰り、仕事(アルバイト)に間に合わせなければならなかったので、丁重にお断りして「またの機会に是非お願いします」と辞したのである。のちのち寄り道できなかったことがなんとも悔やまれた。(中略)
振り返って見ると、昭和三十八年とは、『東日流外三郡誌』がまだ活字本になっていない時であった。古賀さんの前掲論稿によると、昭和五十年頃「市浦村史版」、六十年頃「八幡書店版」が発刊されるが、永田先生はその前の昭和四十六年に市浦村役場で二、三百冊の『東日流外三郡誌』明治写本を見たとのことであった。〟
運命の一書『東日流外三郡誌の逆襲』に次いで、使命の一書『東日流外三郡誌の挑戦』の刊行。これが令和八年、新年の抱負の二つ目です。(つづく)
(注)
①合田洋一「『東日流外三郡誌』と永田富智先生にまつわる遠い昔の思い出」『古田史学会報』148号、2018年。
②古賀達也「真実を語る人々」『東日流外三郡誌の逆襲』明石書店、2025年。
〖写真の説明〗永田富智先生。北海道松前町阿吽寺にて、1996年9月15日。東日流外三郡誌(明治写本。)